東西冷戦初期、世界中で垂直離着陸が可能な戦闘機の開発が盛んになりました。コンセプト自体は第2次世界大戦中のドイツが発端で、それを参考に実機の開発まで至ったのはアメリカが初めてでした。
滑走路を必要としない、VTOL(垂直離着陸)可能な飛行機は、ペーパープランであれば1920年代から見られ、そして実機の製作は第2次世界大戦後の1950年代に盛んになりました。ヘリコプター(回転翼機)やロケットではない、飛行機構造のVTOL機で先駆けといえるのが、アメリカのコンヴェアが開発したXFY-1「ポゴ」戦闘機です。
水平飛行を行うXFY-1「ポゴ」戦闘機。操縦席の風防はパイロットがいつでも脱出できるよう開いている(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。
第2次世界大戦直後の1940年代後半、アメリカ海軍は大戦中に熾烈な航空戦を経験したことから、空母以外の巡洋艦や駆逐艦、それこそタンカーや一般商船でも運用可能な戦闘機が開発できないか模索していました。ヘリコプターが離着艦できるスペースで運用できる戦闘機があれば、危険海域でも艦隊や船団に護衛空母をいちいち随伴させずに航行できるようになります。
こうした発想のもと、アメリカ海軍はまず1948(昭和23)年にテイルシッター型VTOL戦闘機の研究を航空機メーカー各社に呼びかけました。「テイルシッター型VTOL機」というのは、離着陸時に機首を上に向ける形状の航空機のことで、ロケットのように最初から上を向いているため、滑走を必要としないメリットがあります。
一方デメリットは、離陸はともかく、離陸後に水平飛行へ機体の向きを移行するのが難しい点、同様に、水平飛行から垂直状態に再び姿勢を変え、着陸するのが難しい点でした。
それでも、機体を作って試験を繰り返せば解決策が見つかるかもしれないということで、アメリカ海軍は1950(昭和25)年、興味を示した複数の航空機メーカーに対し設計案の提出を要求、そのなかからコンヴェアとロッキードのプランを採用し、2社に対して試作機の開発を命じました。
揺れる艦上で実戦運用に耐えられるの…?コンヴェアとロッキードは1951(昭和26)年3月より実機の開発に取り掛かります。これについてアメリカ海軍のなかでは、前者が本命、後者が補欠と見られていたようです。

試験中のXFY-1「ポゴ」。垂直離陸を可能にするため、最大出力6500馬力のエンジンを搭載し、プロペラは二重反転式だった(画像:アメリカ海軍)。
本命と目されていたコンヴェアの試作機には「XFY-1」という機番が振られ、1954(昭和29)年に完成します。前例のない機体構造から試験は慎重に行われ、まず建物内において天井から伸びたワイヤーに吊られた状態で行われました。この繋留式の飛行試験によって4月19日に屋内飛行を成功させたのち、8月1日に野外での通常の初飛行に成功しました。
初飛行から3か月後の11月2日、ついに水平飛行から姿勢を変えて着陸することにも成功します。このとき試作機は垂直離陸、水平飛行、垂直着陸と複数の姿勢変換を行い、VTOL機としての完全な方向変換を史上初めて成し遂げます。
ただこれは、ベテランのテストパイロットが操るからこそ可能な飛行であり、飛行場という比較的安全な陸上だから離着陸できたともいえました。外洋の揺れる艦船の甲板上で、経験の少ないパイロットが行えるかというと、話は別です。
また戦闘機として、日々進化を続けるジェット機と渡り合えるだけの性能を維持できるかという問題もあり、アメリカ海軍は1956(昭和31)年8月、計画の中止を決定しました
なお、アメリカ海軍が補欠と考えていたロッキード製のXFV-1の方は、水平飛行こそできたものの、垂直離着陸は最後までできなかったため、その点ではコンヴェア製のXFY-1の方が優秀だったといえるでしょう。
ちなみにXFY-1の愛称である「ポゴ」とは、スプリングで垂直に飛んで遊ぶ、いわゆる「ホッピング」のことで、上下動する様から名付けられました。正式な愛称ではないものの、いまや正式名称のように用いられています。