陸自のいわゆる落下傘部隊は、かつて装甲車すら重量などの関係で空輸できなかった時代に、それより重い戦車が配されていました。航空機からの降下を主とする部隊に、航空機に乗せられない戦車の配備、もちろん理由があります。
千葉県の習志野駐屯地に所在する陸上自衛隊第1空挺団は、日本最大の落下傘部隊として、日夜、航空機からパラシュートで飛び降りる訓練を行っています。
輸送機やヘリコプターなどで迅速に移動できることを主軸にしているため、第1空挺団のほとんどの装備は原則として空輸できるものに限られていますが、過去には自衛隊の航空機では空輸不可能な戦車を装備していたことがありました。
かつて陸自第1空挺団に配備されていたM24「チャフィー」軽戦車。写真は同型車両(柘植優介撮影)。
第1空挺団が誕生したのは1958(昭和33)年6月で、その2年後の1960(昭和35)年4月、空挺団隷下に戦車隊が新編されています。
空挺団戦車隊は発足当初、正式名称を「第1空挺団普通科群本部中隊情報小隊特車班」といいました。2年後の1962(昭和37)年に陸上自衛隊全体で「特車」という単語が「戦車」に改められたことにともない、「第1空挺団普通科群本部中隊空挺戦車小隊」へ改称されるとともに、情報小隊のなかの班から戦車小隊として独立します。
装備していたのは当時、陸上自衛隊の主力戦車であったアメリカ製のM24「チャフィー」軽戦車で、5両で1個小隊の編成です。
空挺団戦車隊の任務は偵察と火力支援M24「チャフィー」は、軽戦車といっても重量は18.4tあり、当時、航空自衛隊や陸上自衛隊が保有していたC-46輸送機およびV-107輸送ヘリでは運べません。それでも第1空挺団にM24「チャフィー」が配備されたのは、創設からアメリカ陸軍に範をとり、編成も準拠したからだといわれています。

1950年代後半から1970年代にかけて航空自衛隊で使用されたアメリカ製のC-46輸送機(柘植優介撮影)。
空挺団戦車隊が誕生した1960(昭和35)年当時、アメリカではM551「シェリダン」空挺戦車の開発が進められていました。
しかしアメリカ陸軍の場合は、支援するアメリカ空軍にC-124やC-5といった戦車輸送も可能な大型輸送機が配備されていたからこそ、空挺部隊でM551「シェリダン」を運用することが可能でした。ところが日本の場合は、前述したように戦車を運べる輸送機やヘリコプターが当時、存在していません。
そのため、空挺団戦車隊の5両のM24「チャフィー」は、第1空挺団所属ながら、パラシュート投下はおろか、空輸すら実施することはなく、訓練では地上を自走して追従するしかなかったそうです。
M24軽戦車のあとには60式装甲車も空挺団戦車隊は、空輸やパラシュート投下できない部隊ながら10年以上にわたって第1空挺団で運用されます。しかし第1空挺団に対戦車ミサイルが配備されたことや、M24「チャフィー」自体の旧式化などを理由として、1973(昭和48)年3月8日に、60式装甲車5両を装備する「第1空挺団普通科群本部直轄空挺装甲輸送隊」に改編されて、戦車運用は幕を閉じました。

CH-47J輸送ヘリコプターで吊り下げ空輸される軽装甲機動車(柘植優介撮影)。
とはいえ、この60式装甲車も重量は11.8tあり、M24「チャフィー」よりは軽いものの、既存のC-46輸送機はもちろんのこと、当時運用が始まったばかりの国産輸送機C-1でも運ぶことはできませんでした。そのため、60式装甲車の運用も1981(昭和56)年3月に終了しています。
そののち第1空挺団には20年以上にわたり、戦車や装甲車が配備されることはありませんでした。空輸やパラシュート投下が可能な装甲車がお目見えしたのは、21世紀になってから導入された軽装甲機動車が初めてです。
なお、アメリカ陸軍空挺部隊に配備されたパラシュート投下可能な戦車M551「シェリダン」は、さまざまな問題から1997(平成9)年に退役し、現在はアメリカ陸軍空挺部隊においても戦車は運用されていません。