一般的に戦艦は小回りが利かず、速力も巡洋艦や駆逐艦よりも遅いため、水面下に潜む潜水艦への攻撃などは行いません。しかし攻撃手段を持たないのに、戦艦「大和」は水中聴音機を装備していました。
太平洋戦争直前、日本における艦船技術の粋を集めて建造された戦艦「大和」は、主砲や装甲だけでなく様々な最新装備を備えていました。そのひとつが「零式水中聴音機」です。
1941年、公試中の戦艦「大和」。白波を立てる艦首水面下に当時最新の水中聴音機を装備していた(画像:アメリカ海軍)。
水中聴音機とは、水中に広がる音に聞き耳を立てて、敵の潜水艦が周辺にいないかなどや、敵の魚雷が向かってきていないかなどを探る、いわゆるパッシブ・ソナーといわれるものです。
しかし、戦艦「大和」や「武蔵」には水中を攻撃する兵器、すなわち対潜水艦攻撃が可能な装備はありません。それなのになぜ装備したのか、それは最新鋭戦艦という点とさらに巨体ゆえの利点があったからです。
水中聴音機は、複数のマイクロフォン(捕音器)で水中の音を捉えます。その音には当然、自艦のスクリュー音やエンジン音も混ざっています。これらの雑音を低減させたいのであれば、やはり、エンジンやスクリューなどから離すに限ります。
旧日本海軍の代表的な駆逐艦「雪風」の場合、全長は118.5mですが、戦艦「大和」は全長263mもあります。水中聴音機を設置する場所は艦底付近になるため、全長の比較を単純にあてはめることはできませんが、少なくとも艦底部分の長さも2倍以上あることは間違いありません。
戦艦「大和」が水中聴音機を装備していたのは、極力雑音の少ない状況で音を探り、いちはやく音源を突き止めて潜水艦ならば味方駆逐艦などに教えて攻撃させ、魚雷の接近ならば回避運動に入るためでした。
「大和」が装備した水中聴音機の性能は戦艦「大和」が装備していたのは「零式水中聴音機」と呼ばれるもので、同艦が就役した1941(昭和16)年時点では最新の水中聴音機でした。
「大和」は零式水中聴音機を艦首水面下の最下層部分に、左右1基ずつ計2基備えていました。

1943年にトラック泊地で撮影された、「大和」(左奥)と姉妹艦の「武蔵」(右手前)(画像:アメリカ海軍)。
そこから2層上の左舷側、喫水線付近に、調音員が装置を操る聴音機室が設けられていました。とはいえ、ここで操作にあたる聴音員はわずか2名であり、他方で「大和」の対空警戒や対水上監視が十数人規模で行われていたのと比べると、はるかに少人数だったといえます。なお艦橋にも受聴器はあり、音を聞くだけならできました。
1944(昭和19)年10月のレイテ沖海戦後にはさらに1基増設され、「大和」が最期を迎えた1945(昭和20)年春時点では、聴音機は3基、装備されていました。
この「大和」が装備した零式水中聴音機はどれほどの性能だったかというと、就役前の公試時に、試射された主砲砲弾が水面に着弾した際の音を、航行中にもかかわらず捉えたほか、時期は不明なものの、鹿児島湾に停泊した際には、湾外を航行する味方の潜水艦音を約30kmの距離で検知しています。
このほかにも、向かってくる敵魚雷の航走音をいち早くキャッチし、味方艦隊に警報を発することに成功したといわれていますが、一方でアメリカ軍潜水艦が放った魚雷があたったこともあり、万全ではなかったようです。
戦艦「大和」というと、主砲や装甲、多数の対空火器などが注目されがちですが、水面下に隠れてしまう艦底にも最新鋭の装備があったのです。それだけ潜水艦の脅威が、就役当初から無視できない存在になっていたという証左なのかもしれません。