歴史あるアメリカ海軍のアクロバットチーム「ブルーエンジェルス」は、その名の通り代々、青い機体を使用していますが、なかには例外もありました。黄色地に青の文字、そして、どこかで見たような赤い丸を掲げていたといいます。
2020年6月3日(水)、ボーイングはアメリカ海軍のアクロバットチーム「ブルーエンジェルス」向けのF/A-18E/F「スーパーホーネット」初号機を引き渡したと発表しました。引き渡しの時点では「ブルーエンジェルス」の専用塗装は施されておらず、飛行試験と評価ののち、問題がなければ塗装するようです。
アメリカ海軍のアクロバットチーム「ブルーエンジェルス」。2020年6月現在の使用機種はF/A-18C/D「ホーネット」戦闘機(画像:アメリカ海軍)。
青地に黄色の文字やラインが入った塗装が「ブルーエンジェルス」の機体外観における特徴ですが、過去には逆に黄色い胴体に青字を入れた機体もありました。しかも、当初は日の丸のようなものを描いた機体もあり、それを使って模擬空中戦を披露したこともあったそうです。
「ブルーエンジェルス」が創設されたのは、第2次世界大戦直後の1946(昭和21)年4月24日です。創設の目的のひとつに、大衆へのアメリカ海軍のPR、すなわち大戦終結後も海軍に対してアメリカ国民が関心を持ち続けるようにすることが含まれていたため、初期には編隊飛行や曲技飛行だけでなく、大戦中の空の戦いを再現した模擬空中戦も含まれていました。
模擬空中戦でのヤラレ役「ビートル・ボム」とは創設時に「ブルーエンジェルス」が使用したのは、第2次世界大戦時の主力機F6F「ヘルキャット」戦闘機です。これとは別に、SNJ(T-6)「テキサン」練習機も1機、使用されていました。SNJは、外観が旧日本海軍の零式艦上戦闘機に似ているということで、映画にて零戦役で使われたこともある機体です。

1948年ごろの「ブルーエンジェルス」。
SNJはF6Fとは異なり、目立つように機体全体が黄色く塗られ、胴体側面には赤い丸が描かれていました。また尾翼には「0(ゼロ)」の機番が書かれていました。
1機だけ異なる塗装が施されたSNJ「テキサン」は、当時のアメリカで注目を集めていたコメディアン、スパイク・ジョーンズがラジオ番組で演じたキャラクターにちなんで、「ビートル・ボム(Beetle Bomb)」と名付けられました。
模擬空中戦では、「ビートル・ボム」を複数のF6F戦闘機が追い回し、最後に「ビートル・ボム」が白いスモークを噴いて降下、コクピットからパラシュート付きのパイロット人形を投げ落として終了という流れだったようです。
1946(昭和21)年8月に「ブルーエンジェルス」の使用機がF8F「ベアキャット」戦闘機へ変更されると、「ビートル・ボム」もSNJからF8Fに機種を変えます。その際、「ビートル・ボム」から赤丸は消えましたが、そのほかの変更点はパラシュート投下されるパイロット人形がコクピットからではなく胴体下部のポッドへ仕込まれるようになった程度で、模擬空中戦でのヤラレ役という立ち位置は変わりませんでした。
「ビートル・ボム」の最期1949(昭和24)年、「ブルーエンジェルス」はF9F「パンサー」戦闘機に機種変更します。これにより、使用する機体が初のジェット機になりましたが、「ビートル・ボム」については機種変更されず、レシプロエンジン、いわゆるプロペラ推進のF8F「ベアキャット」のままでした。

A-4F「スカイホーク」攻撃機を運用していたころの「ブルーエンジェルス」(画像:アメリカ海軍)。
それから約1年後の1950(昭和25)年4月24日、フロリダ州ミルトンにある「ホワイティングフィールド」海軍航空基地での練習飛行中、「ビートル・ボム」は墜落します。
この事故により「ビートル・ボム」の運用はピリオドを打ちました。「ブルーエンジェルス」の演目から模擬空中戦は消え、また異なる機種を同一運用することも終わりを告げました。
2021年に「ブルーエンジェルス」は創設75周年を迎えます。アクロバット飛行チームというと、日本の「ブルーインパルス」なども含めて同一の機体で統制のとれたフライトというのが定番ですが、「ブルーエンジェルス」は長い歴史のなかで異機種混成だった時代が短期間ながらもあったのです。