第2次世界大戦の開戦前夜に誕生したイギリス軍の戦車「カヴェナンター」。作ってみたら明らかに欠陥品だったにもかかわらず大量生産され、部隊配備まで行われました。
第2次世界大戦では各国で兵器の試行錯誤が行われましたが、イギリスでは完成後に欠陥兵器の烙印が押されたにもかかわらず、大量生産に移行した戦車がありました。「カヴェナンター」です。
一見すると大口径転輪に背の低いシルエットと、近代的なデザインであり、外観からは欠陥戦車に思えませんが、いったい何がダメだったのでしょう。
イギリスのボービントン戦車博物館に保存展示されている「カヴェナンター」戦車。車体前方向かって右側にある4連の格子状の部分がラジエーター(柘植優介撮影)。
「カヴェナンター」戦車が欠陥兵器となってしまった最大の理由は、このスタイリングをつくりだしている車高の低さにありました。そもそも車高を低くした理由は、車体重量を軽くするためであり、車重を軽くしようとした理由は生産コストの抑制、すなわち取得単価の低減でした。
「カヴェナンター」が誕生する前の1938(昭和13)年初頭、イギリスでは新型戦車の設計に関して試行錯誤が続いていました。そのなかで7人乗りの多砲塔戦車も開発されたものの、このような戦車はサイズが大きくなり、かつ車体重量も増すため、走行試験でエンジンの出力不足やオーバーヒートの問題を露呈し、計画は中止となりました。
そのうえ大柄で大重量な多砲塔戦車は取得コストも高額です。そこで、逆にコンパクトで軽量な低コスト戦車を開発しようということになり、1939(昭和14)年に誕生したのが「カヴェナンター」でした。
「カヴェナンター」戦車は、コンパクトな車体に合うよう、動力も専用設計の水平対向12気筒ガソリンエンジンが用意されました。しかし、車体を小型化したせいでラジエーターなどの冷却系が機関室に収まりません。
そこでメーカーであるLMS(ロンドン・ミッドランド・スコットランド鉄道会社)は、ラジエーターなどの冷却系を車体前部の操縦席脇に設置したのです。
このエンジンとラジエーターの分割配置が、「カヴェナンター」を欠陥戦車にした根源となりました。エンジンとラジエーターが離れているため、両者をつなぐパイプが車内を縦断する形になります。これによりエンジンの冷却不足を引き起こしただけでなく、その排熱が乗員室にもまん延し、乗員を苦しめました。とくに真横にラジエーターがある操縦手席は劣悪な環境だったようです。
しかし、このような欠陥が判明しても「カヴェナンター」戦車は量産され、1771両も造られました。なぜ欠陥車と知りつつ大量生産されたのか、これには誕生した時期が大きく影響していました。

第2次世界大戦中、イギリス本土で訓練に用いられる「カヴェナンター」戦車(画像:イギリス帝国戦争博物館/IWM)。
「カヴェナンター」戦車を開発中の1939(昭和14)年、ドイツのチェコスロバキア併合などで、ヨーロッパに戦争の気配が立ち上るようになりました。そのためイギリス政府は同年4月17日、試作車すら完成していないにもかかわらず、「カヴェナンター」の量産発注をLMSに対して行います。
それから5か月後の9月には、ドイツが隣国ポーランドに攻め入り第2次世界大戦が勃発、これによりイギリスは軍備の増強が不可欠となります。翌1940(昭和15)年に「カヴェナンター」の試作車が完成すると、同年5月にドイツがフランスに侵攻、ダンケルク撤退などで失った装備の補充も必須となり、1両でも多くの戦車が必要になったため、欠陥戦車でありながら「カヴェナンター」は生産され続けたのです。
欠陥戦車「カヴェナンター」が果たした意義とはしかし、イギリス陸軍は「カヴェナンター」戦車を第一線部隊に配備することはしませんでした。ほとんどの車体はイギリス本土で訓練用戦車として使われ、ごく一部が評価試験のために北アフリカに送られたものの、これらも現地テストに用いられただけで実戦には投入されずに終わりました。
とはいえ、決して「カヴェナンター」戦車が役に立たなかったわけでもなかったようです。
「カヴェナンター」の車体や砲塔の設計を流用して、ひと回り大きな「クルセイダー」戦車が並行して開発されましたが、流用によって同車は開発期間を短縮でき、試作車に関しては基になった「カヴェナンター」よりも早く完成したほどでした。
短期間で完成した「クルセイダー」戦車は、第2次世界大戦前半のイギリスの戦車不足を救い、アメリカから大量のM4「シャーマン」戦車が供与されるまでしのいだ、「中継ぎ」役になったため、「クルセイダー」戦車の登板タイミングに「カヴェナンター」はある意味で貢献したといえるでしょう。

「カヴェナンター」戦車に乗り込んだ当時のチャーチル英首相(画像:イギリス帝国戦争博物館/IWM)。
またM4「シャーマン」戦車を含め、アメリカから大量に引き渡された各種の軽戦車や中戦車に乗り込んだイギリス戦車兵たちは、事前に「カヴェナンター」を使って操縦技術や戦術機動などを学ぶことができたため、イギリス陸軍は短期間で大量の機甲部隊を編成することができました。
中継ぎの誕生に貢献し、第2次世界大戦後半のイギリス軍戦車部隊の礎を築いたという点で、「カヴェナンター」戦車は試行錯誤のなかにありながらも、存在意義は立派に確立したといえるのかもしれません。