ジェット戦闘機同士の空中戦が繰り広げられた朝鮮戦争ですが、一方で時代遅れすぎる複葉機も投入されていました。この複葉機が、最新ジェット機よりも戦果を上げたという、ウソのような本当のお話があります。

ジェット機飛び交う朝鮮戦争の空を戦った「複葉機」U-2

 今年2020年、北朝鮮と韓国が全面戦争へ突入した朝鮮戦争の勃発から70周年を迎えました。また同時に、2020年はジェット戦闘機VSジェット戦闘機のドッグファイトが初めて発生してから70周年でもあります。

 なかでも1950(昭和25)年12月から始まったアメリカ製F-86「セイバー」とソ連製MiG-15の、戦闘機同士の熾烈な戦いは語り草です。どちらの機種も性能面でほぼ互角であり、最終的にはアメリカ軍のベテランパイロットが多い韓国軍側のF-86が勝利を収めることになります。

複葉機U-2の朝鮮戦争 ひと晩でMiG-15半年分の戦果! ...の画像はこちら >>

ポリカルポフU-2(Po-2)練習機。大戦前の複葉機であるにも関わらずMiG-15の半年分を上回るF-86撃破を記録。米空軍は戦略の転換を迫られた(関 賢太郎撮影)。

 朝鮮戦争における北朝鮮空軍機は、MiG-15を除けば第2次世界大戦世代のレシプロ戦闘機(Yak-3やIl-10など)が中心であり、これらはF-86どころかほかの機にも性能的に及ばず、空戦能力はほぼありませんでした。しかし北朝鮮機のなかで唯一、F-86撃破数においてMiG-15を上回った航空機がありました。それはなんと1920年代に実用化された複葉機、ポリカルポフU-2でした。

 U-2は別名Po-2とも呼称し、その最大のウリはたった100馬力のエンジンで最大速度が100km/hをやや上回る程度という「非力さ」にありました。あまりにも遅すぎて、ジェット戦闘機でこれを迎撃することは極めて困難だったのです。

実に面白いことに、ジェット戦闘機を失速速度にまで誘いこみ「マニューバ―キル(機動による撃墜)」することができ、実際にU-2に撃墜されたジェット戦闘機があったほどです。

 とはいえ、遅すぎるうえに大して武装もないU-2では、やれることも限られます。そのため北朝鮮空軍はU-2をもっぱら夜襲に投入、国連軍の上空まで飛来し小型爆弾を投下、または2名の乗員が手りゅう弾を投げ込んだり携行サブマシンガンを撃ち込んだりして去って行ったのです。

ひと晩でMiG-15半年分以上の働き! U-2が上げた大戦果とは?

 U-2には、夜間爆撃を行うための効果的なレーダー照準装置などはありませんから、通常は2発搭載した50kg爆弾が何かにダメージを与えることはなく、大きな音を発生させ安眠を妨害するだけの「嫌がらせ爆撃」に過ぎませんでした。

 深夜に突然叩き起こされる国連軍兵士は、U-2の爆撃を「チャーリーの寝小便見回り」と呼び嫌っていましたが、1951(昭和26)年6月17日午前1時ごろに北側から飛来した「チャーリー」は違いました。灯火管制が不十分だったためU-2の乗員は水原(スウォン)飛行場を発見。そして駐機場に対して50kg爆弾を1発、投下したのです。この爆弾は見事F-86へ直撃しこれを完全に吹き飛ばし、生じた破片によって4機を大破させ、4機に軽度の損傷を与えるという、「かいしんのいちげき」となりました。

 アメリカ空軍にとって、わずか一夜にしてF-86を9機撃破された事実は大きなショックでした。この時点において韓国と後方の日本にあったF-86は90機に満たず、1割を損失してしまったのです。また1950年12月にF-86を初めて実戦投入してからこの日までに、F-86の空戦による損害はたった2機に抑えられていました。F-86だけに限れば、複葉機U-2による嫌がらせ爆撃の戦果が、MiGによる戦果を大きく上回ったのです。

適材適所 非力すぎるU-2の「使いかた」

 事態を重く見たアメリカ空軍は、北朝鮮空軍飛行場を破壊するために積極的な攻勢作戦を開始。この作戦を契機に北朝鮮空軍側のMiG-15もまた活発となり、朝鮮戦争において最も熾烈な航空戦が始まりました。そしてF-86の損害発生ペースも増加してゆき、U-2の爆撃からたった4日間で3機がMiG-15によって撃墜されてしまうことになります。

複葉機U-2の朝鮮戦争 ひと晩でMiG-15半年分の戦果! 時代遅れの軍用機はどう戦った?

編隊飛行するMiG-15(左)とF-86(右)。朝鮮戦争を通じF-86の圧勝であったが性能は一長一短であり勝敗の要因は米軍パイロットの質の高さにあった(関 賢太郎撮影)。

 実はU-2は、第2次世界大戦時のソ連空軍においても、同じように夜襲へ投入されていました。当時のドイツ空軍戦闘機でさえ、遅すぎるU-2を攻撃することは危険で、ドイツ軍を苛立たせています。そのU-2が1950年代のジェット機が飛び交う朝鮮戦争の航空戦において再び姿を現しました。そして北朝鮮側において国連軍側に攻撃可能な航空機は事実上U-2だけであったため、この旧式の複葉機は朝鮮戦争の最後までMiG-15と同等の脅威であり続けたのです。

 大戦時にさえ時代遅れだったU-2が、朝鮮戦争では敵側の戦略にまで影響を与えたという事実は、航空戦の歴史においても最も皮肉なできごとのひとつであるといえるのではないでしょうか。

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