1985年に「卒業」で歌手デビュー、今年デビュー40周年を迎えた斉藤由貴。9月9日から開幕する、京本大我主演のミュージカル「Once」では、ヒロイン“ガール”の母・バルシュカを演じる。

トニー賞11部門ノミネート8部門を受賞した本作は、ダブリンという移民の街を舞台にした、人生の再生の物語。今回の上演が待望の日本初演となる。斉藤に本作への意気込みや舞台で芝居をすることについて、さらには歌手デビュー40周年への思いなどを聞いた。

-本作への出演が決まったお気持ちを教えてください。

 2023年に奏劇vol.3「メトロノーム・デュエット」に出演させていただきましたが、そのときに久しぶりに舞台に出演できたことがとてもうれしかったんです。なるべくコンスタントに舞台に出演することが大事だと思っているので、今回もうれしい気持ちです。

-舞台に出演することが大事というのは?

 現在の自分を確認することができるからです。舞台は当然、生の体での表現になるので、映像と違ってアップに切り取ってもらったり、音声を調整してもらったり、あるいはこまめにお化粧直ししてもらったりすることができません。なので、例えば、体の動きの機敏さや歌うときの声量といったものが如実に出て、自分の現実を思い知らされます。鍛錬や覚悟、惰性にならずに緊張感を維持することがすごく大事な場所だと思います。落ち込むことがもっとも多いのが舞台ですが、落ち込むことも大事なことのような気がしています。

-なるほど。

とはいえ、同時に舞台の面白さや魅力も感じているのではないかと思いますが、それについてはいかがですか。

 本当に同じせりふがないということです。ある日、ものすごくウケたかと思うと、ある日は全くウケなかったり、お客さまの反応の違いが面白いです。ほんのちょっとしたタイミングやテンポ感で変わってきます。狙わな過ぎても流れてしまうし、狙い過ぎると引かれてしまう…その兼ね合いが日によって違います。だから、とても不思議なんです。怖いところでもあるし、それがすごく舞台の面白いところでもあります。

-日本初演となる本作ですが、脚本を読まれた率直な感想を教えてください。

 台本上には頻繁に「ポーズ」と書かれていますが、せりふとせりふの間の行間を大切にした舞台だなと感じました。長く俳優をやっていれば皆さん思うことの1つだと思いますが、演技というものは、もちろんせりふを話しているときも大事ですが、せりふを話していないときも同じくらい、あるいはもしかしたらそれ以上に大事なもので、今回のお芝居は、特にそうしたせりふとせりふの間を大事にしているのだと思います。それから、当然のことながらト書きは舞台上では語られないものですが、台本に書かれているト書きがとてもリリカルでした。それ自体が1つの詩のようで、オリジナリティーがあり、美しさがあって、すてきだなと思いました。

-斉藤さんが演じるバルシュカという役柄については、台本からどんな印象を受けましたか。

 舞台上に存在していても、バルシュカとして表現するシーンがたくさんあるわけではないので、それがすごく難しいなというのが正直な感想です。一つ一つのシーンのインパクトが強いので、個性的なお母さんとしての爪あとを残すことが大事なのだろうと思いますし、だからこそ、私が選ばれたのかなという気もします。バルシュカは、時々、突拍子もない行動をすることがあり、そうした行動を理路整然と説明できるわけではありません。なので、「大げさかもしれないけど受け入れてもらえる」という説得力は持ちたいなと思っています。個性の強い役というのは、そうしたさじ加減が難しいんです。くっきりと陰影を作って演じることで見ているお客さんにちょうどよく届く場合もあるし、あえて引きで演じた方が良い場合もある。今回のバルシュカをどのような方向性で作っていくのか、演出家の稲葉さんに委ねつつ、作り上げていければと思います。

-お話を聞いていて、斉藤さんは役作りの段階では感覚よりも考えを巡らせて作られていくタイプなのかなと感じましたが、ご自身ではどのように考えていますか。

 両方あると思います。その作品がどのような方向性をめざしているのかということにも関わってきますから。それから、私がその作品の中でどのくらい出演するのかにも関わってきます。

なので、客観的に、俯瞰(ふかん)して見て自分の求められている役割を判断することもあります。ただ、それと同時にいざ本番となったときに1番ものを言うのは、そのときに感じた感覚です。なので、両方を自分の中でバランスを見て混ぜていくことが大事だと考えています。

-本作では、主演を京本大我さんが務めます。

 初めてご一緒しますが、(取材当時)まだお会いできていません。いろいろな番組で拝見しますし、帝国劇場のクロージング番組で彼が市村正親さんと歌っている姿も拝見しましたが、とてもミュージカルに向いている方なのだと感じました。

-ところで、今年は歌手デビュー40周年となります。これまでの芸能生活を振り返って、どのような思いがありますか。

 表に出る仕事だから特にそう感じるのかもしれませんが、ものすごく濃密な、さまざまなことがあった40年だと思います。ただ、これだけ年数が経ってしまうと、あまり覚えていなくて。すごく濃密で、多忙で、でも、すてきな時間をたくさん過ごしたはずなのに、年齢を重ねるといろいろなことを忘れてしまい、過去になってしまうとどうでも良くなってしまう。人生ってそんなものなんだなと、今は感じています。

-ご自身の中でターニングポイントとなった作品との出合いは?

 映像作品でいうと、連続テレビ小説「はね駒」です。12歳から60歳まで一人の女性の生きざまを演じるという重みをすごく感じた作品で、印象に残っています。舞台でいうと、ミュージカル「レ・ミゼラブル」も大きかったです。日本初演でコゼットを演じましたが、コゼットってものすごく難しい役なんですよ。誤解を恐れずに言うならば、あまりやりがいのない役でもある。

-確かに、エポニーヌやファンテーヌとはまた違う立ち位置ですよね。

 そうなんです。陰影があって、人間の生きざまを描くと言う意味で、エポニーヌやファンテーヌの人生は刺さる。でも、それはコゼットの役割ではないんです。なので、私がどんなにあがいても、それを飛び越えることができなかったり、必ずしもそれを打ち破ることを求められていなかったりしました。一つの作品の中で、まっとうすべき役割があることをいやが応でも思い知らされ、プロとしての意識を持った作品でした。余計な自意識は取り除かなければいけないのだと。

それから、当然、演劇の場合、劇評というものがついてくるわけですが、劇評に左右されてはいけないと思ったのも「レ・ミゼラブル」でした。自分がどんなに必死に頑張っても劇評には反映されない。それは、自分の力が足りていなかったということもあるのかもしれませんが、逆に自分ができる範疇(はんちゅう)を超えたところにあるものという気もします。

-今年の2月から3月には36年ぶりとなる全国ホールツアーも開催されました。そこではファンの皆さんと40周年をお祝いされたかと思いますが、斉藤さんにとってファンとはどんな存在ですか。

 40周年記念コンサートツアーは、タイトルに「水辺の扉」とつけさせていただいたのですが、「本来あるはずがないようなものだけど、その扉の向こうに抜けると何かがまた始まるかもしれない、あるいは何かの終結かもしれない」という抽象的なイメージでつけたものです。私の中では40周年のコンサートツアーを行うのはすごく不安だったんです。舞台上で歌を歌うことはやればできるのかもしれないけれども、成功する自信がなかった。でも、全公演ソールドアウトの中、開催させていただき、満杯のお客さんをステージ上から見たときに、すごく責任を感じました。お客さんたちが40年前から応援してくださっていると仮定したら、その40年でいろいろな人生を送り、それでも見に行きたい、歌を聞きたい、今の私を見たいと、少なくないお金を払ってきてくださっている。それに対して、何かを感じてもらえる、何かを届けるだけのインパクトや強さを感じていただけるのか。夢や覚悟を見てもらえるか。

それができなければ、こうして来てくださっているお客さんに対して失礼だなと強く感じました。40年というのはそうした年月だと思います。一言で言うなら、感謝の気持ちでいっぱいでした。

-久しぶりの舞台出演となる本作でもまた、たくさんのものを客席に届けられるのではないかと期待しています。改めて、この作品の見どころを教えてください。

 「ゆっくり落ちていく」という意味の「Falling Slowly」という本作のすばらしい代表曲があります。一組の男女のお話が軸になっていますが、恋する切なさだけでなく人生の切なさも美しく表現された歌です。その曲を聞くためだけにでも来ていただきたいと思うような唯一無二の楽曲です。すてきな楽曲の多い作品ですので、そうしたところもぜひ楽しみにしていただければと思います。

(取材・文・写真/嶋田真己)

 ミュージカル「Once」は、9月9日~28日に都内・日生劇場ほか愛知・大阪・福岡で上演。

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