海辺の街に暮らす14歳の美術部員と仲間たちに起きたちょっと不思議なひと夏の出来事を小豆島でのロケで描く、横浜聡子監督の『海辺へ行く道』が8月29日から全国公開される。本作で主人公の高校生・奏介を演じた原田琥之佑に話を聞いた。
-最初に脚本を読んだ時の印象と、映像をご覧になっての感想は?
最初に脚本を読んだ時は、どういう映像になるのか全く予想がつきませんでした。実際に映像を見てみたら、ちゃんと脚本通りになっていることに驚きました。ここから撮っていたんだと思ったシーンもありました。特に舞台用の大きな絵を描くシーンがあるのですが、自分が想像していた以上にキャンバスが大きくて、しかも抽象画だったのですごく印象的でした。
-原作漫画を読んだ印象を。
本当に映像化できるのかなと思いました。
-実際に演じてみて感じたことは?
演じながら一番感じたのは奏介の純粋さでした。芸術に対しての見方がすごく純粋で、芸術が楽しくて好きでやっていることが伝わるように意識して演じました。
-奏介のキャラクターについてはどう思いましたか。
奏介自身は考えていないと思いますが、彼が描くものはいろんな人を魅了したり巻き込んでいくから、奏介自身が芸術なんじゃないかと思います。
-演じる時に気を付けたことはありましたか。
奏介は14歳ですが、14歳を演じるというよりも、身ぶりや手ぶりを大きくして、5歳ぐらいのつもりで演じました。
-横浜聡子監督とはたくさん話をしましたか。
僕は撮影当時13歳だったので、精神年齢を5歳でやろうとしても8歳ぐらいになってしまうんです。だから監督から「もっと幼くしてもいいよ、もっと身ぶり手ぶりを大きくして声も大きくしていいよ、アドリブも入れてもっと自由にやっていいよ」と言われたので、そのようにやりました。
-本当に絵を描いたりもしたのですか。
描きました。最後のシーンで海を描くところや、奏介の家にある絵も何枚か僕が描きました。もともと芸術や美術はすごく好きだったので、こういう観点もあるのかという新しい発見がありました。僕が自分で描くのはアニメキャラクターの絵が多いのですが、奏介の書き方もちょっとまねしたりしています。
-同年代の共演者とはアドリブでやり取りをしたこともありましたか。
奏介がテルオたちと大きなオブジェを作るシーンがあって、映画のスピードはずっとゆっくりなのに、あのシーンだけ会話のスピードが速くなるんです。そこで結構アドリブを入れたんですけど、長過ぎたのかだいぶカットされてしまいました。
-ロケは小豆島でしたそうですね。
1カ月ぐらいいました。大人のキャストたちは島から出て、別の仕事に行って、また島に戻ってくる感じでした。小豆島って、いい意味であまり物がないので、すごく空気もきれいだし、心地いいので印象深いです。
-お母さん役の麻生久美子さんをはじめ、共演者の人たちで印象に残ったことはありましたか。
麻生さんが本当のお母さんみたいに優しくて包容力のあるお芝居をしてくださったので演じやすかったです。それから特に印象に残ったのは菅原小春さんです。僕もダンスをちょっとやっているので、菅原さんがすごいダンサーだということは知っていましたが、お芝居もするんだということにとても驚きました。
-原田さんにとってこの映画は、どんなものになりましたか。
何より俳優陣も製作陣もすごく個性がある方々だったので、撮影の日々が昨日のことのようによみがえってきます。とても楽しかったです。大変だったのは、当時僕は髪の毛が短くて、かつらを被っていたのですが、小豆島の夏はすごく暑いんです。
-原田さんにとって、ターニングポイントになったと思うことはありますか。
初めて出た『サバカン SABAKAN』(22)という映画です。お芝居が初めてだったので撮影の前日まで怖くて嫌だと思って何回も泣いたんです。でも、いざやってみたらすごく楽しくて。撮影する前は、特に趣味もなかったし、心の底から楽しいと思えることもなかったんですけど、お芝居をやってみたらものすごく楽しくて。「これだ!」と思いました。
-10年後、25歳の自分に向けて何かメッセージを送るとしたら。
ちゃんと真面目に俳優をやっているのかを聞きたいです。未来の自分にチャラチャラしてほしくないので、真面目にやっててよと思います。
-観客や読者に向けて、この映画の魅力をアピールしてください。
この映画は、何もない島での少年たちの青春劇のようなお話です。でも芸術もあるし、人の温かさもいっぱいある。だから何でもあるけど、何にもないみたいなところが一番の魅力だと思います。個性が強いキャラクターがたくさん出てきますが、大人より子どもの方が大人です。そこも魅力だと思います。
(取材・文/田中雄二)