魂が揺れた。真夏の夜の熱闘だった。
地元とも言える花園で躍動したトンプソン・ルーク
チームの最年長、38歳の”トモさん”ことトンプソン・ルークにとって、東大阪・花園ラグビー場は「我が家」のようだった。この地を本拠地とする近鉄に14年間所属。地元ファンの声援を受け、いつものごとく、献身的なプレーでチームを鼓舞した。
8月3日の夜。
「エモーショナル(感情的)だね」と、トンプソンはしみじみと漏らした。独特のイントネーションの大阪弁でつづける。
「めちゃ、心いっぱいね。
トンプソンにとっても、改装後初めての試合だった。「エモーションはちょっと、高かった。緊張した」と打ち明ける。
「難しいね。僕らみんな、ジェイミーに尊敬…。日本語がよくわからないけど、彼のためにもいいプレーをしたかった。彼のために…。だから、いい結果はうれしい」
もちろん、試合になれば、トンプソンも他の選手も、試合に集中した。
「あの、僕は自分の仕事だけ、集中ね」
テストマッチの立ち上がりは重要である。ポイントのひとつが、ラインアウトからのモールの攻防だった。先のフィジー戦ではここでのディフェンスでやられた。でも、この日は違った。開始直後、ウイングの松島幸太朗が故意のノックオンでシンビン(一時的退場)となった。その数的不利にあって、ゴール前のピンチのラインアウトとなった。
ラインアウトからモールとなり、トンガの白いジャージの塊を、日本代表フォワードの濃紺ジャージが束になって押しとどめる。後部からどんとくさびを打ち込んだのがトンプソンだった。押す。耐える。モールはほとんど動かず、トンガにボールを出させた。オープンに蹴らせ、相手のミスもあって、トライにはならなかった。
「ラッキーだった」。トンプソンは流れ落ちる汗もぬぐわずに漏らした。フィジー戦で負った右目の下にはまだ、あざが残っている。けがはからだを張った選手の勲章か。
「あれで、僕らは逆に勢いをつけたんだ。きょうのラインアウトのディフェンスの出来はスバらしい」
日本代表は反撃に転じ、前半10分、こんどは日本FWがゴール前ラインアウトからのモールをごりごり押し込んで、最後はナンバー8のアマナキ・レレイ・マフィがインゴールに抑え込んだ。先制トライ。
これで日本は流れをつかんだ。素早く、激しく、迷いのないディフェンスでリズムをつくった。チームの成長をいえば、対応力だろう。トンガのラインのうしろにスペースがあるとみるや、効果的なキックを絡めていった。相手ラインアウトの雑さを見ては、タッチキックも増やした。臨機応変だ。
田村優の絶妙キック。松島、福岡堅樹の快走…。5トライを奪ったのも、ディフェンスと、ラインアウト、スクラムのセットプレーの安定があったからだろう。ラインアウトは、日本ボールでは9本中7本を成功させた。トンガボールは16本中8本にとどまった。実は、日本FWはうまくプレッシャーをかけ、相手のハンドリングミスを誘っていた。
この試合、トンガの先発FWには身長190cm台が5人もいるのに、日本は196cmのトンプソンひとりだった。高さの差を「精度」と「クイックネス」、「コンビネーション」でカバーする。疲れていても、スローワーとジャンパー、リフターが同じタイミング、同じ高さのリフティングをできるかどうか、だ。
宮崎合宿でも、夜のセッションでラインアウトに割く時間が増えていたからだろう。みんなの呼吸が一致するようになってきた。
トンプソンは満足そうに言った。
「きょうのメンタルの意識と精度はスバらしかった」
トンプソンは「経験値」と「ハードワーク」に長けている。動きに無駄がなく、素早いサポートプレーに徹する。ランが得意の選手の中にあって、ラックのすき間に頭を突っ込む選手は貴重だ。タックルも、基本通り、まっすぐ、激しくからだをあてていく。
チームが窮地になれば、声も出す。FWの動きを間近に見るスクラムハーフ(SH)の流大は「”頼りになる”のひと言です」とトンプソンを評した。
「練習からぜんぶ、100%ですし、やっぱり、みんながトモさんのことを信頼している。あれだけ、からだを張って、チームを引っ張ってくれるんですから。トモさんが何かを言えば、みんながグッとひとつになるんです」
この日も後半、試合が膠着しているとき、トモさんは大声を張り上げたそうだ。「何も悪くない。いっぱい練習してきたんだから、自信持ってやろう」と。
ニュージーランド出身のトンプソンは2004年に三洋電機(現パナソニック)に加入し、06年から近鉄でプレーしている。10年、日本国籍を取得。ラグビーワールドカップには3回、日本代表として出場した。とくに15年のイングランド大会では4試合ともフル出場し、3勝1敗の原動力となった。最後の米国戦の直後、日本代表引退を宣言した。
だが、日本代表にケガ人が続出したこともあって、請われて、17年春のアイルランド代表戦に出場した。今年に入って、親しいトニー・ブラウンコーチから電話をもらった。スーパーラグビーの日本チーム、サンウルブズでプレーしてはくれまいか。自ら「おじいちゃん」と笑うトンプソンは言った。
「available(大丈夫)」
トンプソンは、サンウルブズでも100%の全力プレーに徹した。日本代表候補の宮崎合宿に呼ばれた。妻も背中を押してくれた。日本代表として4度目のRWC出場を目指す。
ブラウンコーチはこの日、ジョセフHC不在で、急きょ、日本代表のHC代行を務めた。80分間フル出場のトンプソンのパフォーマンスはどうでしたか?と聞けば、44歳のブラウンコーチは「38歳だよ」と驚愕の顔付きをつくった。
「なんという男だ。一生懸命、練習をしている。代わりがいない、本当に頼りがいのある選手なのだ」。少し、間をおいて、繰り返した。「38歳なのだ」
若さを保つヒケツを問えば、トンプソンはかつて、「ナチュラル(自然体)」と笑っていた。メディカルスタッフ、トレーナーのアドバイスを忠実に守り、オイルマッサージなどでからだの手入れは怠らない。「食事とライフスタイルは、バランスを大事にしている」。時にはお好み焼きも食べる。あとは、「ハードワーク」である。
チームとしても、個人としても、まだ課題はある。疲れがたまった後半にブレイクダウンの寄りのスピードが落ちた。相手にからまれ、ボール出しが遅れた。ターンオーバーも許した。
フィジーに続き、”仮想サモア”のトンガに勝ったとはいえ、これで「ベスト8はいける」なんて考えるのは安直すぎる。W杯でのアイルランド、スコットランドはぐっとチーム力をあげてくる。
W杯に向け、ロック(LO)候補は6人。W杯のことを聞けば、トンプソンは言った。
「まだ(W杯)メンバーはわからない。僕の判断じゃない。毎日、自分の仕事だけ、集中ね。アピールね」
前回の2015年W杯では南アフリカを倒し、日本ラグビーの歴史を変えた。今度はベスト8に進み、ふたたび歴史を変えようとしている。愚問ながら、W杯に出たいか?と聞けば、トモさんは声のトーンを上げた。
「もちろん、だよ」
日本代表は、今月末にはRWC最終メンバー31人が決まる予定だ。トモさんのあくなき挑戦はつづくのである。