Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

ベガルタ仙台 シマオ・マテ(1)

Jリーグは今年28年目を迎える。現在は、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。

彼らはなぜ日本でのプレーを選んだのか。日本でのサッカーや、日本での生活をどう感じているのか? この連載では、彼らの本音を聞いていく。

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 はちきれんばかりの肉体が生み出すバネと執拗なマーキングを武器に、2019年シーズンのベガルタ仙台を最後尾から支えたシマオ・マテ。

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ベガルタ仙台でプレーする、モザンビーク出身のシマオ・マテ

 1年目は序盤戦こそ適応に時間を要したが、初夏の訪れとともに先発に復帰すると、6月はチームの全勝に貢献してJ1月間MVPに選出された。

 以降は不動の存在となり、終盤戦には腕章を巻くリーダーのひとりに。最終成績は24試合3得点──ゴールはすべて、筋肉と軸の強さを感じさせる、ヘディングで奪った。
ファンとメディアから、それぞれベガルタのシーズンMVPに選出されている。

 険しい表情で敵に睨みを利かせ、時に激しく仲間を鼓舞する闘将然とした姿も見ていたため、インタビュアーはその人物像をあれこれと想像していた。気難しい無口なタイプだったら、少しは質問も変える必要があるかな、と。

 けれど、それは杞憂にすぎなかった。柔らかな陽射しに恵まれた11月下旬の仙台で、約束の場所に現れた31歳のCBは、終始鷹揚な笑顔をたたえていた。

 対話はもともと、彼の出身地モザンビークの公用語であるポルトガル語で予定されていたのだが、「英語を話しますか?」と聞くと、「まったく問題ないよ」と返答。
「そっちのほうが直接話せるからいいよね」とニコニコしながら言い、通訳の方にも「大丈夫」と目配せをした。

 10代で母国を離れ、パナシナイコス(ギリシャ)、山東魯能(中国)、レバンテ(スペイン)、アル・アハリ(カタール)でプレーしてきたシマオは、2019年1月に仙台に加入。チャンピオンズリーグやラ・リーガといったトップレベルを肌身で知る彼が、日本を選んだ理由は何だったのだろうか。

「じつは(山東に所属していた)6年前にも、日本行きの話があったんだ。その時は結局スペイン行きのオファーを選んだわけだけど、うちの奥さんが日本にすごく行きたがっていてね。彼女はイタリア人で、僕がギリシャでプレーしていた時に知り合ったんだけど、イタリアでもギリシャでも日本食はすごく人気があるんだ。



 妻は日本の文化についても詳しくて、その後も『シマオ、日本のクラブから正式なオファーを受けたなら、挑戦しましょうよ!』とよく言っていた。それにここ何年も、世界中が日本の好印象を語り続けている。僕も日本には興味を抱き続けていた。それは僕ら夫婦の夢だったと言ってもいい」

 柔和な表情でシマオは続ける。

「つまり、この移籍で6年越しの夢が叶ったんだ。もちろん、妻だけでなく、僕も日本に来てみたかった。
当然、成功する保証はどこにもなかった。でもまずは行ってみて、チャレンジしたいと思ったんだ。

 プロのサッカー選手の多くは(シマオは外国人に珍しく、この競技を日本やアメリカで通じるサッカーと呼ぶ)、新しい挑戦を得ることで、モチベーションを維持したり、高めたりしていると思う。僕も挑戦が大好きだ。自分のキャリアはそうやって形成されてきた。若くして欧州へ渡り、異なる国や文化に飛び込んできたんだ。
どこに行っても外国人ではあるけど、その分、面白い経験もできる。オープンマインドにもなれるしね」

 独特の節と間に英語を乗せ、にこやかにシマオは語り続ける。ただ初めての日本の生活に慣れるまでには、相応の時間がかかった。5月末までの13節で先発3試合(出場5試合)と、それはピッチ上の数字にも表れている。

「最初は率直に言って、ちょっと不思議に思ったよ」と言った時、シマオの表情はにこにこから、にやにやに変わった。口調は変わらず、彼の母国で親しまれているティータイムを想起させるように、ゆったりとして柔らかい。

モザンビークの首都マプトには、息を飲むほどに美しい海岸線もあるらしい。そんな場所で育ったおおらかなシマオを最初に驚かせたのは、時間や予定の感覚だったという。

来日の夢が叶ったベガルタ仙台シマオ・マテは「地下鉄に驚いた」

「日本に来るのは夢だった」とシマオ・マテは言う photo by Getty Images

「まず、必ず時刻どおりにくる地下鉄には、本当に驚いたよ! そんな国はほかにないだろうね。それから僕の印象では、日本人の多くは1日が始まる前に、その日のスケジュールが決まっている。でも僕のようなプロのサッカー選手は、練習が終わって、家族や友人に電話して、今からランチでも行こうよと、気軽に誘ったりしたい。でもこっちの人は、急にスケジュールを決めるのが好きじゃないでしょ、一般的に。たとえばあなたを誘うには、1週間前に連絡しなきゃいけないでしょ?(笑)」

 他者への敬意の払い方にも、びっくりした。もちろんよい価値観ではあるんだけど、僕にとってそれは大きな衝撃だった。ちょっと過剰というか。たとえば、僕は地下鉄やレストランで普通に大きな声で話したいのに、周囲を気にしてか、そんな風にしている人は誰もいない。だから僕も静かにしなければいけないんだろうな、と。

 サッカーのトレーニング場やスタジアムは、もちろん大きな声を出していい場所だけど、最初は日本語をなにひとつ知らなかったので、今度はその難しさがあった。でもラッキーなことに、ベガルタのチームメイトはものすごく歓迎してくれた。彼らはありのままの僕を受け入れてくれたんだ。シマオ、大声を出したければ、出せばいい。叫びたければ、叫ぶんだ、とね(笑)」

 そんな仲間の助けもあり、シマオは初夏から本領を発揮しだすと、すぐさまチームに不可欠な存在となっていったのだった。

(つづく)

シマオ・マテ
Simao Mate/1988年6月23日生まれ。モザンビーク・マプト出身。ベガルタ仙台所属のMF&DF。19歳の時にギリシャのパナシナイコスでキャリアをスタートさせ、ヨーロッパとアジアで活躍。2019年シーズンから仙台でプレーしている。パナシナイコス(ギリシャ)→山東魯能(中国)→レバンテ(スペイン)→アル・アハリ(カタール)