今年は横浜FMと浦和が襟付きユニフォーム

 今年で30年目を迎えたJリーグでは、初年度からリーグに参加している「オリジナル10」と呼ばれる10クラブで、さまざまな記念企画が実施されている。

 選手が試合で着用するユニフォームにも、工夫をこらした記念モデルが登場。そのなかで特に話題を集めているのが、横浜F・マリノスと浦和レッズの襟付きユニフォームだ。

横浜F・マリノス、浦和レッズが採用。サッカー界に襟付きユニフ...の画像はこちら >>

今季Jリーグでは横浜FM(左)と浦和(右)が襟付きユニフォームを採用

 今回の横浜FMのユニフォームは、30年前の1992年に着用されていたモデルをモチーフとし、両脇にトリコロール模様のデザインが施されているのが特徴的で、当時と同じように襟付きVネックを採用。レトロとモダンをミックスしたものだ。

 横浜FMは、2016年のカップ戦用ユニフォームと2012年のクラブ創立20周年記念ユニフォームでそれぞれ襟付きモデルを採用しているが、リーグ戦用の基本ユニフォームとしては、1シーズンだけ着用された2001年の5代目モデル以来のことになる。

 一方の浦和も、30周年に合わせて2012年以来となる襟付きモデルが復活。レッズは2010年と2011年にも襟付きユニフォームを採用していたが、今シーズンのモデルでは、20周年に合わせて採用された2012年モデルと同じように、胸元にボタンを加えたユニフォームになっている。

 胸元ボタンは初代モデルから採用していたレッズのこだわりでもあるため、オールドファンにとっては感慨深いユニフォームと言えるだろう。

 これら襟付きユニフォームが改めて注目を浴びる理由は、レアケースだからにほかならない。実際、今シーズンのJリーグ全58チームのなかで襟付きユニフォームを着用するチームは、横浜FMと浦和以外では、J2モンテディオ山形(セカンドユニフォームのみ)しか存在しない。

 1993年に産声をあげた当時のJリーグでは、10チーム中8チームが襟付きユニフォームを着用し、襟なしモデルはヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)とガンバ大阪だけだったことを考えると、この30年でユニフォームのトレンドがいかに変化したかがわかる。

 転換期は、日韓共催の2002年W杯前後の時代。ユニフォームの製作過程において、デザイン性やファッション性よりも、通気性や発汗性といった機能性を重視する傾向が強くなると、襟付きユニフォームはあっという間にピッチから消えていく運命を辿った。

 その変化は、近年における日本代表歴代ユニフォームを振り返るとわかりやすい。

機能性重視で2000年代に衰退

 たとえば、日本代表ユニフォームで初めてレプリカユニフォームが販売されたのは、広島で開催された1992年アジアカップで着用されたモデルになるが、それから2001年までに着用された計6つの日本代表ユニフォームは、いずれも襟付きモデルだった。

 ところが、2002年W杯で着用されたユニフォームでは、襟なしのVネック型にモデルチェンジ。最大のポイントは、裏地にメッシュ素材を使用した二重構造に変わったことで、エンブレムもプリントタイプに変わるなど、徹底的な軽量化が図られた。

 ちなみに、2002年W杯の出場チームのなかで襟付きのユニフォームを着用したのは、32チーム中6チーム。ブラジルとクロアチアはセカンドユニフォーム限定だったので、ファーストユニフォームが襟付きだったのは、韓国、アメリカ、ナイジェリア、コスタリカの4チームしかなかった。

 おそらくオールドファンが当時のユニフォームで真っ先に想起するのは、大会前にカメルーン代表が着用した袖なしユニフォームだろう。軽量化を極めるべく史上初めて登場したその斬新なユニフォームは、残念ながらFIFAに認められずにお蔵入りとなったが、当時は超レアなコレクターアイテムとして絶大な人気を誇った。

 そのほかでは、イタリア代表が本番で着用した上半身にジャストフィットした特徴的なフォルムの丸首型ユニフォームも印象深いが、とにかくその時代から各メーカーは機能性を追求すべく技術開発にしのぎを削るようになった。そんな技術開発競争のなかで置き去りになってしまったのが、デザイン性とファッション性だ。

 サッカーのユニフォームの歴史を振り返ると、そのルネッサンス期と言えるのが1990年代になる。

 特にイングランドでプレミアリーグが幕を開けた1992年以降、各チームがサポーター向けのレプリカユニフォーム販売に力を入れるようになり、一流デザイナーも開発に参画して頻繁に新モデルをリリース。そこに縫製技術の進化が加わったことで、多種多様なデザインやカラーリングを施した特徴的なユニフォームが続々と登場した。

 ファッション性やデザイン性が重要視されたその時代のけん引役は、当時プレミアリーグの主役を担った名門マンチェスター・ユナイテッドだった。

襟付きユニフォームの象徴・カントナ

 それまでVネック型ユニフォームを採用し続けていたマンチェスター・ユナイテッドが、クラッシックな襟付きモデルを10年ぶりに復活させたのも、プレミアリーグが産声をあげた1992年のこと。1994年から1995年には、本拠地オールド・トラフォードの絵柄がシャドープリントされた画期的な襟付きユニフォームを採用した。

 そのモデルは世界的に人気を博し、1995年にはレッズがそれと同じ仕様で駒場スタジアムの絵柄をフロント部分にデザインしたモデルを着用している。

 当時マンチェスター・ユナイテッドのカリスマだったフランス代表のエリック・カントナは、襟付きユニフォームの象徴的選手だ。特にゴールを決めたあと、ユニフォームの襟を立てたカントナが両手を腰につけて胸を張る姿は、世界中のサッカーファンの目に焼きつけられた。ある意味、襟付きユニフォームの魅力を教えてくれた人物と言っていい。

 それ以降では、ドワイト・ヨーク(マンチェスター・ユナイテッドほか/トリニダード・トバゴ)、ガブリエル・バティストゥータ(フィオレンティーナほか/アルゼンチン)、フランチェスコ・トッティ(ローマ/イタリア)らが襟立ての継承者として知られるが、日本でもセレッソ大阪のレジェンドのひとりでもある元日本代表の西澤明訓が、ユニフォームの襟を立ててプレーする選手として知られている。

 今回、横浜FMと浦和の襟付きユニフォームに注目が集まった理由は、おそらく機能性とは別のところの、ユニフォームの"遊び"の部分にある。そういう意味で、ほとんどのチームがVネックや丸首のユニフォームを採用するなか、ノスタルジックな襟付きユニフォームが復活したことは、今後のJリーグにおけるユニフォームデザインに何らかの影響を与える可能性を秘めている。

 さらに、そのなかで"襟立て"の選手が活躍したとなれば、襟付きユニフォームのインパクトも倍増必至。その魅力が、より多くのファンに伝わることになるだろう。