Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

FC東京 ヤクブ・スウォビィク インタビュー 後編 前編はこちら>>

毎試合すばらしいセービングで見る者を熱くさせる、FC東京のGKヤクブ・スウォビィク。ケガに悩まされながらも母国ポーランドでキャリアを積み、28歳で日本行きを決断した。

インタビュー後編では、Jリーグでプレーするようになった経緯や、来日してからの感想を語った。

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FC東京・スウォビィクが28歳で日本行きを決断した理由。「勇...の画像はこちら >>

毎試合好セーブを見せるスウォビィク。Jリーグでプレーするようになった経緯を語った

ケガでの苦しい日々で人間として成長できた

「英語ではうまく説明できないんだけど、ゴールキックを蹴った瞬間に右脚に激痛が走ったんだ。ハムストリングの損傷で、選手生命を危ぶまれるほどの重傷だった。復帰までに要した期間はおよそ8カ月。ものすごく辛い時期だったよ」

 伝統的に優れたGKを輩出しているポーランドでも、屈指の若手GKとして頭角を現していた20歳のヤクブ・スウォビィクを大きな故障が襲った。彼は当初、できるだけ早く母国で活躍して西欧のリーグに移籍したいと考えていたが、それよりもまず、自分の体と向き合う必要に迫られた。

「プロになるまでは割とスムーズだったけど、そこで一旦、自分が描いていた展望を修正しなければならなくなった。それまでに経験したことのない大きなケガだったからね。ただその苦しい日々のおかげで、人間として成長できたし、選手としてはよりプロフェッショナルになれたと思う」

 翌年に復帰すると、精神面の成長を遂げたスウォビィクはヤギエロニア・ビアウィストクで再びエクストラクラサ(ポーランド1部リーグ)にレギュラーとして出場するようになり、シーズン後半戦には21歳にして代表にデビュー。

 ヴォイチェフ・シュチェスニー(現ユベントス)とポジションを争い、ロベルト・レバンドフスキ(現バイエルン)を目掛けてゴールキックを蹴った。

 しかし充実した日々はまたも負傷によって途絶えてしまい、その後はいくつか移籍の判断も誤った。そのなかには、2015年の日本からの勧誘も含んでいいかもしれない。

同胞カミンスキーのアドバイス

「あれは2014年の暮れだったと思う」とスウォビィクは振り返る。

「日本と密接な関係にあるポーランド人の代理人から、『Jリーグに興味はないか』と訊かれたんだ。もちろん興味はあったけど、当時はフランスのクラブからも誘われていた。それに移籍先は、J2のクラブだという。

 少し迷っていたら、クジェ(クシシュトフ・カミンスキー)にも声がかかったみたいで、彼に決まった。それがクジェのジュビロ磐田への移籍だよ」

 結局、スウォビィクは国内に留まることになり、ポーランドで移籍もしたが、出場機会はまちまちに。「キャリアが少し停滞しかけていた」と感じていたものの、そこで腐らずにハードワークを続け、2017-18シーズンの中盤戦からスウォンスク・ヴロツワフで定位置を掴んだ。

 翌2018-19シーズンは開幕から正GKを務め、シーズンを戦い抜くと、またも日本からのオファーが舞い込んできた。

ベガルタ仙台から誘ってもらったんだけど、その時は義理の父が亡くなったばかりで、日本という遠い異国へ移る決断がなかなかできなかった。それでも日本からの2度目のオファーだったので、これも何かの縁と感じ、妻と話し合って新しい旅に出ることを決めたんだ」

 28歳の誕生日を翌月に控えた頃に、初めての海外移籍を決断した。そこは彼が生まれ育った東欧とは、文化も気候も言語も人種もなにもかもが異なる極東の地だ。彼は妻と赤ん坊の娘を連れて、まさしく挑戦の旅に出帆したのだった。

「勇気は必要だったけど、結果的にそれは最高の決断だったよ」とスウォビィクは朗らかに話す。

「クジェ(カミンスキー)と彼の妻のナタリアからも有益なアドバイスをもらっていて、それが僕らの背中を押してくれたこともある。そして実際、彼の言葉はすべてが本当だった。日本は(天災を除いて)実に安全で、食べ物は美味しく、すばらしい文化がある。人々はとても親切で、Jリーグはレベルが高い。まさにそのとおりだった」

 とはいえ、最初の試合で驚いたこともある。

壁にぶつかっても諦めない

「あれは7月のセレッソ大阪とのアウェー戦だった。

聞いてはいたけど、ものすごく蒸し暑くて、試合前のアップを終えた時、90分の試合を終えたような気がしたよ(笑)。でも僕はそれが日本での初先発だったので、モチベーションもすごく高くて、集中して試合に臨むことができた(0-0の無失点に貢献)。

 日本の選手は全般的に良質で、レベルはポーランドよりも上だと感じたよ。とくに印象に残ったのは、ほとんどの選手が両足とも強くて正確なキックを蹴れること。完全に集中していないと、ゴールを守れないとわかったよ」

 そんな日本の選手やチームの特長にも慣れたはずだったが、FC東京に移った今シーズンは、珍しい場面にも遭遇した。5月8日のホームでのサガン鳥栖戦で、スウォビィクが味方のバックパスを手で処理したことにより、ゴール目前のボックス内で相手に間接FKが与えられた。

 鳥栖の選手たちはこのキックの際に、何度もフェイクを入れて、5人目がシュートを放ったものの、FC東京の壁に当たって失点は免れた。このシーンは、スウォビィクの母国ポーランドでも「スローでコミカルなプレー」などと報じられている。

「本当に珍しいシーンだったよね。あそこまでゴールに近い位置でのFKはそうそうあるものではないし、彼らのアイデアも斬新だった。僕らにとっては難しい状況だったけど、チームメイトと共に落ち着いて対処でき、ゴールを割られずに済んでよかった」

 その前に4試合連続で無失点を記録した時は、スウォビィク自身のパフォーマンスにあらためて脚光が集まった。Jリーグ屈指と評されるゴールキーピングに秘訣はあるのだろうか。

「とくになくて、シンプルに毎日ハードワークするのが一番大事だね」とにこやかな表情のまま彼は続ける。

「そして常に成長を望み、壁にぶつかっても諦めないこと。幸運にも、ここまでのJリーグではいい働きができていると思うけど、僕は過去を振り返らずに未来を見ている。よりよい未来にするために、これからも努力を続けるだけさ。

 まだまだ学ぶべきことはたくさんあるし、改善できることもある。そしていずれ、アジア最高のGKと呼ばれるようになりたい」
(おわり)

ヤクブ・スウォビィク
Jakub Slowik/1991年8月31日生まれ。ポーランド・ノヴィ・ソンチ出身。FC東京所属のGK。ユース時代から頭角を現し、スパルタザモツリーをキャリアのスタートに、スパルタ・オボルニキ、ヤギエロニア・ビアウィストク、バルタ・ポズナン、ポゴンシュチェチン、スウォンスク・ヴロツワフと国内で活躍する。2019年にJリーグのベガルタ仙台に移籍、2シーズン半プレーしたあと、2022年シーズンからFC東京のゴールを守っている。