元寺尾・錣山親方の『鉄人』解説
~2022年秋場所編

元関脇・寺尾こと錣山(しころやま)親方が、本場所の見どころや話題の力士について分析する隔月連載。今回は、9月11日から始まった秋場所(9月場所)において、序盤戦で注目を集める2人の力士について解説してもらった――。

 大相撲秋場所(9月場所)が9月11日から両国国技館で始まっています。

 その本場所を前にして、8月には関東近郊で2年8カ月ぶりとなる夏巡業が行なわれました。新型コロナウイルスの感染対策を徹底しての開催で、従来のようなファンの方々とのふれあいは十分とは言えなかったかもしれません。けれども、多くのお客さまに足を運んでいただき、非常に感激しました。

 また、今場所初日に私はNHKラジオの解説を務めたのですが、解説席から見たマス席が白く染まっていたのが印象的でした。今年は残暑が厳しく、9月半ばであっても白いシャツを着て来場される方が多く見受けられ、その方たちが暑さをしのぐため、団扇や扇子を使用。

それらがあちらこちらで揺れているシーンを見て、「お客さまが戻ってきている」ということを実感できて、とてもうれしく思いました。

 思えば、初の無観客開催を実施したのは、2020年春場所(3月場所)のこと。以来、さまざまな段階を経て、現在に至っています。肉眼で見てもわかるほど国技館に活気が戻ってきた今、力士をはじめ、私たち相撲協会員はみなさまに感謝するとともに、改めて気持ちを引き締めなければ、と思いましたね。

 さて、今場所は久しぶりに3関脇(若隆景、豊昇龍、大栄翔)、3小結(阿炎、逸ノ城、霧馬山)という番付になりました。それらを含め、先場所は新型コロナウイルス感染などで休場力士が多かった影響もあり、上位力士の顔ぶれはほとんど変わっていません。

 つまり、それだけ実力が拮抗しているとも言えます。そうした状況にあって、私としては"元気者"の三役陣に負けないよう、横綱・照ノ富士、貴景勝ら大関陣に優勝戦線を引っ張っていってほしいと思っています。

 そんな今場所、序盤で目を引く存在となっているのが、若元春(前頭6枚目)です。今年の春場所で初優勝した若隆景の兄(次兄)ということで、このところ知名度が上がってきていますが、もともと実力のある力士。私は、彼が若い頃から注目して見ていました。

 身長186cm、体重135kgの筋肉質でバランスのとれた体躯。

左四つの型を持っていて、最近は突っ張りも覚えてきており、ますます楽しみな存在となっていました。

 その若元春、初日はベテラン佐田の海に対して、うっちゃりで勝利。続く2日目には200kg近い巨漢の碧山を速攻で押し出したかと思えば、3日目の宝富士戦では長い相撲の末、またもうっちゃりで白星を挙げました。3連勝のうち、2度のうっちゃりは珍しいことです。

秋場所で話題の力士2人を錣山親方が解析。どんなところに魅力を...の画像はこちら >>

佐田の海にうっちゃりで勝った若元春(写真左)

 ただ、うっちゃりはあくまでも"逆転勝利"。3日間の相撲内容自体は決していいとは言えません。
こういう相撲を取り続けていると、ケガにつながる可能性もあるので、推奨もできません。

 それでも、すばらしいと思うのは、勝負を諦めない姿勢です。それが、好結果につながっているので、その気持ちをこれからも持ち続けてほしいと思っています。

"目立っている"という意味では、新入幕の平戸海(前頭16枚目)もいいですね。

 四股名からもわかるように、長崎県平戸市(平戸島)の出身。小学生の頃から相撲に親しんでいて、地元の中学校を卒業後、境川部屋(元小結・両国)に入門しました。

厳しい稽古で知られる部屋で揉まれたことによって、22歳で新入幕を成し遂げました。

 今場所は初日から、実にイキイキとした相撲をとっています。本人も「完璧な相撲です」と振り返ったように、自分が自分ではないような感覚で、いい相撲がとれているのかもしれません。

 彼は先場所、十両8枚目という地位でした。そこで、10勝を挙げて新入幕を果たしたのですが、この新入幕には本人も「まさか!?」と思ったのではないでしょうか。

 振り返ってみれば、私の新入幕(1985年春場所)の時もそんな感じでした。

前場所、十両7枚目で12勝したものの、新入幕など到底無理だと思っていました。

 ところが、思いがけないことに新入幕が決定。その場所は相撲を取るのが楽しくて、楽しくて(笑)。緊張感などなく、毎日精一杯相撲をとっていました。

 おそらく、今場所の平戸海も同じような感じではないでしょうか。日々楽しくてしょうがないので、迷いなく相撲がとれる。それが、白星につながっているのでしょう。

 改めて自らのことを思い返してみると、私の長い力士人生のなかで、緊張することなく相撲が取れたのは、新入幕の場所と、引退した場所(2002年秋場所)の後半戦だけだった気がします。現役最後となった場所は、「勝っても負けても、(番付が幕下に)落ちても、精一杯やろう!」と決めて土俵に上がっていたので、逆に緊張感がなかったのでしょう。

 同様に、今場所の平戸海の相撲からも"精一杯"の気持ちが伝わってくるんですよね。

 初日に幕内初白星を挙げた時には、初めての懸賞金も受けとっていました。インタビューでは「懸賞金を師匠とおかみさんにプレゼントしたい」言っていましたが、その言葉に師匠がどれだけ喜んだことか......。

 私が初めて懸賞金を受けとった時はどうしたのか? 師匠(井筒親方=元関脇・鶴ヶ嶺)にプレゼントはしませんでしたね(苦笑)。

 というのも、師匠は実の父親で、子どもの頃からとても恐い存在でしたから。自分から近寄ることが憚られるというか、「懸賞金、いただきました!」などと、気軽に話をできるような関係ではなかったのです。

 ですが、私が錣山部屋を興してから育てた幕内力士(豊真将、青狼、阿炎)は皆、初めての懸賞金を私に渡してくれました。中身は使ってしまいましたが(笑)、懸賞金の袋は私の生涯の宝物です。

錣山(しころやま)親方
元関脇・寺尾。1963年2月2日生まれ。鹿児島県出身。現役時代は得意の突っ張りなどで活躍。相撲界屈指の甘いマスクと引き締まった筋肉質の体つきで、女性ファンからの人気も高かった。2002年9月場所限りで引退。引退後は年寄・錣山を襲名し、井筒部屋の部屋付き親方を経て、2004年1月に錣山部屋を創設した。現在は後進の育成に日々力を注いでいる。