第1回(全3回):32歳のルーキー・桂葵インタビュー
トヨタ自動車アンテロープスのルーキー、桂葵が自身にとって10年ぶりの5人制バスケット、Wリーグ(バスケットボール女子日本リーグ)という最高峰の舞台で奮闘している。大学まで全国トップレベルの選手として活躍しながら就職を機に競技から離れ、その後3x3(スリーエックススリー/3人制バスケ)の世界で選手、そして経営者として日々過ごしてきた。
異例とも言える道のりを経てきた32歳のルーキーは、これまでの節目でどのような決断を下して行動に移し、そして再び5人制のコートに戻ってきたのか。
【文武両道を貫きながらバスケ強豪校への進学を選択】
――桂選手は子どもの頃にドイツに住んでいたそうですね。海外生活がバスケットボールのキャリアや会社員として、人とは少し違った形での活動に影響を及ぼしましたか?
「そうですね。ドイツでは3年間、インターナショナルスクールに通っていて、さまざまなバックグラウンドを持っている子たちとひとつのクラスで過ごしました。その経験は今の自分にすごくつながっている3年間でした。
そこでは誰ひとりとして同じバックグラウンドの人がいなかったので、基本的にみんなが違っていることが前提で、一人ひとりが自分のキャラクターやスタイルを大切にできる環境だったと思います。帰国してからも『帰国子女』という枠でみんなとは違う立ち位置をポジティブに認めてもらえたのは、自分らしく生きていくためにすごく前向きに働いたなと思います」
――高校は桜花学園(愛知)、大学は早稲田と強豪校でバスケットボールをプレーしてきましたが、それぞれの進路を選んだ経緯はどのようなものでしたか?
「基本的に勉強も頑張っていた学生時代で、中学3年生の1年間はずっと塾に通って受験勉強をしていたんですね。だから、高校も進学校を目指すつもりでしたが、通っていた中学が東京都大会1回戦クラスのチームだったのに都道府県ジュニアオールスターでMVPをもらったことをきっかけに、いろんな高校からお声をかけていただきました。でもバスケで進学することに興味がなく、それらを"ノールック"で断っていたんですけど、桜花学園の井上眞一先生だけは、私の中学校に2回くらい来てくれて。
私はそれがリクルート目的だということも知らず、桜花の誘いにも最初は『行かないです』と返事していたら、顧問の先生から『さすがに(井上先生が)来てくださっているし、失礼だから、桜花へ練習に行ってから断ってくれ』と言われたんです。
それで練習に行くと、当時3年生だった髙田真希さん(現デンソー アイリス)がいて、1年生には(現アイシン ウィングスの渡嘉敷)来夢さんがいました。その頃は、進学校のバスケ部の見学にも行っていたのですが、(桜花は)あまりに世界観が違っていて、めちゃくちゃかっこよかった。そういった先輩たちにひと目惚れして、バスケを続けたというよりも、ここで、この先輩たちと同じ環境で過ごしてみたいと思い、決めました」
――見学へ行ったことで気持ちが変わったわけですね。
「スポーツ推薦みたいな形で桜花に行くことは決まったんですけど、親との約束で、進学校の高校受験もしました。私立の高校だったら補欠制度があるから、自分が受かって蹴ったとしても迷惑をかける人はいないと中学の先生にも言われたので、偏差値70を超える私立2校を受験して、そこに合格したうえで、最終的に桜花に行きました」
――早稲田に行かれた経緯はいかがですか。
「高校選びの段階で、学業とバスケの両方に取り組めるような高校が全国的に女子には少ない状況のなか、大学なら早稲田、筑波などと両立できるところがあって、高校入学前から早稲田には行きたい気持ちはありました。
早稲田へ進学する際も、スポーツ推薦だとスポーツ科学部に行かなきゃいけないし、バスケ部をやめられない。大学ではバスケ界とかスポーツ界じゃない人たちとも知り合いたかったので、スポーツ推薦の話はお断りして、自己推薦の形で社会科学部に入りました」
【もっと違う世界を見るために競技に区切り】
――そして早稲田大を卒業して、バスケは続けずに三菱商事へ就職されました。
「ここまでお話ししたようなことがバックグラウンドにあったので、自分にとってはそれほどサプライズな選択でもなかったんです。日本代表の合宿に参加していた時も、就活のために午前中の練習を休んでスーツを着て就活に行き、スーツのまま帰ってきて午後からの練習に合流する感じでした。周りの人たちからしたら、『桂ってそういう人だよね』みたいに見られていたと思います」
――なるほど。
「バスケはすごく好きだったんですよ。特に大学4年生の時はすごく楽しくて、もっともっとうまくなるんじゃないか、続けたいと思っていたんですけど、でもバスケ選手として出会える人には出会い尽くしたという気持ちが大きかったんです。もっと全然、違う世界、価値観を持っている人たちに出会ってみたいなというのが当時の一番の思いですね。
あとは、バスケ界でチヤホヤされていたことにも違和感がありました。大学4年生の時にはしっかり結果を残せましたけど(インカレ優勝、大会MVP)、それまで国内では結果を残せておらず、私が評価されていたのは実績ではなく持って生まれた体格(高さ)や、そのわりに動けて器用というポテンシャルの部分だったと思います。
一方で、家族のなかでは、私は"脳筋(=脳みそまで筋肉)"扱いされてもいました。多分、そういうのがバスケ界という自分が身をおいている世界と一般社会とのギャップなんじゃないかというのも少し怖くて。それでもっと違う世界を見たいというポジティブな理由と、自分が井の中の蛙なんじゃないか、違う世界で何もないところからチャレンジしてみるのも面白いんじゃないか、というのが当時の思いですかね」
――そして入社してから3年のブランクを経て3x3で競技に復帰。2022年には三菱商事を退職して日独合同のクラブ「デュッセルドルフ ZOOS」を設立し、選手兼オーナーとして世界最高峰の3x3プロサーキット「FIBA 3x3 Women's Series」に参戦しました。
「3年間、まったく運動をしていなかったんですけど、バスケは好きなまま辞めていたので、段々とやりたくなってきていました。ただ昔の自分と比べるのも嫌だったので、5人制には足が向かなかった時に、3人制の女子の国内リーグ、EXEのプレミアリーグ(3x3.EXE PREMIER JAPAN)ができるタイミングでもありました。それでやってみたいかもしれないと、軽い気持ちで始めました。
ただ、軽い気持ちで始めたんですけど、新型コロナウイルスの影響でリモートワークが増えて通勤時間分だけ練習時間がしっかり確保できるようになったんです。当時はBEEFMAN.EXEというチームに所属していたんですけど、チームメートだった前田有香さんとトレーニングや練習をいっぱいしていたら自分でも見違えるくらいコンディションが上がって、どんどんうまくなっていく実感が出てきた。その時、28歳、29歳だったんですけど、30手前でしたし、もうちょっと上、自分がどこまでいけるのかチャレンジしたいというのが一番の動機でした
あとは有香さんが国内の3x3シーンで誰よりも早く人生をかけた人で、この人とやっていきたいというのがありました。有香さんもワールドツアーに出てみたい意欲が強かったんですけど、有香さんは私の8歳上だったので、早く連れていかなきゃというのもあって、会社を辞めてZOOSを作ったんです」
【3x3の経験が5人制につながっている実感はない】
――ZOOSを日独合同のチームにしたのは、なぜなのでしょうか。
「最初は日本人だけで作ろうと思いましたが、世界のレベルで戦うとなればWリーグの選手を巻き込みたいと考え、日本バスケットボール協会に相談はしに行ったんですけど、限られた時間軸のなかでスピーディに対応、協力は難しそうだと。それでFIBA(国際バスケットボール連盟)に相談をすると、当時、世界ランク1位だったドイツの協会がきっと興味を持つよということで、紹介をしてくれたんです」
――ZOOSは2022年のワールドツアーでは世界ランク5位となり、2023年シーズンにはバクー大会で初優勝をするなど、成果を挙げられました。桂選手はトヨタ自動車で5人制バスケに戻られていますが、3人制を経験したことは今につながっていると感じますか。
「つながっている感じは正直、そんなにないです。やっぱり10年のブランクというディスアドバンテージも感じます。ただ、学生の時はもうちょっと感覚でプレーをしていて、そんなに綿密にいろいろ考えてとかではなかったんですけど、3x3では、戦術理解にエネルギーを使っていたので、10年ぶりに5人制に復帰してみて、だいぶ毛色の違う選手になっているんじゃないかと思います」
――学業にも秀でていたという桂選手が、ご自身を「感覚派」だったというのが意外です。
「そうですね。学生時代は監督の言っていることを理解するのは得意でしたけど、コートの上で起きていることをちゃんと把握しながらやっていたわけではなかったと思います。バスケット、詳しくないんです⋯⋯(苦笑)」
第2回につづく
●Profile
桂葵(かつら・あおい)/1992年9月2日生まれ、東京都出身。身長182cm。小学生時代からバスケを始め、桜花学園高、早稲田大時代は全国トップレベルで活躍したが、大学卒業を機に競技生活に区切りをつけ、三菱商事に就職。社業に専念にしていたが、3年のブランクを経て3x3(スリーエックススリー/3人制バスケ)の選手として競技に復帰すると、2022年には3x3チーム運営やコミュニティ運営を中心に展開する「ZOOS」を設立し、自身はZOOS代表兼選手としてプレーする一方、今シーズンからWリーグ・トヨタ自動車アンテロープスに加入。