世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第16回】マイケル・キャリック(イングランド)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第16回のヒーローは、これまでと趣向を変えて「脇役」を取り上げたい。2006年から2018年までマンチェスター・ユナイテッドで300試合以上も出場した「世界屈指のアンカー」マイケル・キャリックだ。彼の存在なくして、史上最高のチームは成り立たなかった。

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マンチェスター・ユナイテッド史上最強チームの名脇役 マイケル...の画像はこちら >>
 きらびやかなスポットライトを浴びる主役より、脇を固める演者に惹かれるケースがある。NHK大河ドラマ『べらぼう』で平賀源内役の安田顕は圧巻の演技だった。映画関係者によると、「脇を固める演者の存在感、演技力でストーリーが締まる」という。

 フットボールの世界も同様だ。日本代表の肝は守田英正であり、世界最強のアルゼンチンはアレクシス・マック・アリスターとロドリゴ・デ・パウルが超主役のリオネル・メッシを支えている。

「ワールドクラスのアンカーだ。もっと高く評価されていい」

 バルセロナの監督を務めていた当時のジョゼップ・グアルディオラが絶賛した。

「フットボールをよく知り、パスの強弱、ペースとリズムの管理、ポジショニングなど、パーフェクトなMFだ」

 ミランを率いていた時のカルロ・アンチェロッティも、賞賛していた。

 マイケル・キャリックである。

 1990年代にリオ・ファーディナンド、ジョー・コール、フランク・ランパードたちとともに、ウェストハムのアカデミーで研鑽を積んだ。ウェストハムは若手の育成に定評があり、最近ではデクラン・ライス(現アーセナル)を輩出している。

【イングランド代表でもっと見たかった】

 ロングボールに偏らず、丁寧なパスワークを強みとしたキャリックのスタイルは、そのウェストハムのアカデミーで培われたものだ。彼が10代のころのイングランド・フットボールは、キック&ラッシュを推す風潮も少なくなかった。だが、世間の流れに抗うように、自らの技を磨いていたという。

 ウェストハムのレジェンドで、長短緩急のパスを自在に操っていたトレヴァー・ブルッキングに憧れていたのか、あるいはサウサンプトンの「異能」マット・ル・ティシエを意識したのか。いずれにせよキャリックのセンスは、10代のころから際立っていたようだ。

 残念ながら、イングランド代表として特筆すべきキャリアは刻んでいない。ランパード、スティーヴン・ジェラードと同世代であり、代表の中盤センターはふたりの定位置だった。しかし、両雄並び立たず......。

 ライバル意識はすさまじく、連係が整わない。殴り合いのケンカには至らなかったものの、試合中はもちろん、練習でも合宿中の食事でも、彼らが言葉を交わすことはほとんどなかった。

 ともにボックス・トゥ・ボックスのMFで、豊富な運動量と強烈なミドルシュートを武器にしていた。同タイプが並んだ中盤はバランスが悪く、ワールドカップもヨーロッパ選手権も大失敗が続いた。

 もし、キャリックを中盤に起用していれば、少なくともバランスは整ったに違いない。中盤の深めに位置し、戦局を読みながら相手の攻撃の芽を摘み取る。パスの散らし方も絶妙で、味方の足もとへ、スペースへと運び届ける。

 キャリックは守備意識も高かった。押し込まれた際、ジェラードとランパードは相手FWにあっさり前を向かせたり、無謀なタックルでFKを与えたりしていたが、キャリックは密着し、パスコースも切っていた。当時のイングランド・フットボールにおいて、ジェラード&ランパードがアンタッチャブルだったとしても、キャリックを軽視しすぎた感は否めない。

【新旧のカルテットをコントロール】

 1999年にウェストハムでプロデビューしたあと、トッテナム・ホットスパーを経てマンチェスター・ユナイテッドにやって来たのは、2006年の夏だった。

 当時の絶対王者は、サー・アレックス・ファーガソンと対立してセルティックに去った「ロイ・キーンの後釜」を探していた。

 キーンは荒くれ者である。勝利のためなら手段を選ばず、時には対峙する相手の選手生命を奪うようなタックルさえ辞さない。冷静なキャリックとは対極のタイプだ。

「プレミアリーグやチャンピオンズリーグで好成績を維持するためには、より視野の広いMFが必要だ」

 キャリック獲得の理由を問われたサー・アレックスは、こう答えている。

 2006-07シーズンのマンチェスター・Uは、32歳のポール・スコールズが全盛期を彷彿とさせるプレーで中盤をオーガナイズし、33歳になったライアン・ギグスの一挙手一投足は多くのメディアが「アート」と表現するほど美しかった。

さらに22歳のクリスティアーノ・ロナウドが魔法のようなテクニックで個人賞を独占すれば、21歳のウェイン・ルーニーはその年齢が信じられないほどのしたたかさと驚異的な運動量で、各方面から高く評価された。

 そして、彼ら新旧のカルテットを巧みにコントロールしたのが、27歳のキャリックである。先述の4選手が前がかりになっても、最良のポジショニングで穴を埋める。懐(ふところ)が深く、常に頭を動かしながら状況を把握しているため、プレスをかけられても動じない。

 キャリックの貢献もあり、マンチェスター・Uはプレミアリーグを制した。ここから赤い悪魔の快進撃が始まる。

 2007-08シーズンはカルロス・テベスとナニが加わり、前シーズンの冬に入団していたネマニャ・ヴィディッチ、パトリス・エヴラがプレミアリーグのリズムにフィット。サー・アレックスが依然として「史上最強」と胸を張るチームは、プレミアリーグとチャンピオンズリーグの二冠を達成した。

【スコールズと並び称される名手】

 マンチェスター・Uらしい攻撃的な姿勢と、ヴィディッチ、リオ・ファーディナンド、エドウィン・ファン・デル・サールを軸とする熟成した守備は、サー・アレックスが表現した史上最強にふさわしい。ただ、中盤を支えていたのはやはりキャリックであり、この男のクールなたたずまいがチームに落ち着きをもたらしていたことは、紛れもない事実だ。

 無尽蔵のスタミナを誇るルーニー、テベス、ナニがボールホルダーに襲いかかる。集団で追い込むケースもあれば、単騎で無茶をする。「まずい。カウンターを食らうぞ」。

 そこにはキャリックがいる。背中でパスの受け手を牽制し、視線はボールホルダーから外さない。一定の距離を保ちながら相手の攻撃を遅らせ、前線の帰陣を待つ。しかもポーカーフェイスで......。

 以降、サー・アレックスが退任する2012-13シーズンまで、キャリックを得たマンチェスター・Uはプレミアリーグを計5回も制している。

「キャリックは、私が憧れていたスコールズと並び称される、名手のひとりだ」

 バルセロナで一世を風靡したシャビ・エルナンデスも認めていた。

 2024-25シーズンのマンチェスター・Uはさまざまなクラブワースト記録を塗り替え、リーグ15位に沈んだ。もしキャリックが10~15年ほど遅く生まれていたら、ブルーノ・フェルナンデスの負担は軽減されていたに違いない。

GKアンドレ・オナナが低レベルでも、失点は重ねなかっただろう。

 エレガント、かつクールなMFが懐かしい。

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