【新連載】Jリーグ語り草(1)
坪井慶介の2006年
「浦和レッズ初優勝。史上初ホーム無敗の舞台裏」前編

 黎明期にはJリーグのお荷物と言われた浦和レッズが、悲願の初優勝を果たしたのは2006年だった。

 クラブのレジェンドであるギド・ブッフバルトが率いるチームには、田中マルクス闘莉王、小野伸二、長谷部誠ら日本代表クラスの選手が複数在籍し、ポンテ、ワシントンといった圧倒的な力を持つ助っ人も擁した。

 リーグ随一のタレント軍団は、シーズンを通してその力を十分に発揮。ガンバ大阪との最終決戦を制して、歓喜の瞬間を迎えた。

 しかし、その道のりは決して平坦だったわけではない。2002年に浦和に加入し、チームとともに成長していった坪井慶介が、リーグ初優勝の舞台裏を明かす。

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浦和レッズ2006年J1初優勝を語る 坪井慶介「小野伸二でさ...の画像はこちら >>
 2003年にナビスコカップで初優勝を果たし、2004年にはセカンドステージを制してチャンピオンシップに出場。2005年には天皇杯のタイトルを獲得して迎えた2006年、この年はリーグのタイトルを獲ることが明確なターゲットとしてありました。

 ワシントンや(小野)伸二の加入も刺激になりましたね。優勝のために人が集まってきたっていうのは、選手たちも理解していました。

 ただ、メディアや対外的には「今年は優勝する」と公言していましたけど、チームのなかでは「絶対に優勝しようぜ」と、熱く話すことはあまりなかったです。周りからの期待も当然あるなかで、狙うところはそこしかない、という感覚でした。選手のなかであらためて確認する必要もないくらい、「優勝すること」が僕らのノルマでした。

 個人的に2006年は、リーグ優勝に加え、ドイツワールドカップに出場するという目標もありました。チームのことと代表のこと、ふたつの思いを胸にシーズンに入った記憶があります。

 僕自身は代表の活動もあり、あわただしく合流しましたが、チームは開幕からいいスタートが切れました。初陣のガンバ戦こそ引き分けましたが、開幕から8試合負けなしで、早い段階で首位に立つことができました。

【特にうるさかった岡野雅行と闘莉王】

 当時の浦和には、本当に個性的な選手が揃っていました。ひと言で言えば、うるさかったですね(笑)。とにかく自己主張の強い選手たちがたくさんいたので、ピッチ内外で騒がしかったですよ。

 特にうるさかったのは、岡野(雅行)さんと闘莉王。闘莉王に関しては、日本人とだけじゃなく、ワシントンやポンテらブラジル人選手ともふざけ合っていたので、本当に元気だなと(笑)。

 今、振り返ると、オンとオフの差が大きかったチームだったと思います。

 練習前は、みんなでふざけ合っているんですよ。当時は練習場にサポーターがたくさん来て見学していたんですが、「このふざけた人たちは本当に大丈夫か?」と思っていたんじゃないでしょうか(笑)。

 ウォーミングアップの時もだいたい、みんなふざけていました。

まずは岡野さんがヒラ(平川忠亮)のことをいじり始めるので、ほかの選手もいじり始めて、最終的にはギド(ブッフバルト監督)も混ざってやっているくらいでしたから。

 でも、そんな雰囲気で練習に入るんですけど、対人プレーになると空気が一変するんです。特に紅白戦の緊張感はすごかったですね。いいメンバーがたくさんいたということもありましたが、本当に公式戦のようにバチバチとやり合っていました。

 当時も冗談で言っていたんですが、「紅白戦を放送すれば視聴率が取れるんじゃないか」って。それくらい激しかったし、レベルが高かったと思います。

 ギドは、そういう空気を作るのがうまかったんですよ。ひとつの勝負にこだわるっていうところは、練習中から求められていましたね。この紅白戦でアピールできなければ、試合には出られない。みんな、それくらいの覚悟で取り組んでいたと思います。

 GKは山岸(範宏)さんと都築(龍太)さんがひとつのポジションを争い、最終ラインには僕と闘莉王、ホリさん(堀之内聖)のほかにも、ネネやウチさん(内舘秀樹)がいました。

 中盤には(鈴木)啓太、ハセ(長谷部誠)、三都主、ヒラ、ヤマさん(山田暢久)、ポンテと、それぞれのポジションに実力者がいて、伸二でさえベンチに回ることも珍しくはありませんでした。

 FWはワシントンという絶対的な存在がいて、永井(雄一郎)さんや(田中)達也もなかなか試合に出られないくらいでしたね。代表クラスの選手がたくさんいるなかで、チーム内の競争は常に激しかったです。

【紅白戦で本気のケンカもするチーム】

 振り返れば、不思議なチームでしたよ。緻密な戦術練習なんて、ほとんどやった記憶がありません。なにせ、ギドの戦術は「勝て」でしたからね(笑)。

 でも、ギドは戦術家ではありませんが、一流のモチベーターであったことは間違いありません。このタイミングでこの選手をどのように使うかとか、サイドのヤマさんをいきなりトップ下で起用したりとか、チーム内の競争を促しながらいろんなところに目を配って、調子のいい選手を見極めていたと思います。

 もちろん、試合に出られない選手からすれば、面白くないところもあったかもしれません。さっきも言ったように、あの年の浦和には個性的で自己主張の強い選手がたくさんいましたから、なおさらだったと思います。でも、チーム内から不平不満が出ることはほとんどありませんでした。それは、監督にカリスマ性があったからだと思います。

 それともうひとつ、岡野さんの存在が大きかったですね。

岡野さんは当時、チーム最年長の34歳で、彼自身もサブの立場ではありました。でも、クサることはありませんでしたし、率先してチームに明るい雰囲気を持ち込んでくれて、常に前向きな空気を作ってくれていました。

 オフの前日には、いろんな選手を飲みに連れて行っていましたね。コミュニケーションを取って、選手同士が仲良くなるような橋渡しもしてくれていました。

 ピッチ内ではライバルだし、争いも多いし、紅白戦では本気のケンカもするようなチームだったんですけど、それでも一枚岩になれたのは、岡野さんのそうした気配りがあったからこそ。傍から見たら「ただ、ふざけているだけの人」なんですけど(笑)、縁の下の力持ちとしていろんなサポートをしてくれていたからこそ、優勝という目標に向かって突き進めたのだと思っています。

(つづく)

◆坪井慶介・中編>>「2006年の浦和レッズはなぜ強かったのか」


【profile】
坪井慶介(つぼい・けいすけ)
1979年9月16日生まれ、東京都多摩市出身。四日市中央工→福岡大を経て2002年に浦和レッズに加入する。プロ初年度から存在感を示して新人王受賞。2003年には日本代表に初招集され、2006年ワールドカップも経験。浦和では在籍13年間でリーグカップ、天皇杯、J1リーグ、ACLのタイトルを獲得し、2015年に移籍した湘南ベルマーレでもJ2リーグ優勝に貢献した。2019年にレノファ山口で現役引退。

現在はサッカー解説者として活躍中。国際Aマッチ出場40試合0得点。ポジション=DF。身長179cm、体重70kg。

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