東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第1回)
前身となる読売クラブ時代から優れた選手を数多く輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。トップチームがJ1で栄華を極めていた時代はもちろんのこと、長くJ2の舞台で戦っている際にも、他クラブで主力となったり、日本代表に名を連ねたりするような選手を次々に送り出してきた。
16年ぶりのJ1復帰となった昨季、ヴェルディは昇格1年目にして6位に躍進。1995年の2位を最後に、雌伏のときを長く過ごしたJリーグ初代王者が、1996年以降では最高位となる成績でシーズンを終えたことは、名門復活を強く印象づけるものとなった。
とはいえ、充実の2024年はそれだけが理由ではない。
そこにはトップチームの復活と同時に、アカデミーの成果があったからだ。
ヴェルディのユースチーム(高校年代)は、高円宮杯U-18プリンスリーグ関東をぶっちぎりで制したあと、プレーオフも勝ち上がり、11年ぶりとなる高円宮杯U-18プレミアリーグ昇格を達成。それと同時に、Jユースカップでも実に28年ぶりとなる優勝を果たした。
加えて言えば、ジュニアチーム(小学世代)もまた、17年ぶりに全国制覇(全日本U-12サッカー選手権大会優勝)を成し遂げている。
ヴェルディユースと言えば、かつては高校年代で日本を代表するクラブチームだった。Jリーグが誕生する以前、高校サッカーが日本最高のサッカーコンテンツだった時代にあって、読売ユースはそのアンチテーゼとして知られる存在だったと言ってもいいだろう。
その活動は、ヴェルディの前身である読売クラブ時代に端を発し、テクニックを重視した独自のスタイルとともに、読売ユースはそのブランドイメージを確立していった。
戸塚哲也、菊原志郎、山口貴之、財前宣之など、10代にして天才と称され、大きな注目を集めたテクニシャンたちが次々に育ったことも、そんなイメージをあと押ししたのだろう。
当時は高校サッカー界に、まだまだ根性論がはびこっていた時代である。読売ユースは「チャラチャラしている」「ひ弱だ」などのネガティブな評価を受けることもしばしばだったが、それだけチームの個性が際立っていたことの裏返しでもあった。
だが、1993年にJリーグが創設されると、Jクラブにアカデミーの保有が義務づけられたこともあり、全国各地に充実した環境を備えるクラブチームが誕生。高校サッカーとは別に、クラブユースが新たな潮流として拡大・発展していくなかで、ヴェルディユースの存在は次第に特別なものではなくなっていく。
加えて、ヴェルディはトップチームが2006年にJ2降格。2008年に一度はJ1復帰を果たすも、1シーズンで再びJ2降格となると、以降2023年までJ2から抜け出すことができず、J2ですらふた桁順位に甘んじることも少なくなかった。
近年、ヴェルディユースを取り巻く環境は、1990年代以前とは明らかに異なるものに変わっていたのである。
とはいえ、Jユースカップで頂点に立てなかった27年間、あるいは、高円宮杯U-18プレミアリーグから遠ざかった10年間、ヴェルディユースは必ずしも低迷していたわけではない。
Jクラブのユースチームには、大会で好成績を残す以上に、プロ選手を育てるという重要な使命があるが、ヴェルディユースはタイトルから遠ざかった時期も、トップチームがJ2で苦しんでいた時期も、コンスタントにプロで活躍する選手を輩出し続けていたからだ。
記憶に新しいところでは、2024年パリ五輪に出場したU-23日本代表でダブルボランチを組んだ、藤田譲瑠チマ(ザンクトパウリ/ドイツ)と山本理仁(シント・トロイデン/ベルギー)は、そろってヴェルディユース出身。
現在の日本代表(A代表)を見ても、川崎フロンターレ、浦和レッズ、ガンバ大阪など、Jクラブのアカデミー出身者は数多いが、そのほとんどがJ1クラブだ。ヴェルディのように、これだけトップチームが長い間J2にいながら、J1クラブに勝るとも劣らない育成力を発揮してきたクラブは、極めて稀であるばかりか、驚異的ですらある。
ヴェルディユースが、かつてはクラブユースを代表するブランドであり、技術重視のイメージを確立していたと言っても、それは数十年も昔の話。そんな時代を知らない10代の子どもたちが進路選択に際し、今まさに強いJ1クラブの育成組織に入りたいと憧れたとしても不思議はない。
つまりは、アカデミーの人材獲得競争においても、ヴェルディは長らく不利な状況にあったはずなのである。
にもかかわらず、なぜヴェルディは、これほどまでにプロで通用する人材を育て続けられるのだろうか。
「ここ2、3 年で言うと、トップチームの躍進が大きいかなと思います」
そう語るのは、自身も読売ユースの出身で、現在はヴェルディのアカデミーでヘッドオブコーチングを務める、中村忠である。
(文中敬称略/つづく)◆アカデミー出身者が数多く活躍する東京ヴェルディ...苦悩の時期も長かった>>