速い。とにかく速い。

日本球界だけでなく、2023年のWBCでの活躍により「世界のスピードスター」ともいえる周東佑京を産んだ群馬県に、今年の高校トップクラスの韋駄天がいる。

 その名は吉澤咲人(よしざわ・さくと)。周東の出生地である藪塚本町(現・太田市)に隣接する館林市にある関東学園大附の3年生だ。

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【一塁到達タイムは脅威の3.68秒】

 春先からその評判は徐々に広がっていた。あるスカウトが計測した一塁到達タイム(投球がバットに当たってから一塁ベースを踏むまで)は驚異の3.68秒。走りながら当てるセーフティーバントでのタイムではあるが、4秒を切れば俊足とされる野球界でそのスピードは圧巻だ。

 取材に訪れた試合でも、「塁間が短いのでは?」と感じさせるほどの快足で、右中間への長打ではあっという間に三塁に到達。三塁走者となってからは内野ゴロでタイミングよくスタートを切り、相手の前進守備がまったくの意味をなさないほど余裕で本塁をかけ抜けた。

 そんな風を切り裂くが如くダイヤモンドを駆け回る吉澤に試合後、話を聞いた。まず気になるのはシンプルに「なぜこんなに速いのか?」だ。

「中学まではそこそこだったのですが、この高校に来て体の使い方や走り方を教わったからです」

 吉澤は偉ぶる様子もなく淡々と答えた。親の遺伝かどうかはわからず、本人は「そこそこだった」とは言うが、高い走力は当然持っていた。

 群馬県東部のみどり市で育ち、大間々南小学校時代には、市の陸上大会の100メートル走で優勝。

県大会では「フライングの影響で、2回目のスタートに失敗してしまいました」と悔しさをにじませ、結果は残せなかったものの、すでに13秒台で走る実力を持っていた。

 中学時代は桐生ボーイズに所属し、1番・遊撃手として夏の全国大会でベスト8入り。さらに、報知オールスターでは群馬県選抜にも選出された。

 こうした実績を残していたことから、甲子園に複数回出場している県内外の強豪校からも誘いを受けた。しかし吉澤が選んだのは、甲子園出場1回(1986年春)の関東学園大附属高校だった。

【関東学園大附を選んだわけ】

 その理由は、前述の「足が速くなった理由」とも重なる。早稲田大出身の羽鳥達郎監督が、外部の専門家を積極的に招き入れ、本格的なトレーニングに取り組める環境が整っていたからだ。吉澤は「ウエイトやジャンプ系の瞬発力トレーニングで鍛えたことで、出力が上がり、脚力や肩の強さが増しました」と、その効果を語る。

 打撃面では、ヘッドが下がる打ち方を修正。俊足を生かせなくなってしまう凡フライを減らすため、バットのヘッドを立て、逆方向へ低く強い打球を打てるよう取り組んできた。

 トレーニングは林泰祐氏、打撃は十河春斗氏と、それぞれ多くの選手やチームから信頼を集める外部指導者のもとで多くのことを学び、大きく成長を遂げてきた。

 羽鳥監督は吉澤について「練習もよくするし、真面目。

学校の先生たちからの評判もいい」と目を細める。「本音を言えばもっとズル賢くなってほしいですが......」と笑うが、「伸びしろしかありません。体の出力が高いので、打撃はもっとよくなるでしょう」と期待をかけている。

 そして、高校卒業後の進路について、吉澤は「小さい頃から行きたいと思っていましたし、自分がどこまで通用するかチャレンジしたいんです」と、プロ志望を掲げる。たとえ育成指名であっても、NPBの世界へ進む意向だ。

 走塁に関しては、単なる走力だけでなく、相手投手の癖を見抜くことにも自信を持ち、それを盗塁へとつなげている。

 憧れの選手は、ソフトバンクの周東佑京と、日本ハムの五十幡亮汰の名前を挙げ、「足を生かした打撃や、誰もが捕れないと思った打球を捕れる守備ができるようになりたいです」と語る。

 最後の夏に向けて「一戦一戦をしっかり戦い、健大高崎を倒して甲子園に行きたいです」と、力強く語っていたが、初戦で前橋工業に9対10で敗れ、甲子園の夢は潰えた。それでも吉澤は3打数2安打、1打点、1盗塁と気を吐いた。

「プロに行くなら、(スカウトの方に)9月まで成長を見てもらえる」と羽島監督が話していたように、甲子園という夢は敗れたが、プロ野球選手というもうひとつの夢に向かって、吉澤は走り続ける。

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