西武・西川愛也インタビュー(前編)

 夏の甲子園で母校・花咲徳栄(埼玉)を初の優勝に導き、2017年ドラフト2位で西武に入団した西川愛也は、今季でプロ8年目を迎えた。26歳となり、攻守に溢れんばかりの才能を発揮している。

大胸筋断裂、62打席無安打... 西武・西川愛也が苦難を乗り...の画像はこちら >>

【高校時代に襲った大胸筋断裂の悪夢】

 高卒8年目の開花──西川自身は一軍で活躍するまで、時間の経過をどう感じているのだろうか。

「感覚的にはあっという間っていう感じですけど。やっぱり一軍で活躍するには、ちょっと長すぎましたね......っていう感覚です」

 寄せられた期待を考えれば、プロ8年目の開花は少し遅かっただろう。2019年オフに秋山翔吾(現・広島)が退団して以降、不在だった外野のレギュラー候補として西川はずっと名前を挙げられたひとりだった。

 だが、球団の見解は異なる。今季から編成部門を束ねる広池浩司球団本部長が語る。

「彼の場合は大胸筋を断裂した状態で入団して、そもそも戦える体にするのに時間を要しています。それを織り込んだうえで獲得しています。8年と言いますけど、最初の3年くらいは体をしっかりつくることから始まっているので、そんなに長いとは思っていません。

 実際、体が強くなってダイビングキャッチをしても大丈夫、しっかり投げても大丈夫となったのも、そんなに昔の話ではないですから。そこがしっかりしてからゲームに定期的に出ているという意味では、これくらいの時間がかかったのは想定内だと思います」

 大胸筋断裂──。

 比較的、稀な疾患とされるが、筋トレブームの近年、ベンチプレスで大胸筋を損傷するケースは増えているという。

 どれくらい大変なケガなのか。

インターネットで検索すると、損傷部が内出血している写真はあまりに痛々しい。

 西川の経験談を聞くと、その深刻さがいっそう伝わってくる。

「紫と黒が混ざったみたいな色になって、バーンって腫れて。まるでアメフト選手みたい膨れ上がって、動かせなくて。帰りのバスでも、バスが揺れると痛くて......」

 西川がこの重傷を負ったのは、花咲徳栄高校2年時の春季大会決勝だった。

「その前から軽い肉離れみたいな感じでした。外野からカットマンまでしか投げられない感じだったんですけど、ボールが飛んできて......。たしか同点のツーアウト二塁で飛んできて、アドレナリンが出て思い切り投げちゃったんですね。そうしたら、パチンって雷が走りました」

 体内に雷が走るような痛みとは、とても想像できない。言葉にすれば、激痛となるのだろうか。

「いや、マジでやばかったです。死にそうな痛さっていうか。

もう野球人生、終わったなと思いました。『高校野球、マネージャーだ』と思って(苦笑)」

【プロに行くために手術を延期】

 西川は中学までを過ごした大阪から埼玉県の花咲徳栄に出てきて、高校野球はあと1年以上残されている。すぐに手術を受ければ高校3年の夏までに治る可能性もあったが、希望の進路を見据えると、その決断は下しにくかったと振り返る。

「すぐに手術を受けると2年の夏は完全になくなってしまうし、プロに行くためには2年生の頃から結果を出さなければと思っていたので。岩井(隆)監督と話して、2年の秋が終わってから手術という形になりました。普通だったら断裂した時点でベンチにも入れないと思ったけど、高校の監督がそれでも使ってくれたのは感謝しかないですね」

 高校2年の夏は「カットマンまで投げるのもかなり痛かった」が、甲子園に出場。秋の大会が終わったあとの11月、ようやく患部にメスを入れた。

 高校3年になっても送球を満足にできるまでには回復していなかったが、夏の甲子園では大会通算9安打、10打点の活躍で花咲徳栄を埼玉県勢初の優勝に導く。

 そして秋、ある球団のスカウトも「2位でほしかった」というなか、西武が先に交渉権を獲得した。

 高校2年生で大きな決断を下してプロ入りをかなえ、西川はどう感じたのだろうか。

「あの時に手術しなくてよかったなというか。そのままやり続けてよかったなというのはありますね」

 大胸筋断裂の影響はプロ入り後も続いた。1年目はリハビリに多くを費やし、ファームでは指名打者で出場。

3年目から選手登録を内野手から外野手に変更されたが、これが次の負傷を招いた。

「結局ここ(大胸筋)が怖くて、ここを使わずにほかで投げようっていうマインドになってしまって。そうしたらほかを痛めてしまうことが続いてしまって。で、思いきってここをしっかり使う投げ方にしようと。リハビリの時より、多少大胸筋も伸びるようになったし、筋肉もついてきたので、しっかりここを使った投げ方をしようとして、そこからだいぶ投げられるようになりましたね」

【失意の62打席連続無安打】

 送球の不安がすべて解消されたのは入団6年目、2023年になってからだった。

「投げる怖さがなくなったのは、高1以来ですね。まず、守備につくのが楽しくなってきました」

 以前は、ボールが飛んでくるなと思っていた。体に不安があって満足に投げられなければ、そう願ってしまうのは至極当然のことだろう。

 それが、守備につくのが楽しくなってきた。西川にとって、大きな転期だった。

 ちょうど同時期、打撃でも不名誉な記録を止めた。2020年9月26日の楽天戦から続く、62打席連続無安打のNPB野手ワースト記録だ。

 2023年4月30日の楽天戦で止めるまで、3年越しの試練を西川は「めっちゃしんどかったです」と振り返る。

 この頃に分岐点となったのが、開幕前、チームメイトの山川穂高(現・ソフトバンク)と自主トレを共にしたことだった。

「山川さんは準備をすごく大事にしています。打席に向かうまでのルーティンもしっかり教えてもらいました。フィジカル面でもトレーニングをすごくされる方なので、そこでもだいぶ強くなったというか。気持ち的にも、変わってきたというのがありました」

 山川が教えてくれたルーティンは、今も続けている。ベンチにいる時から相手投手のタイミングを見極め、打席に向かう直前、ネクストバッターズサークルでストレッチを行ない、ピッチャーのタイミングにもっと近い場所から合わせるというものだ。今や、打席で結果を残すために不可欠な準備となっている。

 もがき苦しんだ末、不名誉な連続打席無安打の呪縛からようやく解き放たれた。

 だが、西川が本格ブレイクを果たすには、もうひとつ乗り越えなければいけない壁があった。

つづく>>


西川愛也(にしかわ・まなや)/1999年6月10日生まれ。大阪府出身。

花咲徳栄高では1年秋からベンチ入りし、甲子園に3度出場。3年夏の甲子園では3番打者として活躍し、埼玉県勢初の選手権大会優勝を果たす。2017年ドラフトで西武から2位で指名され入団。3年目の20年に一軍昇格を果たし、24年は104試合に出場した。今季は開幕から一軍に定着し、チームの躍進に貢献。監督推薦でオールスターにも出場することが決まった

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