世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第25回】ライアン・ギグス(ウェールズ)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第25回はウェールズが生んだ歴代最高のドリブラー「ライアン・ギグス」を振り返る。14歳でマンチェスター・ユナイテッドに引き抜かれてから、彼のサッカー人生に光が差さなかった日はない。誰もが羨望の眼差しを向け、あのドリブルに酔いしれた。

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 アスリートたるもの、誰だってタイトルがほしい。「無冠の帝王」とか「シルバーコレクター」とか聞こえはいいが、テッペンには立っていない。「2番じゃダメなんですか」って? ダメに決まってんじゃん。

 1990-91シーズンにデビューしたあと、彼は2013-14シーズンまで20年に及ぶプロキャリアを刻んだ。その間、無冠に終わったのは2004-05シーズンだけだ。個人でもクラブでも栄華に浸り続けている。

 ライアン・ギグスである。

 プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、FAカップ、リーグカップ、クラブワールドカップ、UEFAスーパーカップ、チャリティシールド、PFA(プロ選手協会)の年間最優秀選手、ベストイレブン......等々、タイトル履歴はすさまじい。

ひっそりとプロキャリアを閉じる選手も少なくないというのに、彼はありとあらゆるタイトルを手にしている。

 2004-05シーズンの無冠もギグスに責任はない。デビッド・ベッカムがマンチェスター・ユナイテッドからレアル・マドリードに移籍し、ルート・ファン・ニステルローイは負傷のために長期の戦線離脱を余儀なくされた。

 また、アレックス・ファーガソン監督はなぜかウェイン・ルーニーの1トップにこだわったため、総得点は1位アーセナルと29点差の58。プレミアリーグ発足以降ではクラブワースト(当時)の体たらくだった。

 それでもギグスは、主戦場を左ウイングから中盤に移しながら、いぶし銀のテクニックで周囲をうならせている。さすが、というしかなかった。

「ぜひご覧になっていただきたい少年がマンチェスター・シティにいるのですが......」

 スカウトの報告を受けたファーガソン監督は、すぐさま行動に移した。

 自らチェックしたあと、1987年11月29日に直接オファー。ギグスは14歳の誕生日に、シティからユナイテッドに新天地を求めた。輝かしいプロキャリアは、ファーガソン監督の粋な演出から始まっている。

【ジャックナイフと評された切れ味】

 1990年12月、17歳の時にプロ契約を結び、3カ月後のエバートン戦でトップチームにデビュー。1991年5月のマンチェスター・C戦でプロ初ゴール。

ベッカム、ポール・スコールズ、ニッキー・バット、ガリーとフィルのネヴィル兄弟など、いわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(ファーガソンのひな鳥たち)」の誰よりも早く、トップレベルを経験している。期待の表われだ。

 イングランドが誇るタフなディフェンダーたちを震え上がらせたのは、「ジャックナイフ」と評されたドリブルだ。

 止める術(すべ)がなかった。
 
 小刻みなリズムの変化と鋭い切り返し、そして左足のインサイドとアウトサイドを巧みに使い分ける技巧は、過去に、いやいや近代フットボールにおいても、そう簡単にはお目にかかれない。

 しかも、ボディバランスとボールコントロールが、まったくといっていいほど崩れない。読者のみなさんも、1998-99シーズンのFAカップ準決勝再試合、延長にまで持ち込まれたアーセナルとの激闘はご存じだろう。109分、中盤でボールを奪ったギグスは鋭くてスピーディー、なおかつ柔軟なドリブルで3人をかわし、左足で強烈な一撃を突き刺した。このプレーこそが彼の真骨頂である。

「できるものなら1対1は避けたかった」(リー・ディクソン/元アーセナル)

「最も苦手とするタイプのウイングだった」(ジェイミー・キャラガー/元リバプール)

 歴戦の勇士たちもギグスを高く評価していた。

「もしギグスがイングランド人だったら......」

 2000年代初期、イングランドのメディアが世に投じたテーマである。

 イングランド代表は右ウイングにベッカム、中盤センターにスティーヴン・ジェラード、フランク・ランパード、最終ラインにリオ・ファーディナンドといったタレントを擁し、黄金世代と期待されていた。

 しかし、左ウイングは絶望的な人材不足。プレミアリーグで結果を出していない者や、本来はMFを起用せざるをえない有り様だった。

【ジダンも脱帽するほどの名手】

「もし、ギグスがイングランド人だったらなぁ」は、イングランドの総意といっても過言ではなかった。クラブ間のライバル意識が強すぎた当時の話とはいえ、あのドリブルを見た者は誰もが同じ妄想を抱いたのではないだろうか。

 ウェールズで生まれたギグスは、ワールドカップやヨーロッパ選手権とは縁遠かった。2012年のロンドンオリンピックはグレートブリテン(イングランドとウェールズの2協会の選手で構成された統一チーム)のキャプテン(オーバーエイジ枠)として出場したが、決勝トーナメント1回戦で韓国に敗れている。

 だが、「イングランドに生まれればよかった」とか「ウェールズは決して強くない」などの愚痴は決して吐かなかった。常に淡々と、それでいて勝負どころではギラつき、マンチェスター・Uに多くのタイトルをもたらしている。

 ウイングから中盤にポジションを移したプロキャリアの晩年も、絶妙のパスワークと高度な状況判断で攻撃のリズムを創った。ウェイン・ルーニーやクリスティアーノ・ロナウドを自在に操りもしていた。ギグスに始まり、ギグスに終わる試合も少なくはなかった。

「もしギグスがフランス人だったら、私は控えに甘んじていただろう」

 ジネディーヌ・ジダンが脱帽するほどの名手だった。

 2014年5月19日、ギグスは現役を退いた。公式戦963試合はイングランド歴代1位だ。デビュー以降、23シーズン連続ゴールも前人未到の大記録である。180cm・68kg(公称)と痩身でありながら、ヨガを軸とするケアで長く戦い続けた。

 残念ながら、プライベートはクリーンではない。元恋人や義妹に対する暴行容疑で、2020年11月に逮捕されている。2022年7月に起訴が取り下げられたとはいえ、ギグスのクリーンなイメージを根底から覆す大きすぎる汚点だ。

 その後、表舞台から姿を消した。最近になって時おりメディアにも顔を見せるようにもなったが、まだ人々は許していない。犯した罪の重さを踏まえれば当然だ。

 それでも、誰もが目を見張った美しいテクニックを、試合に挑む姿勢を、若者たちに伝えられないだろうか。筆者が知るかぎり、ドリブルだけで魅せたウイングはそう多くない。

大型化が進む一方の近代フットボールを、しなやかな肉体で生き残るにはどのように対応すればいいのか。ギグスであれば適切なアドバイスを送れるのではないだろうか。

 人間、誰しもミスを犯す。ギグスは生涯、猛省しなくてはならないが、このまま消えていくのはあまりにも惜しい人材だ。

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