「韓流」は日本に定着している。
古くは歌手のケイ・ウンスク。
直近ではボーイズグループのBTSだ。ちなみに筆者は彼らメンバーの顔と名前は一致しない。しかし、韓国スポーツ界を代表するあの男なら知っている。
ソン・フンミン(孫興民)──。
ブンデスリーガで5年半、プレミアリーグでは10年にわたって活躍したアタッカーが、2024-25シーズンを最後にヨーロッパの檜舞台を去った。
8月3日にソウルで行なわれたニューカッスル戦(プレミアリーグ・サマーシリーズ)は、彼のトッテナム・ホットスパーにおけるラストマッチ。試合途中にソンがピッチをあとにする際には、両クラブがガード・オブ・オナー(勝者を称える花道)を作り、偉大なる韓国人のフィナーレに彩を加えた。「究極のレジェンド」(クリスティアン・ロメロ/アルゼンチン代表DF)
「プロ中のプロ」(ペドロ・ポロ/スペイン代表DF)
「ドレッシングルームでも最高だった」(ミッキー・ファン・デ・フェン/オランダ代表DF)
スパーズの選手たちがSNS上で絶賛し、ニューカッスルのキーラン・トリッピアー(2015年~2019年トッテナム在籍)は「君と同じ時代を過ごせたことは光栄だ」と、優しい言葉を紡いだ。彼とソンは、スパーズがチャンピオンズリーグ決勝に進出した当時の戦友でもある。
ハンブルガーSVとレバークーゼンを経て、スパーズにやってきたのは2015-16シーズンのことだった。当時のプレミアリーグはマンチェスター・ユナイテッドの時代が終わり、リバプールは暗中模索、チェルシーは10位にまで転落。レスターが奇跡の初優勝を成し遂げていた。
スパーズは終盤まで優勝争いに食らいついていたものの、結果的にはレスターに11ポイント差の3位に終わっている。
【プレミア史上7人目の快挙】
ソンのプレミア初年度は28試合で4ゴール・1アシスト。ファンの期待には応えられなかった。
3000万ユーロ(当時のレートで約40億円)もの移籍金も批判の対象になった。何しろヨーロッパの市場では、中田英寿(ローマ→パルマ)の2840万ユーロ(当時約38億円)を上回るアジア人最高額である。メディアやサポーターの風当たりは強くなっていく。
迎えた2年目の2016-17シーズン。開幕前の調整がうまくいかず、トップでもサイドでも三番手の評価に甘んじていた。ローンを含めた放出もやむなし、との声も少なからず聞こえてきた。
しかし、ソンは足を止めずに多くのチャンスを創出する。
それを機に、スピード豊かな韓国人アタッカーの実力を疑う者は誰ひとりとしていなくなった。2017-18シーズンを占うメディアも、ケインやエリクセンとともに、ソンを不動のレギュラーに推すようになった。
プレミアリーグ3年目になると、戦術理解度に磨きがかかり、天性の運動量にもすごみが増した。地道なトレーニングを重ねた結果、シュート力も向上した。一部のメディアによる差別的な悪評は、強い気持ちで明日の糧(かて)に書き換えた。結果、12ゴール・6アシスト。前シーズンに続き、多くのゴールに関与する大活躍だった。
スパーズ内のプライオリティはケインがナンバー1だとしても、ソンの存在感も捨てがたいものとなった。度重なる負傷で7ゴール・9アシストに終わった昨シーズンを除き、プレミアリーグでは2016-17シーズンから8年連続でふた桁ゴールを記録。さすが、と言うしかない。
なお、この記録はプレミアリーグ史上7人目の快挙であり、ケイン、ウェイン・ルーニー、フランク・ランパード、セルヒオ・アグエロ、ティエリ・アンリ、サディオ・マネと同列に並んだことを意味する。すごい顔ぶれじゃないか。
【「英語すら話せない子ども」】
また、23ゴールを記録した2021-22シーズンは、アジア人初の得点王にも輝いている。タイスコアだったモハメド・サラー(リバプール)はPKの5点が含まれている。クリスティアーノ・ロナウド(当時マンチェスター・U)は3つのPKを加えて18ゴールだった。一方、ソンはPKを蹴らずして23ゴールを残した。
スパーズにおける通算成績は127ゴール・77アシスト。ゴール関与数は204にも及び、過去10年のプレミアリーグではサラーの271(184ゴール・87アシスト)、ケインの233(189ゴール・44アシスト)に次ぐ3位という、すさまじい好記録である。
前述したようにソンは究極のレジェンドであり、プロ中のプロだ。韓国では彼を目指す若者も少なくないし、日本でもロールモデルにすべき人材のひとりである。
ソンの言葉を借りるなら、「スパーズにやってきた当時は、英語すら話せない子どもだった」。だが、たゆまぬ努力の結果、キャプテンマークを託されるまでに成長した。
試合前後の記者会見は通訳を使わずにこなす話術を身につけ、なおかつロッカールームをまとめる。誰にでもできる仕事ではない。周囲から信頼されていなければ、監督はキャプテンに指名しない。人として、選手として、筋が通っているからこそのリーダーだ。
こうした人づき合いはコミュニケーション能力が成せる業(わざ)であり、日本では長友佑都や吉田麻也が同タイプだろう。彼らもまた、人の懐(ふところ)に飛び込む術(すべ)を心得ている。
日々の勉強を怠らず、研究にも励み、苦手だった英語を克服して、ソンは今日の地位を築いた。身長183cm・体重78kgという標準サイズでもプレミアリーグの強度に耐えられたのは、万全の準備と強い気持ちによるものだ。
日本人選手のテクニックは近年、著しく向上した。戦術理解度も高くなり、来年に迫った北中米ワールドカップでもダークホースのひとつに数えられている。
だが、ソンのようにプレミアリーグで8年連続ふた桁ゴールを奪えるようなストライカーは、まだ現われていない。イングランド屈指の名門でキャプテンを務める男も、まだ存在しない。
「ソニー(ソン・フンミン)はハードワークを怠らず、決してあきらめない。オン・ザ・ボールでもオフ・ザ・ボールでも、100パーセントの力で戦い続ける。全選手が鑑(かがみ)とすべき選手だ」
かつてスパーズを率いた(2014年~2019年)マウリシオ・ポチェッティーノ(現アメリカ代表監督)も、最大の賛辞を送っている。
ソンとスパーズの10年は、厚く、熱く、なおかつ濃密な物語だった。ピッチ上のタフネス、リーダーシップ、すばらしいスタッツ......。日本人がソンの牙城に迫るには、より真摯な姿勢で現実に向き合うしかない。