世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第26回】ガブリエル・バティストゥータ(アルゼンチン)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。
第26回のヒーローは、1990年代前半~2000年代前半のイタリア・セリエAを代表するストライカーを取り上げたい。愛称「バティ」ことガブリエル・バティストゥータだ。身長は公称185cmだが、ピッチではもっと大きく見えた。それほど、彼は異質な存在感を放っていた。
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アルゼンチンは、今も昔もタレントの宝庫である。アルフレッド・ディ・ステファノ、エンリケ・オマール・シボリ、マリオ・ケンペス、オズワルド・アルディレス、ディエゴ・マラドーナ、フアン・ロマン・リケルメ、リオネル・メッシ......。今夏にリーベル・プレートからレアル・マドリードへ移籍した18歳のフランコ・マスタントゥオーノは、偉大なる系譜を受け継ぐスーパースター候補生だ。
もちろん、ガブリエル・バティストゥータも、アルゼンチン・フットボール史上に燦然と光り輝いている。
ただ彼は、ほかの選手と異なり、フットボールにのめり込む年齢は遅かった。その年、17歳。5~6歳から地元サッカークラブに加入する選手も少なくないお国柄なのに、バティストゥータ少年はバスケットボールに熱中していた。
しかし、天賦の才能は瞬く間に開花し、19歳でプロデビュー。ニューウェルス・オールドボーイズ、リーベル・プレート、ボカ・ジュニアーズを経て、1991-92シーズンにイタリアのフィオレンティーナに新天地を求めている。
当時のセリエAはミランがサンプドリアから覇権を奪い返し、「ベルギーの至宝」エンツォ・シーフォを擁するトリノは3位に躍進していた。
【もしベッカムと同僚だったら...】
バティストゥータのセリエA初年度は13ゴール。マルコ・ファン・バステン(ミラン)の25ゴール、ロベルト・バッジョ(ユベントス)の18ゴール、フランチェスコ・バイアーノ(フォッジャ)の16ゴール、カレッカ(ナポリ)の15ゴールに次ぎ、得点王ランキングは5位タイに食い込んでいる。デビューシーズンにしては上々の出来といっていい。
フィオレンティーナは3シーズン連続の12位に終わったものの、バティストゥータは確かなポテンシャルを披露した。しかし......。
プロの世界は弱肉強食だ。1992-93シーズン、フィオレンティーナはセリエB降格の憂き目に遭う。バティストゥータは得点王ランキング5位タイの16ゴールを挙げながら、クラブを救えなかった。
当然、周囲は騒がしくなる。移籍を前提とする情報が乱れ飛んだ。
公式・非公式を問わず、多くのオファーが届いていたに違いない。彼の突出した得点力は、ありとあらゆるクラブが欲していた。バティストゥータ本人も述懐する。
「レアル・マドリード、マンチェスター・ユナイテッド、ミランからオファーを受け取った。でも、マドリードとミランはかなり退屈だと聞いていたし、マンチェスター・Uには興味がなかった」
そうだったのか。マンチェスター・Uに興味なしとは......。無理もない。20年ほど前のプレミアリーグ草創期だ。世界最高峰と言われていた当時のセリエAに比べるとレベルは低い。レアル・マドリードやミランも「退屈」と表現するバティストゥータには、役不足だったのだろう。
だが、デビッド・ベッカムの右足から放たれる正確無比のクロスをヘディングでズドン! 30ゴールは取れたよなぁ。
セリエBでのプレーを選ぶも、どっぷりとは浸からなかった。フィオレンティーナは1994-95シーズンにセリエAに復帰し、バティストゥータの火力も炸裂する。
【ルイ・コスタのパスで得点王】
バティストゥータはなんと、開幕から11試合連続ゴールを記録。クラブとフィレンツェの街を愛し、セリエBに落ちても戦い続けたスーパーヒーローの活躍に、多くのファンが感動した。
カルチョ・イタリアーノのDF陣は狡猾で強靭だったが、バティストゥータはイエローカード覚悟で挑みかかる男たちをパワーとスピードでねじ伏せ、右足のパワフルショットでゴールを重ねた。打点の高いヘディング、マークを外す動きも秀逸で、GKを絶望感に陥れもした。
復帰シーズン、バティストゥータは26ゴールで得点王に輝き、フィオレンティーナも10位でセリエA残留をあっさりと決めている。
この1994-95シーズンは、フィオレンティーナにとってひとつの転機だったかもしれない。バティストゥータの相棒となるルイ・コスタがベンフィカからやってきたからだ。
ふたりの連係は冴えわたり、その後6年間にわたってクラブを支え続けている。1995‐96シーズンはコッパ・イタリアを制した。また、ジョバンニ・トラパットーニ監督に率いられた1998-99シーズンは20節まで首位を快走。もしバティストゥータがシーズンを通して健在だったなら、歴史は変わっていたに違いない。
それでもルイ・コスタは、かつての盟友を大絶賛している。
「バティ(バティストゥータの愛称)は本当にすごい男だった。パワフルな一撃とテクニカルなシュートを使い分け、ミドルシュート、フリーキック、ヘディング、ループなど、ありとあらゆる角度からゴールを決めていた。相手DFの死角から飛び出す技術もすばらしかったな。私のようなパサーにとって、バティは最高のストライカーだね」
ルイ・コスタとバティストゥータは、フィオレンティーナにスクデットをもたらさなかったとはいえ、その美しい攻撃的フットボールを堪能したファンも少なくない。ヴィオラ(イタリア語で紫。クラブの愛称)のユニフォームをまとったふたりはセクシーで、あまりにも眩しかった。
【バティ二世は現れるのか】
2000‐01シーズン、バティストゥータはスクデットを求めてローマに移籍。フランチェスコ・トッティ、マルコ・デルベッキオとのトリオは猛威をふるい、首都の名門に18年ぶりのスクデットをもたらしている。
セリエAのクラブに在籍した11シーズンでふた桁ゴールは9回。1997‐98シーズンから4年連続で20ゴールの大台に到達している。
マラドーナの諸問題とも重なりアルゼンチン代表でのワールドカップ制覇はならなかった。だが、バティストゥータは1990年代を代表するワールドクラスのアタッカーといって差し支えなく、まさに「完全無欠のストライカー」「真正センターフォワード」である。
2005年に稀代のゴールゲッターが引退したあと、世界のフットボールは変わった。ガッチガチの9番タイプはもはや希少価値、いや、絶滅危惧種か。時代が要求していない、と言ってしまえばそれまでだが、小細工を弄するタイプより、真正面から殴り合うようなストライカーのほうが見ていて心地はいい。
いつの日か、バティストゥータ二世は現れるのだろうか。多少のチャージではボディバランスを崩さない頑健な肉体には、ゴールへの渇望が満ちあふれていた。