日本代表「話題のFW」インタビュー
ジャーメイン良(サンフレッチェ広島)後編
◆ジャーメイン良・前編>>「シャドーのポジションで新しい形を示せた」
国内組主体の日本代表で臨んだE-1選手権。初めて招集されたジャーメイン良は、香港戦で4ゴールを奪うという華々しいデビューを飾った。
ほぼ海外組というメンツで昨年9月から試合を重ねてきたワールドカップ・アジア最終予選。メンバーが固定化されつつある森保ジャパンの現状に「新たな風」を求めるメディアは、突如現れた新星をこぞって取り上げた。
アメリカ人の父と日本人の母を持つ、神奈川県厚木市出身の30歳。日の丸を背負った経歴は2017年のユニバーシアード日本代表のみ。プロ入りから2023年までの6年間でシーズンふた桁ゴールなし──。なぜ彼が急に覚醒したのか、興味が湧くのも当然だ。
インタビュー前編では、プロキャリアをスタートさせたベガルタ仙台での苦しい時期を振り返ってもらった。続く後編では、才能を開花させたジュビロ磐田での成長、そしておぼろげに見えてきた「夢の舞台」への思いを聞いた。
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── ジャーメイン選手は本来、スピードを生かしたドリブルや裏抜けを持ち味とする選手でしたよね。「そうですね。大学時代も、プロに入ってからも、そういう形からでしか点を取れていませんでした。でも、ヨコさん(横内昭展氏/当時ジュビロ磐田監督、現モンテディオ山形監督)に前で固定して使ってもらったことで、その意識は変わりましたね。
1トップでやるにはフィジカル的に不足していたので、そこを補うトレーニングを入れてみたり、食事を意識するようにもなりました。徐々に身体が変わっていくなかで、プレーも自然と変わっていった感じですかね。フィジカルが安定したので、クロスからの点も多くなりました。
また、裏抜けだけじゃなく、中で待てるようになったことで、駆け引きの部分も伸びていったと思います。J2だったのも、結果的によかったと思います。攻撃する時間が長かったので、いろんなことを試せましたから」
── いろんな要素が相まって、ストライカーとして能力が高まっていったわけですね。
「そうですね。でも、この年は試行錯誤の連続で、自分のなかでいろいろ変えて、努力した1年でした。フィジカルもそうですし、ヘディングもそう。ポストプレーもかなり練習しました。頭から試合に出て、ゲームを作って、点を取るというストライカーとしての仕事が、地道に身につけられたと思っています」
【J1で点を取っていける自信】
── ある程度年齢を重ねたなかで、プレースタイルを変えることに不安はなかったですか。
「そもそも、大した実績はなかったですから。今までのスタイルに未練はなかったです。
── その年(2023年)は9ゴールを挙げてJ1復帰に貢献し、翌年はJ1で19ゴールを記録して大ブレイクを果たします。昨年のパフォーマンスをあらためて振り返ると?
「2023年はシーズン最後のほうに大きめのケガをしてしまって、早めにリハビリに入ることになったんです。全治3カ月ぐらいだったので、翌年のJ1開幕にはギリギリ間に合うくらいの状況でした。
ただ、リハビリ期間のトレーニングはかなり強度を高くできたので、それがすごく自信になったんです。開幕前は『10点は取れるな』と思っていたんですよ。昨年J2だったとはいえ、結果を出せたという手応えはありましたから。
J1には、自分のスタイルが変わっていることを知らない選手も多くいる。そう思ったので、長身の(マテウス)ペイショットの周りでコソコソしていたら10点くらいは取れる、というイメージはありました。
実際に第2節の川崎戦で4点取れて、これはやっていけるなと。さすがに4点は想定していなかったですけど、シーズンを通して点を取っていけるという自信にはなりました」
── 19ゴールを挙げた昨季と比べると、新天地のサンフレッチェ広島ではやや苦戦しているように感じます。リーグ戦では4ゴールに留まっていますが(26節終了時)、ここまでのプレーを振り返ると?
「キャンプの時はかなり状態がよくて、練習試合でもたくさん点が取れていたんです。今年も去年みたいな感じでいけるかな、と思っていたんですけど......いざ始まると簡単にはいかなかったですね。
シーズンの最初の頃は、点こそ取れていなかったですが、パフォーマンス自体は悪くなかった。でも、やっぱり点が取れないとメンタル的にも難しくなりますし、連戦の影響もあってコンディションも落ちてしまいました。代表に呼ばれる前くらいまでは、そんな状態でしたね」
【代表はレベルアップできる場所】
── 1トップができる選手がほかにいない状況で、ほぼ試合に出ずっぱりの状態でした。
「ピッチに立つことは選手として幸せなことなので、あまりそこを言い訳にはしたくないです。だけど、少なからずシーズンの初めの頃よりはパフォーマンスが落ちてしまったので、多少は影響があったのかなと」
── チームが変われば、求められるものも変わってきます。そのあたりで難しさを感じることはありますか。
「タスクはかなり多くなりましたね。一番前で守備をしつつ起点にもなるというのは、どのチームでも求められることです。ですけど、その基準がかなり高くなっているとは感じます。ただ、そこをクリアしなければ試合には出られないですから、得点を取ること以外の部分もしっかりとやっていかなければいけないと思っています」
── 自分のパフォーマンスをうまく出せていない、もどかしさを感じていますか。
「前半戦に関して言えばありました。だけど、代表に行ったことで感覚が変わったというか、いい状態で戻ってこられたんですよね。戻ってきた最初の新潟戦はかなりいいフィーリングでプレーできましたし、トレーニングもいい状態でやれているので、その意味でもE-1は自分にとっていい大会だったと思っています」
── あらためて代表について聞くと、E-1選手権を経験したことによって、意識や目標設定に変化が生まれてきたところはありますか。
「これは僕だけじゃなくて、チームに帰ってきて最初の練習やゲームに取り組むと、代表を経験した選手は判断のスピードやインテンシティが高まっているように感じます。約1週間の活動期間でしたけど、やっぱりレベルアップできる場所なんだというのを、あらためて感じましたね。
だからもう一度、呼ばれたいっていう思いは強くなっています。今回は国内組だけでしたけど、海外組がいる代表のなかに入れたら、どれだけレベルアップできるのかと思うと、楽しみですね」
── かつて一緒にプレーしていた選手も何人かいますよね。
「(板倉)滉とは仙台で1年間、一緒にやっていました。守田(英正)は流通経済大の同級生です。あとは三笘(薫)と旗手(怜央)は大学選抜で一緒でした」
【理想とするフォワード像は...】
── 現在はヨーロッパでプレーする彼らの存在は意識しますか。
「ヨーロッパでプレーしている選手はちょっと別世界にいると思っていたので、そんなに意識はしてなかったです。ただ、E-1のあとに守田が久々に連絡をくれたんです。代表という同じテーマで会話ができた時に、ちょっとは近づけているのかなって思いましたね」
── 自分も海外でプレーしたい、という思いも生まれてきましたか。
「それはないです。もう30歳なんで、年齢的にも現実的じゃないなと。
── 今回の活躍によって、ワールドカップの舞台がおぼろげに見えてきたのかなと思います。ご自身のなかではどのように分析していますか。
「正直、ヨーロッパ組がいる代表には一度も呼ばれていないので、僕にはまだおぼろげにも見えていません。次の9月の代表戦に選ばれれば、ようやく見えてくるかもしれませんが。
ただ、広島で結果を出して、そこに呼ばれたいという思いは、代表を経験したことで強くなっています。広島でいいパフォーマンスを続けて、スタートラインに立てるようにがんばりたいと思います」
── 日本代表やワールドカップ出場もそうですが、ジャーメイン選手が思い描く未来像はどういったものですか。
「もう30歳なんで、サッカー選手としてのキャリアはすでに終盤戦。そこまで先が長いとは思わないですけど、今回、また新しいチャンスが生まれたと思っています。それをモノにすることが今のひとつの目標ですし、あと3、4年はトップフォームでやれると思っているので、Jリーグを代表するようなストライカーになりたいと思っています」
── 理想とするフォワードはいますか?
「僕はプレミアリーグがけっこう好きなんですけど、中位くらいのチームに、やたらと点を取る選手がいるんですよ。そういう選手がかっこいいと思いますね。
ただ、去年は自分もそういう感じで結果を出せたんですけど、今年は優勝争いをするチームに移籍してきたので、理想像にはちょっと離れてしまいました(笑)。でも、やっぱり一番かっこいいのは、優勝するチームのエースになること。
<了>
【profile】
ジャーメイン良(りょう)
1995年4月19日生まれ、神奈川県厚木市出身。アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。流通経済大柏から流通経済大に進学し、大学4年時に特別指定選手としてベガルタ仙台でJリーグデビュー。2021年に横浜FC、2022年からはジュビロ磐田でプレーしたのち、2025年にサンフレッチェ広島へ。2025年7月、A代表デビューとなったE-1選手権・香港戦で4ゴールを記録。大会得点王とMVPを受賞する。ポジション=FW。身長182cm、体重82kg。