中東の砂漠の近未来都市・ドバイにプロ野球ができるという。にわかには信じがたい話だが、どうやら本当らしい。

「私が本当にやるんだと確信を持ったのは、球場を見てからですね。とはいえ、まだ100%信じているわけではなく、98%といったところです」

 そう語るのは、このリーグを番組のネタにしようと考えたTBSのテレビマン・高橋秀光だ。

 2年前、この新リーグの噂を聞きつけた元東京六大学の選手だった高橋は、単身ドバイへ飛び、海のものとも山のものともつかない「謎のプロ野球」とタッグを組む約束を、リーグの創設者であるインド・パキスタン系アメリカ人の実業家と取りつけた。

無名の浪人投手・岩瀬禮恩 ナックルボールを武器に砂漠の摩天楼...の画像はこちら >>

【3年前に動き出したドバイのプロ野球計画】

 このドバイのプロ野球、正式名称『ベースボール・ユナイテッド』が発足したのは、3年前の夏のことだ。そして2023年11月、元メジャーリーガーたちを集め、アラブ首長国連邦の「国技」であるクリケットのスタジアムで、得点が倍になる打席「マネーボール・アット・バット」や、1試合に何度も出場できる「指名代走(D・R)」など、ビデオゲームのような新ルールを取り入れた「ショーケース」となるイベントを開催した。

 これに先んじてアメリカで行なわれた「世界ドラフト」では、すでに引退しているはずの日本人選手の名前も登場し、話題を呼んだ。

 その後、昨年11月には、中東・南アジア各国の代表チームを集めたアマチュア大会「アラブ・クラシック」を主催。この地域に野球を根付かせるという方針を内外に示した。

 そして年が明けた2月には、プレシーズンゲームとして、ドバイを本拠とする"アラビア・ウルブズ"と、アブダビを本拠とする"ミッドイースト・ファルコンズ"による3連戦のエキシビションマッチを、新球場で開催した。

 この試合を見た高橋は、日本でトライアウトを実施することを思い立ち、自身がプロデューサーを務める深夜番組『バース・デイ』の企画として動き始めた。その背景には、プロを目指して大学に進学しながらも志半ばで挫折した、自らの後悔があった。

「オレも参加しようかなって思ったりもしますね」

 そう言って笑う41歳の男の目を見ると、あながちその言葉が冗談ではないことがわかる。

【1次トライアウトには約300人が参加】

「プランD」と名づけられたこの第1次トライアウトが7月末に実施され、総勢約300人の選手が集まった。しかし野球シーズン中にトライアウトに参加するということは、裏を返せば、確固たる所属チームがないことを意味している。

 野球界の「素浪人」たちが挑んだこのプランDの第1次トライアウトでは、挑戦者たちがふるいにかけられ、横須賀市にある横浜DeNAベイスターズの練習施設"DOCK"で行なわれた投手対象の第2次トライアウトには41人が進んだ。

 プロ野球はもちろん、学生野球や独立リーグにも所属していない「素浪人」のピッチングなど、たいしたことはないだろうと思われるかもしれない。しかし、さすが野球大国・日本。まだまだ埋もれた素材はゴロゴロいた。実際、社会人野球のクラブ選手権で主力投手として活躍した経歴を持つ選手もいた。

 トライアウトは番組を盛り上げる必要性から、ストライクゾーンの的を狙って落とす、いわゆる「ストラックアウト」の方式で行なわれた。なかには、140キロ台後半の速球で次々と的を撃ち落とす投手もいたが、さすがにマウンドからストライクゾーンを狙うとなると、多くの選手はブルペンとは勝手が違うのか、球が浮いたりスピードが落ちたりしていた。

 めぼしい投手が出揃ったところで退出しようと高橋に挨拶に行くと、「この投手だけは見ていってくださいよ」と、ブルペンで投球練習をしようとしていた細身の投手を紹介された。直前に声をかけて話を聞いた選手だった。

 エキゾチックな顔立ちからどんなバックグラウンドがあるのか、また草野球場にいそうな小柄な体格から「記念受験組」の話でも聞いてみようか......くらいの軽い気持ちだった。

 彼の名は、岩瀬禮恩(れおん)。野球の世界ではほとんど聞かないジョージア出身の父を持つという。

「ジョージアって言っても、アメリカじゃなくて、ロシアの近くにある国のほうです」

 常にそう説明しているのだろう。かつてのソ連邦の一部で、今も一部の領土をロシアに占領されている、かつて「グルジア」と呼ばれていたカフカスの小国だ。

 とはいえ、本人は日本育ちで、高校まで日本で過ごしたあとにアメリカへ渡ったという。父親が商売をしているというので、国際ビジネスや語学を学ぶためかと思ったが、そうではなく、「あくまで野球のプレーのため」だそうだ。高校では甲子園を目指してプレーしており、目標はあくまでプロ。そのためにアメリカのカレッジ(短大)に進学したという。

 正直、日本で日の目を見なかった独立リーガーからよく聞く話だ。まだ見ぬ世界にチャンスが転がっていると信じて飛び出すのは、若者の特権でもある。彼もまたそのひとりなのだろうと、その時は思った。

【杉谷拳士も絶賛したナックルボール】

 いよいよピッチングが始まった。いつの間にか、私の後ろに高橋も陣取っている。その投手は、マウンドからややぎこちないフォームでボールを投じた。手を離れた球は、草野球でちょうど打ち頃というスピードでキャッチャーのミットに収まった。

 ネットの後ろから見ている分には、確かにまとまっている。しかしこの球速では、猛者が集まる草野球の上級レベルでも、簡単に打たれてしまうだろう。それに、ほかの多くの投手がそうであるように、実際のトライアウト本番のマウンドでは、大舞台を踏んだことのない彼らは、未知の緊張でコントロールを乱し、球速も落とすのが常だ。

「このピッチャーを見ていけ」とは、プロデューサーも帰りがけの人間に悪い冗談を言うな、と思った。だが次の瞬間、キャッチャーが「おおっ!」と驚きの声を上げた。

 プロデューサーの高橋がここで口を開いた。

「杉谷さんも絶賛していたんですよ」

 この企画には、日本ハムで人気者だった杉谷拳士が「ドリームサポーター」として参加している。前回のトライアウトで高橋の投球を見た杉谷が、その細腕から放たれる魔球に驚愕したという。

 ゆらゆらと揺れるというよりは回転せず、そのまま浮いたまま真っすぐ近づいてくるという感じだ。それが打者の手前で一度左にすべったかと思うと、今度は右側、つまり左打者の膝下に落ちてくる。

 ネット裏で見ている我々は、なぜかそのボールの動きにつられて上半身を揺らしてしまう。その後、右打者の懐に落ちる球は、まだ完全にはコントロールできていなかった。

しかし、これらをうまく組み合わせ、ある程度ストライクゾーン周辺に球を集められれば、プロでも苦戦するだろう。

【アメリアでさらにナックルボールに磨き】

 実際、彼は昭和学院高校3年の夏、千葉大会で強豪・拓大紅陵打線を相手に、5回まで無失点の好投を見せている。体育会的な上下関係が苦手で、日本のスカウトがまずスピードガンを見る現状にも違和感を覚え、プロへの可能性を求めてアメリカへ渡った。そして、ナックルボールにさらに磨きをかけて戻ってきた。

「あとはストレートをしっかり投げることだね」と、顔を出したベイスターズのブルペンキャッチャーが言った。たしかに、時折混ぜるストレートはほかの参加者のそれに比べると見劣りするし、足を上げた時点で、ストレートかナックルかが素人目にもわかってしまう。

「でも、ドバイじゃ通用するんじゃない」と言い残してブルペンキャッチャーは去っていった。その言葉は、プロの目から見て、彼がドバイ行きの切符を手にする可能性があることを示していた。

 しかし、このトライアウトのルールは、ストラックアウトの的を倒した得点と球速をポイント化して競う仕組みになっている。たとえ彼が魔球で的を倒しても、球速の点で大きなポイントにはならない。これにはプロデューサーの高橋も頭を悩ませていたが、果たしてどのような決断を下すのだろうか。

 ベースボール・ユナイテッドは、日米のプロ野球シーズンが終了した11月中旬から、約1カ月にわたって開催される予定だ。

メジャー経験者も多数参加するという。細腕ナックルボーラーの岩瀬は、砂漠の摩天楼に囲まれたマウンドに、はたしてその姿を現すのだろうか。

「アメリカでは、元メジャーリーガーのセミナーにも参加して、いろいろ教わりました。ええっと、誰でしたっけ......?」

 メジャー通算216勝を挙げた伝説のナックルボーラー、チャーリー・ハフの名は、20歳の若者にとってはもはや歴史上の人物なのだろう。思えば、ナックルボーラーも球界の遺物と化しつつある。スピードガン全盛の今だからこそ、それだけではない野球の魅力を、メジャーリーガー相手に見せてほしいものだ。

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