連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第4回 安藤美姫 前編

 2026年2月のミラノ・コルティナ五輪を前に、21世紀の五輪(2002年ソルトレイクシティ大会~2022年北京大会)に出場した日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩を振り返る本連載。第4回は、トリノ、バンクーバーの2大会に出場した安藤美姫の軌跡を振り返る。

前編は、「世界初の4回転ジャンパー」として大注目され、プレッシャーと戦ったトリノ五輪について。

アイドル扱い、直前にケガ、記者の質問に涙...安藤美姫の初め...の画像はこちら >>

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【アイドル扱いの裏側にあった重荷】

 2006年トリノ五輪。フィギュアスケート女子の日本代表は2002年ソルトレークシティ五輪出場の村主章枝と、1998年長野五輪代表で2004年世界選手権優勝の荒川静香がいたが、日本のメディアにもっとも注目されていたのは当時18歳の安藤美姫だった。

 その理由は、ジュニア時代からの華やかな経歴だった。ジュニアデビューの2001−2002年シーズンに、初参戦のジュニアGPシリーズでいきなり2勝。鈴木明子や太田由希奈、中野友加里も出場したジュニアGPファイナルでも優勝し、初出場の全日本選手権で3位に。さらに翌シーズンは、女子で世界初の4回転サルコウを公式戦で成功させていたのだ。

 当時、安藤は、「確率がよくなってきたらトリプルアクセルを入れていきたいです。4回転ループも、3回転+3回転+3回転も入れていきたいと思っています。でも、それだけにはとらわれず表現力やスピードも重視したいです」との意欲を、衒(てら)うことなくはつらつとした表情で話していた。

 そしてジュニア最後の2003−2004年は、ジュニアGPシリーズ連勝、2度目のジュニアGPファイナル制覇のほか、全日本ジュニア3連覇。全日本選手権では4回転サルコウを跳んで初優勝を果たし、世界ジュニア選手権も初制覇と突っ走った。さらに初出場の世界選手権も4位と健闘。

シニアデビューした2004−2005シーズンは、GPファイナルへ進出して4位になると、全日本選手権を連覇し、女子のトップへと駆け上がっていった。

 そうした活躍に加え、「女子世界初の4回転ジャンパー」というインパクトのある肩書きによって一躍世間の目を引くようになり、「世界に通用する新星」だとアイドル扱いをされるほどだった。

 それ以前はほとんど関係者くらいしかいなかった大会の会場にも多くの観客が来場するようになり、フィギュアスケートへの関心を一気に高める役割も果たした。だが一方、まだ10代だった彼女にとってはその環境の激変が重荷にもなっていった。

【五輪直前の記者会見で流した涙】

 初経験の五輪シーズンとなった2005−2006年は、練習拠点をアメリカに移しての挑戦だった。

 GPシリーズ初戦のロシア杯は、世界女王のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)に次ぐ2位と好発進をしたが、次のNHK杯は4位。GPファイナルは、フリーで転倒が3回あって優勝の浅田真央や3位の中野には及ばない4位。全日本選手権でも6位にとどまった。

 その結果に安藤は、「トリノ五輪へ行けそうもないのは悔しいですが、アメリカに行ったのは笑顔で練習したいと思ったから。スケートをまた好きになって練習も笑ってできるようになっていました。去年とは違う美姫の笑顔を見せられたと思います」と悔しさをにじませながら話していた。

 それでも、前シーズンも含めた選考ポイントで3位になってトリノ五輪代表に選ばれた。しかし、初めての大舞台での戦いは厳しかった。

年末に右足小指を骨折し、ジャンプの練習も十分ではなかったのだ。

 さらに現地入りしてからの試合前の記者会見で、小学2年の時に亡くなった父親への思いを質問され、安藤は涙を流しながら、「プライベートな質問には答えられません」と言葉を返すという、心が揺さぶられる出来事さえあった。

【幸せと不安が入り混じった初挑戦】

 2006年2月21日、トリノ五輪のショートプログラム(SP)。日本勢では最初の14番滑走だった安藤は「すごく緊張した」と、最初に予定していた3回転ルッツ+3回転ループはセカンドが2回転になって手をつく着氷に。次の3回転フリップも軸が斜めになってGOE(出来ばえ点)加点は稼げず、全体的に耐える演技になって56.00点で8位発進になった。

 2日後のフリーに向けては、「悔いを残さないように、失敗してもいいから4回転にチャレンジする」と宣言した。トリノ入り前のクールマイユールの練習会場での会見でも安藤は、「新採点法になってから回転不足を取られるので弱気になっているところもありましたが、4回転を練習している人はいても試合で跳んでいるのは私ひとりしかいない。自信を持って自分のチャームポイントにしていきたいです」と話していた。

 そして2月23日、フリー。安藤は午前中の公式練習で7回挑んですべて失敗していた4回転サルコウに本番でも果敢と挑戦した。だが、そのサルコウは転倒し、ダウングレードで3回転サルコウの表示になった。さらに後半の3回転フリップでは着氷でスリップをして片手をつき、3回転ループは両足着氷になって、最後の3回転トーループは転倒。

結局フリーは16位で、合計140.20点の総合15位に終わった。

 演技後、「4回転をやって力尽きました」と話した安藤だが、「初めてでわからないまま来てこんな演技になってしまいましたが、4回転に久しぶりに挑戦できたのはうれしく思っています。このリンクに立てない選手が多いなかで、夢を叶えられたのは幸せ」と語った。

 だが、そののちには小指の骨折が完治ししておらず、痛み止めを服用しての演技だったことを明かし、「五輪に向かう不安とつらさがありました」とも口にしたのだった。

後編につづく

<プロフィール>
安藤美姫 あんどう・みき/1987年、愛知県名古屋市生まれ。14歳で出場した2002年ジュニアGPファイナルで、女子史上初となる4回転サルコウ成功。五輪には2006年トリノ大会、2010年バンクーバー大会に出場。世界選手権は2回、全日本選手権は3回優勝。2013年の全日本選手権を最後に引退。現在はプロフィギュアスケーターとしてアイスショーなどに出演している。

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