世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第29回】ジョゼップ・グアルディオラ(スペイン)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第29回目は、選手としても、監督としてもすばらしい実績を残しているジョゼップ・グアルディオラを取り上げたい。選手時代はバルセロナで中盤の底を託されてリーグ優勝6回。指揮官に転身してもバルセロナ、バイエルン、マンチェスター・シティの3チームでいずれも成功を収めている。スペイン史上もっとも「名選手、名監督にあらず」の言葉が似合わない男だ。

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【欧州サッカー】やせっぽちの少年が名選手となり名将へ グアル...の画像はこちら >>
 フットボール史上、トップ・オブ・トップの名監督である──。

 チャンピオンズリーグ:3回
 ラ・リーガ:3回
 コパ・デル・レイ:2回
 ブンデスリーガ:3回
 DFBポカール:2回
 プレミアリーグ:6回
 FAカップ:2回
 リーグカップ:4回
 クラブワールドカップ:4回

 自宅のキャビネットには、数多くのトロフィーが飾られているに違いない。「ポジショナルプレー」「ゼロトップ」「偽サイドバック」など、近代フットボールに多くのアイデアをもたらした。この男がいなければ、戦略・戦術の進化は遅れていたとも考えられる。

 ジョゼップ・グアルディオラだ。

 監督としてありとあらゆるタイトルを手中に収め、マンチェスター・シティとの契約が切れる2027年6月で「一度、フットボールの世界と距離を取る」と明言している名将は、バルセロナのラ・マシア(下部組織)で選手として育った。

 今をときめくFWラミン・ヤマル、MFペドリ、MFガビ、DFパウ・クバルシなどにとっては偉大なる先達であり、技術を極限まで高め、パス&ムーブを強調してきた。

 そして、バルセロナならではのスタイルが花開いたのは、1991-92シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)である。

【クライフに見出された男】

 怨敵レアル・マドリードが6回もCLを制しているのに対し、カタルーニャの名門は一度もヨーロッパの頂点に立っていなかった。FWラディスラオ・クバラ、FWゾルターン・チボル、FWエヴァリストといった名手を擁した1960-61シーズンは決勝でベンフィカに2‐3の敗北。1985‐86シーズンのファイナルではステアウア・ブカレストのGKヘルムート・ドゥカダムにPK戦で4本も止められ、大魚を逸した。

 だが、潮目は1988-89シーズンから変わり始めていた。ヨハン・クライフ政権の発足である。トータルフットボールの信奉者が指揮官に着任したことによって、1988-89シーズンにカップウィナーズカップ、1989-90シーズンにコパ・デル・レイ、1990-91シーズンはラ・リーガ、そして1991‐92シーズンもリーグ連覇を成し遂げている。

「ボールをキープしてさえいれば失点しない」というクライフ監督の哲学のもと、バルセロナは魅惑のアタッキング・フットボールで1991‐92シーズンのCL決勝に進出した。

 対戦相手はサンプドリアである。FWジャンルカ・ヴィアッリ、MFトニーニョ・セレーゾ、MFアッティリオ・ロンバルド、DFピエトロ・ヴィエルコウッドなど、結果のみを求めていた当時のカルチョ・イタリアーノに適した猛者が顔を連ねる強豪だ。バルセロナとは対極に位置し、下馬評は「サンプドリアやや有利」だったと記憶している。

 多くの決勝がそうであるように、この一戦も見せ場は多くなかった。決勝ゴールはロナルド・クーマンの20メートル中距離砲だ。

バルセロナは堅苦しそうに映った。しかし、ある程度の主導権を握れたのは、中盤の底に位置するグアルディオラのペース配分によるものだった。

 チャンスの数が限られた場合、どうしても前がかりになる。ゴールへの近道を選択しようとするFWフリスト・ストイチコフ、FWフリオ・サリナス、MFミカエル・ラウドルップを、グアルディオラは彼らの気配とパススピードで牽制していた。

【芸術的なパスでチャンスを演出】

 サンプドリアに限らず、イタリアのクラブはカウンターを得意にしている。ほんの小さなパスミスが大きな綻びになりかねない。「決勝の大舞台でもクールに振る舞ったグアルディオラこそが殊勲者」という評価も、決して少なくはなかった。

 ありとあらゆる状況を脳裏にインプットしている。二手三手先を読みながらボールをコントロールし、パスを配する。最適のポジションをとる。文字にすると無味乾燥な所作を、グアルディオラは鮮やかにやってのけていた。

 キックの精度はラ・マシアから培ってきた。長短緩急は自由自在。

FWの足もとに、スペースに寸分の狂いもないパスが届けられる。クライフに率いられた当時のバルセロナは「ドリームチーム」と呼ばれ、アタッカーを軸に語られるケースが多いとはいえ、すべてをコントロールしていたのはグアルディオラだったのだろう。

 ちなみに、彼をトップチームに引き上げたのは、ほかならぬクライフ監督である。稀代の名将は、各方面で脆弱なフィジカルが批判されていたやせっぽちの少年のパスセンスに注目した。もし、クライフ監督がバルセロナに着任していなかったら......。

 ハードワーカーではない。スピードスターでもなければ、ボール奪取能力に秀でていたわけでもない。それでもグアルディオラが人々の記憶に深く刻まれているのは、芸術的なパスで数多くのチャンスを演出してきたからだ。

「我々の攻撃は、前線にパスをダイレクトにつなぐより、グアルディオラを経由したほうがスピーディー、かつ精度が高い」

 フットボールに一家言を持つバルセロナのソシオ(会員)でさえも、中盤の将軍には一目置いていたという。

 フィジカルとはまったく無縁のグアルディオラにドーピング疑惑が生じたのは、2001年のことだった。血中から興奮剤が検出され、4カ月の出場停止処分が下される。

【薬物疑惑を払拭して名将へ】

 当時、彼はセリエAのブレシアに所属していた。

フィジカル志向の強いリーグだとしても、グアルディオラが禁止薬物に手を出すとは考えづらい。「いい加減なテストの犠牲になった」とスペインのメディアが問題視すれば、グアルディオラ側は数回にわたって科学的な証拠を提出して無実を訴える。その結果、裁判所は無罪の判決を下し、彼の潔白が証明された。

 風邪薬、もしくは痛み止めのなかに微量の禁止薬物が含まれる場合は多々ある。オリンピックや世界選手権で誤って使用し、出場停止→メダル剥奪といった残念なニュースは何度も報じられてきた。

 しかし、グアルディオラのプレーから判断すれば、その類(たぐい)の薬は不要だ。何者かが名誉を傷つけるために仕組んだ、との指摘も依然として消えていない。

 成功者のイメージダウンを図る不届き者は、どの世界にも存在する。SNSが不気味なほどの独り歩きを繰り返す現代ならなおさらだ。グアルディオラを中傷するサイトまであるという。なんて愚かな......。

 やせっぽちだった少年はクライフ監督に認められ、選手として大成した。

監督になってからは独創的なアイデアでフットボールの進化に尽力し、バルセロナ、バイエルン、マンチェスター・シティを世界最強の座に導いている。グアルディオラのキャリアを偽りで汚すような連中に、フットボールを語る資格はない。

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