大谷翔平から三振を奪った男~チェコ代表 オンドジェイ・サトリアの今(前編)
遠く離れた欧州では、短い野球シーズンが終わろうとしている。例年なら各国のリーグ戦は8月中旬に終了するが、この夏はU23ヨーロッパ大会が開催されたため、多くの国ではレギュラーシーズン終了後に大会へ注力し、大会後に最も盛り上がるポストシーズンを行なっている。
【WBC直後に子どもが誕生】
前回のWBCで、スポーツマンシップあふれるプレーによって日本の野球ファンを魅了したチェコの最高峰リーグ『エクストラ・リガ』も、8月末の週末から最終シリーズに突入した。
レギュラーシーズンでは8チームが戦い、その上位4チームが2組に分かれてプレーオフを実施。各組の勝者が7戦制の決勝プレーオフ「チェコシリーズ」へ進み、敗者は3戦制の3位決定プレーオフに出場した。
レギュラーシーズンを2位で終えたアローズ・オストラヴァは、1ゲーム差で届かなかった首位・ドラチ・ブルノに「下剋上」を狙ったものの、逆に1ゲーム差をつけた3位のフロシ・ブルノに「下剋上」を許してしまった。
取材したこの日は、4位のニュークレアズ・トジェビーチを本拠地に迎えて最終戦に臨んだが、中盤に大量失点を喫し、表彰台を逃してしまう。それでも試合後には、3位のトロフィーを手にした勝者と健闘を称え合い、半年に満たないシーズンを締めくくった。
このシリーズ初戦の先発を託されたアローズのエース、オンドジェイ・サトリアは、この試合では登板機会がなく、ブルペンから仲間の戦いを見守っていた。試合後はしばらくチームメイトと来季の健闘を誓い合い、その後、丘陵の土手を利用して造られたスタンドを登ってくると、歩き始めたばかりの子どもとおもちゃのバットとボールでしばらく遊んだあと、インタビューに応じてくれた。
子どもは前回WBCの直後、2年前の秋に生まれたという。その子どもの母親は、WBCでのサトリアの勇姿を直接見ることができず、遠く離れたチェコでテレビを通して観戦していたという。そもそもあのような場面が訪れることなど、誰ひとり予想していなかった。
「彼女とはまだ結婚はしていないんだけど」
現在は3人で市内のアパートで家族として暮らしているという。
【引っ越しが導いた野球との出会い】
「ほら、あそこにオレンジ色のアパートが見えるだろ。あれが、僕が野球を始めたきっかけの場所なんだ」
球場を見下ろす古い建物をサトリアは指さした。
5歳までベースボールをまったく知らなかったサトリア少年が野球と出会ったのは、引っ越しがきっかけだった。かつて鉄鋼の町として栄えたオストラヴァ郊外の小さな町から、一家は町外れの無機質な集合住宅が立ち並ぶ一角へと移った。
自然豊かなこの国では、子どもたちは家でゲームをするよりも屋外で体を動かすことに親しむ。サトリア少年も人気のサッカーをはじめ、さまざまなスポーツに勤しみ、最終的に野球を選んだ。
「目の前に球場があって、選手たちを見て育ったんだ。幼い頃はチェコで人気のアイスホッケーもやってみたけど、野球のほうがエキサイティングだったね」
アローズのジュニアチームのユニフォームに袖を通したサトリアは、以来23年、このチームでプレーし続けている。
WBCチェコ代表の投手であるサトリアだが、幼少期のスターは、ボストン・レッドソックスなどで活躍したマニー・ラミレスだったという。「世界のオオタニ」からWBCという大舞台で三振を奪った彼は、もともとは外野手だった。
そんなサトリアが、指導者から投手転向を打診されたのは8年ほど前だった。
「代表チームでは10年くらい前からプレーするようになったんだけど、打力がイマイチだったんだ。守りはそこそこよかったんだけどね。でも、僕にとってはビッグチャンスだととらえて、ピッチャーになったんだ」
東京ドームで披露した最速127キロのストレートからして、外野手として特別肩が強かったわけではなさそうだ。今となっては、「打てない外野手」に投手転向を勧めた指導者の意図は知る由もないが、当時は「勝ちパターンのリリーフ」など夢のまた夢だった。
リリーフ陣を揃えることが難しいチェコ野球では、先発投手の完投はめずらしくなく、長いイニングを投げて試合をつくる投手は何よりも貴重な存在である。サトリアも軟投派の多くがそうであるように、大きなケガもなく、確実に週1回の役割を果たしている。そして、のちにあの東京ドームで訪れる名場面を思えば、この投手転向が彼の人生を大きく変えたと言って間違いないだろう。
【地元の電力会社に勤めるサラリーマン】
前回のWBCでチェコの名が世界に登場することになるとは、野球ファンの誰も予想していなかった。この大会の予選には2012年から参加しているが、チェコはヨーロッパの中で、オランダやイタリアの「ツートップ」に次ぐ、ドイツやオーストリアと並ぶ第2グループに属する。
WBC予選では、北米のマイナーリーガーを集めたイギリスやイスラエル、さらにメンバーの大半をラテン系プロ選手が占めるスペインなどが立ちはだかり、国内リーグの選手でロースターを形成するチェコは、戦力的にどうしても見劣りしてしまう。
代表メンバーの多くは所属球団とプロ契約を結び、多少の報酬を受け取っているものの、それが生活の柱となるわけではなく、彼らは本業のかたわら野球に打ち込んでいる。
サトリアも地元の電力会社に勤めるサラリーマンである。
「日本では『エンジニア』なんて呼ばれているみたいだけど、実際はオフィスでパソコンと向き合う毎日だよ。シーズン中は月曜から金曜まで会社で勤務して、その後に野球の練習を2回行なう。水曜日はボルダリングもしているんだ。週末は試合だから、休みはほとんどないね」
そんな「アマチュア軍団」が奇跡を起こしたのは、2022年秋の予選だった。最後のひと枠を争う試合で、前回対戦時に7対21で惨敗したスペインを相手に、3対1で見事リベンジを果たしたのだ。その瞬間、サトリアの脳裏には、世界の一流選手と対戦する自分の姿が浮かんだという。そしてチェコは、本戦で日本と同じグループBに割り振られた。
つづく>>