田中健二朗インタビュー(中編)
2023年オフ、横浜DeNAベイスターズを自由契約になった田中健二朗は、現役続行を目指して12球団合同トライアウトに参加をしたものの、NPBの球団からの連絡はなかった。心の奥に不安を抱えていたそんな時に声をかけてくれたのが、翌年からウエスタン・リーグに新規参入する「くふうハヤテベンチャーズ静岡」だった。
【ゼロからチームに携われたのは財産】
「拾っていただいた恩に報いるためにも、自分自身のことはもちろん、球団のためにできることはなんでもやろうと思いました」
いざチームに合流してみると、すべてにおいて古巣のベイスターズとは違った。選手のレベルは当然として、練習環境や施設、チーム運営、遠征での移動手段など、そのほとんどがゼロベースからのスタートだった。恵まれた環境だったベイスターズ時代は自分のことだけに集中できたが、ハヤテではそうはいかなかった。
「まあ大変なことも多かったですけど、何もないところから始まって、そこに携われたのはめちゃくちゃいい経験でしたよ。どういう形でゼロからチームになっていくのかを見られたのは、今後の人生のプラスになると思います」
特に印象に残っているのは、若い選手たちとのコミュニケーションだという。これから上を目指す夢と若さに溢れた熱量に、田中は大いに刺激を受けた。
「もちろん経験が浅く、プロ意識も低い選手もいるんですけど、なかには試合に出られなくても真面目に一つひとつやるべきことを黙々とやって、自分の順番を待っている選手もいる。ひたむきに頑張っている選手にはアドバイス送りましたけど、そこはもう自分で気づくしかないので、無理に押し付けるようなことはしませんでしたね」
田中はコーチではないので、自ら率先してあれこれ若い選手に教えることはない。ただ、アドバイスを積極的に求めてくる若手に対しては、惜しみなく自分の知識や経験を伝えた。
「やっぱり、自分から積極的に行動ができる選手は伸びますよね。僕自身、若い時はずっと言われるがままにやってきて、そういうもんだろうって思っていたんですよ。本当、子どもでしたよね。
【ハヤテから阪神へ入団した早川太貴との思い出】
田中に積極的に教えを乞うた選手のひとりが、ハヤテからNPBドラフト入団第1号となった早川太貴(阪神)だ。早川は今年頭の入寮の際、田中のサインが入ったハヤテのキャップを持ち込み「健二朗さんからプロとしての姿勢、マウンドでのことなど学びました」と語っている。
また、引退会見のビデオレターにも登場し、「あの(ドラフト)指名は、健二朗さんのおかげといっても過言ではありません」と述べている。その画面を見つめる田中の目は温かいものだった。
阪神に育成契約で入団した早川は、ファームで好投を見せ、7月に支配下登録された。8月27日のベイスターズ戦(横浜スタジアム)でプロ初先発となるマウンドに立つと5回無失点の好投を見せプロ初勝利を飾っている。
「早川の活躍は、自分のことのようにうれしいんですよ」
田中は相好を崩しながら言った。
「彼はこういう環境にあっても、決して努力を止めることなく、また、わからないことをそのままにはせず、僕や経験が豊富な(コーチ兼任の)藤岡(好明)さんに聞いてくるんですよ。的確なアドバイスができたかどうかはわからないけど、彼はそれを自分なりに解釈してプレーに生かすことができる本当に能力の高い、いい選手だと思いました。初先発で初勝利を挙げましたが、ベイスターズ相手で、しかも横浜スタジアム。
そううれしそうに語る田中の様子を見ていると、自身のNPB12球団復帰は叶わなかったが、決して報われない人生だとは思えなかった。そう伝えると、田中は「もちろんですよ」と深くうなずいた。
【耐えまくりの2年間だった】
では、このハヤテでの2年間、人間として心の部分で成長できたものは何だろうか。
「うーん、根性論みたいになっちゃうんですけど、"耐える"ってことですかね」
あきらめないこと、顔を下に向けないこと。それを35歳のベテランは、身をもって実践した。
「正直、決して恵まれた環境ではありません。たとえば治療だって限られた時間しか受けられませんし、ちょっと調子が悪いなって思っても、自分でなんとかしなくちゃいけない。ピッチングでも本当に何度も苦しいことがあったけど、フォアボールを出そうが、打たれようが、とにかくゼロで帰ってくる。そういった"耐える"といった部分で心の成長というか、それまでの自分とは違うなって思うことはあります」
そして田中は声を張って続けるのだ。
「耐えまくりの2年間でしたけど、未経験だったウエスタン・リーグでプレーをしたり、また、人とのつながりが以前より増えたり、プラスの経験しかないんですよ。球団にはいろいろフォローしていただいて感謝しています。僕の引退が報道されると、いろんな方から連絡をいただき『おつかれさま』とねぎらいの言葉をたくさんもらいました。
そう言うと、田中は目線を遠くにした。
「高校時代の監督である森下知幸先生が、昨年1月に亡くなられたんです。僕が静岡のハヤテに入団することはお伝えできたのですが、引退をすることを報告できなかったのはすごく残念です......。落ち着いたらお墓参りに行きたいと思います」
森下監督との出会いがなければ、田中はプロになれなかったと考えている。
「野球がうまくなるためには、失敗しても明るく前向きじゃなければダメだと、森下先生は常におっしゃっていました。しょぼくれて野球をやるなって。ここ近年話題の"エンジョイベースボール"の先駆者だったと思いますね。楽しく野球ができたからこそ僕は甲子園で優勝できたと思っているし、プロになって最初は結果が出ず、ネガティブな感情になっていた時は本当にうまくならなかったんです。その後、先ほど話した木塚さんとの練習で、森下先生が言っていたことがつながったんですよ。苦しいなかでも楽しまなければ上達しない。本当に森下先生には感謝しかないですね」
自身を育んだ静岡の地。
つづく>>
田中健二朗(たなか・けんじろう)/1989年9月18日生まれ。愛知県出身。2007年の常葉菊川高3年時に春のセンバツで優勝し、夏も全国ベスト4に進出した。同年、高校生ドラフト1位で横浜ベイスターズに指名され入団。15年に35試合に登板し防御率2.20の好成績を挙げ、以降は貴重な中継ぎとして活躍。その後、ヒジの故障もあり19年にトミー・ジョン手術を受けて育成契約となるも、21年6月に再び支配下登録に。22年4月19日には1363日ぶり勝利を挙げた。しかし翌年、11試合の登板に終わると、オフに戦力外通告。24年からNPBのファームに新規参入したくふううふハヤテベンチャーズ静岡でプレー。25年9月に現役引退を表明した。NPB通算274試合登板、14勝13敗1セーブ64ホールド、防御率3.64