【MLB日本人選手列伝】大家友和:NPB5年で1勝からメジャ...の画像はこちら >>

MLBのサムライたち~大谷翔平につながる道
連載08:大家友和 

届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。


MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。
第8回は、独自のルートでメジャーの世界を生き抜いてきた大家友和を紹介する。

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【2000年に樹立した3Aでの完全試合】

 ボストン・レッドソックスの3Aチーム、ウースター・レッドソックスの本拠地であるポーラーパークには、大家友和の完全試合を伝える新聞記事が飾られている。

 2000年6月1日、当時はポータケット(ロードアイランド州)に本拠を置いていたレッドソックス3Aの先発を務めた大家は、シャーロット・ナイツ戦で"パーフェクト"を達成。いかにマイナーリーグのゲームとはいえ、所属のインターナショナルリーグ史上では48年ぶり3人目という記録が偉業だったことに変わりはない。

「オオカはあらゆる方法でアウトを取った。内外角を見事に投げ分けていた。制球がよかったから私の仕事も簡単で、打者はまったく捉えられなかった」

 この日、捕手を務めたジョー・シッドル氏(のちにトロント・ブルージェイズの解説者を務める)はカナダのメディアの取材に答えて大家をそう評していた。特にわずか77球で9回を投げきったというのは稀有な結果である。

 こういったエピソードは、日本人メジャーリーガーとしては極めてユニークな道を歩んだ大家のキャリアを、ある意味で象徴しているのかもしれない。

 説明するまでもないが、まずは日本のプロ野球で実績を積んでから渡米を考えるのが日本人メジャーリーガーの王道だ。しかし、1993年のNPBドラフトで横浜ベイスターズから3位指名されて入団した大家は、横浜での最初の5年間でわずか1勝のみ。にもかかわらず1998年12月にはレッドソックスとマイナー契約を結び、異例の形で太平洋を渡った。

もちろんメジャーに上がれるという保証はなく、注目度は日米ともに高いわけではなかった。

 ただ、そこから実力で這い上がった大家の軌跡は、見事としか言いようがない。1年目からマイナーリーグで好投し、マイナーのオールスターゲームである「フューチャーズ・ゲーム」に選出。その年に早くもメジャー昇格、初勝利もマークすると、翌年には前述どおり、マイナーで完全試合も達成した。

 2001年には開幕から野茂英雄とともにレッドソックスの先発ローテーション入り。シーズン途中にモントリオール・エクスポズにトレードされて以降も安定した投球を続け、2002年に13勝、2003年には10勝と2年連続で2ケタ勝利も果たした。シーズン中にミルウォーキー・ブルワーズに移籍した2005年も、ワシントン・ナショナルズ在籍時を通して合計11勝を挙げるなど、一時期は所属チームの主戦格で先発ローテーションを守り続けた。

【比類なき道を切り開いたパイオニアとしての功績】

 2009年までメジャーで活躍し、通算51勝は日本人史上8位。一時はNPBに復帰したあと、2010年代にはブルージェイズ、ボルチモア・オリオールズの春季キャンプに参加したが、メジャー復帰は叶わなかった。それでもそのメジャーキャリアは間違いなく成功であり、「道なき道を行った」という意味ではパイオニア的な存在でもあるのかもしれない。日本での実績が乏しかったがゆえに大きく取り上げられることは少なかったが、おそらくは過小評価されていた投手に違いない。

 もちろん、すべてが順風満帆だったわけではなかった。

2004年には打球を右腕に受けて骨折というアクシデントも経験した。その影響もあったのか、2005年は開幕から不調。同年6月4日のフロリダ・マーリンズ戦では降板を要求するフランク・ロビンソン監督に背を向け、罰金処分を受けたこともあった。その試合後、ロビンソン監督は「ほかの選手も、ファンも、相手チームも見ているのに」と憤慨してニュースになったのを覚えているファンもいることだろう。当時の大家は反骨心からか、フィールド内外で緊張感を漂わせていることも多かった記憶がある。

 ただ、そういった気の強さ、意志の強さは大家の原動力になっていたのかもしれない。4シームの球速は最速でも94マイル(約150キロ)程度と豪速球があるわけではなくとも、制球力、粘り強さ、緩急をつけるうまさでサバイバルを続けていった。それらの長所を生かすにはマウンド度胸が不可欠。何より、強靭なメンタルを持っていたからこそ、いわゆるアンダードッグの立場からこれだけの実績を残せたのではないか。

 完全試合時の女房役だったシッドル氏のこんな証言もシンボリックに響いてくる。

「大家は本当に冷静沈着で、5対0で勝っているのか、0対5で負けているのかわからないような男だった。彼に関しては、私が精神科医の役を果たす必要はなかった」

 選手としてのキャリアを終えた大家は、今では日本で千葉ロッテマリーンズの投手コーチを務めている。

これほど波乱万丈の道を辿った人物なら、後進に教えられることは必ずある。いずれ指導者としてもさらに名声を勝ち得、大家がアメリカで成し遂げたことが再評価される日が来ても驚くべきではないだろう。

【Profile】おおか・ともかず/1976年3月18日、京都府出身。京都成章高(京都)―1993年NPBドラフト3位(横浜)。1998年12月にボストン・レッドソックスとマイナー契約、翌99年7月にメジャー契約。2010年4月に横浜で日本球界に復帰し、翌11年で自由契約になって以降は韓国、米マイナーリーグ、BCリーグなどで2017年まで現役を続けた。
●NPB所属歴(6年):横浜(1994~96、98)―横浜(2010~11)
●NPB通算成績:8勝17敗(63試合)/防御率5.23/投球回211.2/奪三振112
●MLB所属歴(10年):ボストン・レッドソックス(ア/1999~2001)―モントリオール・エクスポズ(ナ/2001~04)―ワシントン・ナショナルズ(ナ/05)―ミルウォーキー・ブルワーズ(ナ/05~06)―トロント・ブルージェイズ(ア/2007)―クリーブランド・インディアンズ(ア/2009) *ア=アメリカンリーグ *ナ=ナショナルリーグ
●MLB通算成績:51勝68敗(202試合)/防御率4.26/投球回1070.0/奪三振590

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