男子バレーボール日本代表

小川智大インタビュー 前編

【メンバーから外れたパリ五輪に帯同した理由】

 小川智大(29歳/サントリーサンバーズ大阪)は、日本男子バレーボール界でトップクラスのリベロである。いや、山本智大と並び、世界トップクラスのひとりにも数えられる。ジェニア・グルベニコフ(フランス)、パベウ・ザトルスキ(ポーランド)、ファビオ・バラーゾ(イタリア)らと比肩する守備のスペシャリストだ。

【男子バレー】小川智大はパリ五輪メンバー落選に「泣きました」...の画像はこちら >>

 緻密なアルゴリズムではじき出したようなディグ(スパイクレシーブ)は、高精度でボールを上げる。理路整然と話す姿は、理系の学者のようにも映る。プレーと性格の符合だが、理詰めのせいで「とっつきにくい」と捉えられることもあるかもしれない。

 ただ、コートでは暗さのようなものが一切ない。真剣な表情と澄んだ笑顔のギャップが、女性ファンの心もつかんでいる。

 小川というリベロの正体とは――。

 パリ五輪、小川は12人の代表メンバーから外れた。世界選手権やネーションズリーグは14人の枠があり、リベロは2人になる。しかし、オリンピックは非情にもひとつの枠を巡る争いだ。

 パリ五輪ではサポートメンバーに入った。チームとは別行動で、エバデダン・ラリーと一緒にホテルと練習場を往復。体育館で、彼はひと際大きな声を上げ、西田有志の強烈なサーブをレシーブするなど、献身的に活気を高めていた。

悲願とも言える舞台に立てない無念を見せず、必死にチームを支える姿に、"我慢強い守備者の本分"を見た気がしたが......。

「すぐに"次のオリンピックへ"という切り替えはできなかったですが、"もし今後、それが目標になったとしたら"と仮説を立て、"行っとかないともったいない"って考えました」

 そう語った小川は、意外なほど現実的でロジカルだった。

「たとえ次のロス(五輪)を目標にできなかったとしても、行ったことが悪い方向に行くことはない。行かないのはマイナスだと思ったし、オリンピックも"生で観たい"って感覚でした。

 物事は捉え方次第だと思っています。落選自体、楽観的になれるものではない難しさはありましたが、自分がバレーボール選手として生きていくため、と考えて帯同しました」

 つまり、安っぽい犠牲精神ではない。

「自分にとって、プラスになることが最優先でした。もちろん、ずっと一緒にやってきたチームにメダルを獲ってほしかったし、リベロがいれば練習でチームが回ることもありました。でも、"チームをサポートする意識"が先じゃなかったです」

 いい子ぶることはしない。自らの糧にするため、彼はパリにいた。ひとつのプロフェッショナリズムだ。その姿勢を貫いてきたからこそ、小川はリベロとしてその域に到達できているのだろう。

【上でやるならリベロしかない】

 神奈川県・横浜市出身、小学生3年で始めたバレーだが、とても厳しいクラブだったという。ただ、その厳しさが日常だったため、当時は普通に思っていた。基礎となるレシーブの形を体に刻みつけた。それがリベロの原型になったが、365日中、250日は涙を流す日々だったという。それでも、彼は食らいついた。

「小学校時代の環境がすべて。なかったら今はないはず」

 そして、こう続けた。

「でも、本当にずっと泣いている感じでしたよ。メンバーを外されては涙を流して、『キャプテンとして終わっているよ』と言われては、また泣いていました(苦笑)。"これだけやっているのになんで!"って思ったし、悔しかったんだと思います」

 小川は感情量が豊富な選手なのだろう。彼自身、とびっきりの泣き虫だったことを認めるが、必ずしもネガティブなことではない。涙を流すたび、自分と向き合って、より強くなる。

感情を爆発させられることは、大成するアスリートのひとつの方程式だ。

 反面、小川はリアリストにも映る。中学3年のJOCジュニアオリンピックカップ(全国都道府県対抗で、将来のオリンピック選手を発掘する)で、スパイカーからリベロに転向。周囲の「レシーブがうまい」という評判もあったが、それは自身の合理的な選択だった。

「"上でやるならリベロしかない"とわかっていました。ネットの高さが2ⅿ30㎝から2m43㎝になり、スパイクはガンガン打っていたんですけど通用しないなって。単純に、上でやるための決断でした。小学生でずっと練習していた分、レシーブはうまかったんで"リベロはできる"と。高校生では途中でセッターもかじったんですけど、能力値は低いと思っていました」

 実に現実的な選択だった。その土台になっているのが、一心不乱に涙を流しながら身につけたレシーブだったというのは興味深い。リベロというポジションとの遭遇が、彼の道を開いた。それは運命に近かった。

 そんな彼が論理を超え、すべてを解き放つような感情の爆発を感じた時、至高の境地に入るのではないか。

「大人になってから人前で泣くことはほとんどないですが、パリ五輪の代表に落選した時は泣きました。"人の想い"って面白くて......助けにもなるんですけど、叶わなかった時は、とてもきつい。

 もしメンバーに入って出ていたら、それを目指すと決めてからの想いの積み重ねもあって強かったはずですけど......落ちたことを切り替えて、次のロス五輪でメンバーに入れたら、パリの想いも含めていろいろとつながるはずです」

 小川は真っ直ぐな目で言った。

――違った種類の涙を流した時、小川選手は何かを勝ち取っているかもしれませんね。

「そう思っています」

 彼の語尾はとても力強かった。

(後編:小川智大が思う世界に勝つために必要なこと 「真剣にやる楽しさ」を見つけて世界屈指のリベロに成長>>)

【プロフィール】

◆小川智大(おがわ・ともひろ)

1996年7月4日生まれ。神奈川県出身。175cm。リベロ。サントリーサンバーズ大阪所属。川崎橘高校から明治大学を経て、豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)に入団。

2020-21シーズンから3シーズン連続でVリーグのベストリベロ賞を獲得し、21-22シーズンの天皇杯、22-23シーズンはVリーグ制覇に貢献した。SVリーグ1年目はジェイテクトSTINGS愛知で活躍。リーグ終了後、サントリーサンバーズ大阪への入団が発表された。

編集部おすすめ