【平成の名力士列伝:追風海】玄人を唸らせた技巧派力士の輝きと...の画像はこちら >>

連載・平成の名力士列伝56:追風海

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、追風海を紹介する。

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【日大相撲部に憧れ成長を遂げ幕内力士に】

 相撲どころの青森県、北津軽郡板柳町出身で小2から廻しを締めたが、相撲だけでなく足も速く、水泳、スキー、球技も得意なスポーツ万能な少年だった。足腰の強さは目を見張るものがあり、相撲の試合では土俵際の逆転勝ちもしばしば。小中学校の大会では禁止されていた河津掛けを決め、反則を取られたこともあった。

 毎年夏休みになると隣町の鶴田町で行なわれる日大相撲部の合宿を相撲部の顧問に連れられて見学していた。筋骨隆々としたたくましい肉体の大学相撲部員に憧れを抱くようになり、小6の時にはすでに「俺は日大へ行く」と心に決め、周囲に公言もしていた。中学生になると自身も日大の合宿に参加。そこでのちに大相撲の世界で師匠となる追手風親方(元幕内・大翔山)の山崎直樹選手とも出会っている。

 高見盛(現・東関親方)は同じ小中学校の1学年下の後輩で「精彦(高見盛の本名)のことはいじめてましたね(笑)」と冗談交じりに語ったことがあるが、面倒見のいい先輩でもあった。のちに日大相撲部でふたりは同じ釜の飯を食うが、高見盛こと加藤精彦と一緒に帰省した際、「相撲を辞めたい」と実家にこもったまま、合宿所に戻ろうとしない1年生の後輩を小中学校時代の共通の恩師とともに、熱心に説得にあたった。これにあっさりと翻意した加藤精彦は3年後、アマチュア横綱になったことでプロ入りを決意するのである。

 中学3年になるとプロからの誘いもあったが、卒業後は地元青森を離れ、埼玉栄高へ相撲留学。

高2のときには同校の全国制覇に大きく貢献し、高3で国体優勝。同年の全日本選手権では高校生ながらベスト16に食い込んだ。

 高校卒業後は初志貫徹で日大に進学し、1年生の4月から早くも団体戦に起用され、1学年下の田宮(のちの大関・琴光喜)とともに日大全盛時代の中心選手として活躍。3年生で学生横綱に輝くなど大学時代は15個のタイトルを獲得した。

 日大を卒業すると平成10(1998)年3月場所、追手風親方の内弟子として友綱部屋から幕下付け出しでデビュー。所要5場所で関取に昇進するも、新十両場所で右ヒザに重傷を負ってしまい、幕下へ逆戻りしたが、再十両から所要4場所で新入幕を果たし、独立後の追手風部屋第1号の幕内力士となった。

【ケガに泣かされるも技巧派としての光を放つ】

 大学1年の時の稽古で頸椎(けいつい)を骨折したため、立ち合いは頭から当たれなかったが、胸で当たって右を差し、左の前廻しを引きつけての速攻相撲を得意とした。入幕4場所目の平成12(2000)年9月場所は雅山、出島の2大関を撃破して9勝をマークし、技能賞を獲得。小結を通り越して一気に新関脇に昇進した翌11月場所も千代大海、武双山の2大関を破ったが、8日目、小結・栃乃花を叩き込んだ際に右ヒザを負傷。上位戦も横綱・武蔵丸戦を残すのみで4勝3敗と、白星を先行させていただけに無念の休場となった。

 ケガは全治3カ月の重傷で翌場所も公傷休場。平成13(2001)年3月場所から土俵に復帰し、同年11月場所は初日から8連勝としたが、9日目の貴ノ浪戦で外掛けに敗れた際に今度は左ヒザを負傷。

車椅子で引き揚げるほどの重傷で、その後も同患部の負傷を繰り返し、十両で低迷することに。

 その間に後輩の高見盛は番付を駆け上がって三役の座を射止め、"気合い注入パフォーマンス"でも注目を浴びて大ブレーク。平成15(2003)年7月場所後に地元で開かれたふたりの合同激励会では、"ロボコップ"の異名を持つ人気者が行くところには黒山の人だかりが絶えなかったが、不振が続く相撲巧者の周りは人がまばらだった。すっかり立場が逆転してしまい「そりゃあ、悔しいですよ。俺ももう一度、這い上がります」と復活を強く誓ったのだった。

 平成16(2004)年5月場所の再入幕以降は幕内に定着。翌年3月場所は前頭3枚目まで番付を戻したが、場所前に首に抱える古傷を悪化させ全休。翌場所も左ヒザをまたも負傷し、これが致命傷となり幕下まで陥落。三役返り咲きはおろか、関取復帰も叶わずに30歳で土俵を去った。

 身体能力が高く、切れ味鋭い投げや足の運びでは抜群のセンスが光り、相撲のうまさは天才的で玄人をも唸らせるほどだった。しかし、力士生活後半は満身創痍の土俵を強いられ、立ち合いで天高く飛んで身をかわす"八艘飛び"を繰り出し、白星を拾うことも少なくなかった。屈指の技能派にとってはやむにやまれぬ策であり、決して本意ではなかった。

 引退後は協会には残らず、警備会社勤務などを経て政治家に転身。板柳町議会議員、青森県議会議員などを歴任し、国政にも挑んだ。

【Profile】
追風海直飛人(はやてうみ・なおひと)/昭和50(1975)年7月5日生まれ、青森県北津軽郡板柳町出身/本名:齊藤直飛人/所属:追手風部屋/初土俵:平成10(1998)年3月場所/引退場所:平成18(2006)年1月場所/最高位:関脇

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