球団スタッフが綴る「素顔の中田翔」(後編)
前編:球団スタッフが綴る中田翔のルーキー時代の豪快伝説はこちら>>
北海道日本ハムファイターズのルーキー時代から中田翔を知る加藤潤氏(元・日本ハム通訳兼広報、現・中日ドラゴンズ通訳)。昨年、中田が中日ドラゴンズに移籍し、久しぶりの再会を果たしたふたりはキャンプで旧交を温め、そして今年8月には本人から引退の意思を聞いた。
【若手との壁を取っ払った声出し】
「え、かとちゃん、なんでここにいるの??」
「なんでじゃねぇよ。ドラゴンズに来て、もう14年目だぞ」
昨年、中日の沖縄キャンプイン直前、ホテルの中田翔の部屋を訪ねた時の会話である。おもにファームを職場とする私は、北海道日本ハムファイターズを離れてから、グラウンド上で彼とあいさつを交わす機会がなかった。
長い間、顔を合わせていなかったとはいえ、いったん話を始めれば、以前の関係に戻るのに時間はかからなかった。お互いの根本的な性格など、そう簡単に変わるものではない。
そして、中田の年上に対しての人たらしぶりも変わらず健在だ。
「かとちゃん、そこの滑り止めスプレー取って」
キャンプ序盤の練習中、ティーバッティングを行なう最中、目の前のスプレー缶を取るよう私に指示を出す。そして、ニヤリと人懐っこい笑顔を見せた。
「変わらねぇなあ。それをやられると『おまえが自分で取れよ!』とは言えないんだよな」
昨年5月、腰痛からの復帰初戦となるファームでの試合前、ひとつ策を練った。試合前の円陣の声出しを、ぜひ中田にやってもらいたかった。ドラゴンズに移籍して以降、キャンプから腰痛発症による登録抹消までの間、彼は一軍で過ごしてきた。
中田自身は壁をつくる意識など毛頭なかっただろうが、ファームの若手のなかには彼に対して、どこか気後れしている者が少なからずいるように思えた。
中田本人に聞いてみたところ、「いや、オレはやらなくていいよ。でもまあ、若い子に言われたら考えなくもないけど」との返答だった。そこでチームの元気印であるブライト健太に、中田を促すよう頼んだ。さらに映像担当にも「いい絵が撮れるぞ」と連絡を入れておいた。この時の様子は、球団公式YouTubeでご覧いただける。
声出しすることで中田がチームに馴染み、ベンチの空気もよくなる。その様子を、動画を通してファンのみなさんが楽しむ。まさに"win-win-win"である。
この機転は、ファイターズ時代に培った広報マインドによるものだ。球団広報とは、取材を右から左へとこなすだけの"信号機"ではなく、自ら仕掛けるものだと教えられた。中田が引き寄せた個性豊かなメディアの方々と、ある時はぶつかり、ある時は共闘しながら得た経験が原点だ。
【チームに迷惑をかけたくない】
今年の春先から、中田の弱気な言葉をよく耳にした。引退をにおわせる言葉も吐いていた。そんな彼の本音を前に、うわべだけの励ましなど虚しいだけだ。だから私は、「そうか、辛いな。でも、オレ個人の気持ちとしては、最後にもうひと花咲かせる翔を見たい」と伝えるのが精一杯だった
先月、引退の意思を伝えてくれた中田は、そのあとも言葉を続けた。
引退の理由は、満足に動くことのできない腰の状態と、プロ入りして初めて経験したという自分のスイングを見失ったこと。そして、この状態で一軍に出続けるならばチームに迷惑をかけることになり、それを彼自身が受け入れることができないとのことだった。
「チームに迷惑をかける」と、引退を前にしてメディアに語る選手は多い。この言葉を聞くたびに、これは選手の本心ではなく、単に社会に対して体裁を保つためのものではないのかと、穿った見方をしている自分がいた。しかし、中田の説明には納得がいった。
彼の言う「チームに迷惑をかけたくない」の真意は、「満足に働けない自分が一軍枠をひとつ抱えることで、若手の活躍の場を奪いたくない」であった。
「だって、若い時の自分がそう思っていたんだから。
8月12日、中田に替わって一軍に昇格したのは、2年目の津田啓史だった。
今も昔も、中田は生意気であり、かわいくもある。風貌こそ近寄りがたいが、根は嘘のない真っ直ぐな男だ。それゆえ、過去には周囲に誤解されることもあり、ゆきすぎた行動をとったこともあったのだろう。
とはいえ、過去の過ちを問いただしたり、詮索したりする理由は私にはない。私は週刊誌の記者ではなく、ただ縁あって2つのチームで同僚となったにすぎないのだから。
プライベートで深く付き合ってきたわけではない。少人数で酒席を共にしたのも、ただ一度だけだ。昨年のシーズン終了後、焼肉を食べながら酒を酌み交わした際、雑居ビルの非常階段の踊り場で偶然ふたりきりになった。その時に「かとちゃんとの関係はこのまま変わらないだろうね」と、ぽつりと言われた。
引退試合の日、私はファームの広島遠征に帯同していることだろう。グラウンドでの最後の勇姿を、この目で見ることができない寂しさはあるが、それもまた巡り合わせだ。
つぼみの2年と、散りぎわの2年を共にできた腐れ縁に感謝。引退セレモニー後にベンチ裏の通路でハイタッチを交わす代わりに、この拙文を翔へのはなむけとしたい。