連載第68回 
サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 2026年北中米W杯のチケット販売がスタート。

参加チーム数、試合数が大きく増える今回は、入場者数も増えてW杯のさらなる巨大化が予想されています。以前、大会の入場者数が大きく伸びたのも、1994年のアメリカW杯でした。

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【入場者数が大きく伸びた1994年アメリカW杯】

 FIFAは2026年W杯入場券の販売の第1フェーズ「VISAプリセール・ドロ-」に216カ国から450万人以上の申し込みがあったと発表した。「ドロ-」、つまり、抽選で購入機会が与えられるらしい。そしてその後、いくつもの段階を経て入場券は販売されていく。

 2026年の北中米大会は48カ国が出場し、試合数は104試合に達する。前回まで試合数は64だったから2倍近くになる。しかも、開催国のひとつ、アメリカには巨大スタジアムが揃っているから、入場者数が史上最大となることは確実だ。

 たとえば、1982年のスペイン大会から1994年のアメリカ大会までW杯は24カ国参加で行なわれ、試合数は52だった。総入場者数は200万人台で推移していたが、1994年大会は同じ試合数だったのに4年前のイタリア大会に比べて100万人以上増の358万人に達した。

 1試合平均では1990年大会が4万8411人だったのが、1994年大会では6万8991人となっている。

 1994年当時、アメリカにはサッカー専用競技場は存在しなかったから、すべてアメリカンフットボール用のスタジアムが使用された(フィールド幅がサッカーより狭いのでルール通りのピッチは取れなかったが、FIFAは米国開催実現のために妥協した)。

 アメリカンフットボールは野球、バスケット、アイスホッケーと並ぶアメリカの4大スポーツのひとつ......というより、間違いなくアメリカの人気ナンバーワンスポーツだ。

 その最高峰のNFLには32チームが加盟しているが、レギュラーシーズンは9月から翌年1月までと短く、各チームはわずか17試合しか戦わない。したがって、入場料収入を確保するためには(収入源としては放映権料のほうがはるかに大きいが)、1試合当たりの入場者数を増やすしかない。

 そこで巨大な競技場が建設され、レギュラーシーズンだけでも平均観客数は6万7000人を超えている。

 その巨大スタジアムを使って行なわれたのがアメリカ大会ということになる。

【ほとんど全試合で競技場が満員に】

 1994年のアメリカ大会で観客動員数が急増したことは、現場感覚としても明らかだった。

 1990年大会以前のW杯では満員にならない、というよりガラガラの試合も目についた。開催国の試合や強豪チーム同士の好カードはもちろん超満員だったが、第3国同士の試合でウィークデーの試合では空席が目立ったのだ。

 イタリア大会ではミラノのジュゼッペ・メアッツァ(サンシーロ)で西ドイツ、ユーゴスラビア、コロンビア、UAEが所属するグループDの試合が行なわれた(当時は、グループ毎に会場が決まっていた)。公式記録としては7万人超の観客数が発表されているが、実際にはこうした強豪が出場する試合でも空席が目立っていた。

 1990年当時、W杯といえども観客は主に地元の人たちだったからだ。

 今では信じられないことかもしれないが、当時、イタリアのセリエAは世界最高峰リーグだった。

 たとえば、この大会の決勝トーナメント1回戦(ラウンド16)では西ドイツ対オランダという好カードが実現し、両者はサンシーロで対戦したのだが、西ドイツのローター・マテウス、ユルゲン・クリンスマン、アンドレアス・ブレーメの3人はインテル、一方オランダのルート・フリット、マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトの3人はミランでプレーしていたので、まるでミラノダービーの代理戦争のようだった。

 ちなみに、ミラノ勢を脅かしていたのがディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)のいたナポリだった。

 そんな時代だったから、ミラノの人たちにとってはW杯の試合のほとんどは毎週のセリエAよりレベルが低かったのだ。そんな試合に高い入場料を払って観戦に行く人が少なかったのは当然だ。

 だが、アメリカ大会ではほとんど全試合で、巨大なアメリカンフットボール用の競技場が満員になった。たとえば韓国対ボリビアといった試合でも、ボストン近郊フォックスボロのスタジアム(当時のNFLニューイングランド・ペイトリオッツの本拠地)が満員になった。

FIFAワールドカップが巨大化する歴史 入場者数が大きく伸びたのは31年前のアメリカ大会だった
1994年アメリカW杯、韓国対ボリビア戦の入場券(画像は後藤氏提供)
"ドーハの悲劇"でW杯への道を絶たれた悔しさもあって、日本人の多くはやっかみ半分に「アメリカ人はサッカーを知らないから、どれが好カードなのかわからないんじゃないか」と悪口を言ったものだ。

 実際、1994年当時のアメリカではサッカーは一部愛好家以外には馴染みのないスポーツだった。1960年代から70年代にかけて北米サッカーリーグ(NASL)が人気を集めたことはあったが、同リーグも10年前に解散してしまっていたし、記者席で取材していると隣にいるアメリカ人スポーツ記者から「ゴール前にある四角(ペナルティーエリアのこと)は何なんだい?」と質問される始末だった。

 だから、確かにアメリカ人はサッカーは知らなかった。だが、「ボリビア対韓国」が好カードではなさそうだということはわかったはずだ。

【入場券の販売方法が変わった】

 それでも、入場券は売れた。

 入場券の販売方法も前回までとは異なっていた。

 イタリア大会で公式記録の観客数と実際の入場者数の間に大きな開きがあったのは、発表されたのが入場券の販売枚数だったからだ。

つまり、入場券は買ったのにスタジアムに来なかった(他の会場に行った)人がたくさんいたのだ。

 なぜかというと、1986年と1990年の2回のW杯では入場券は抱き合わせ販売だったのだ。

 たとえば、ミラノでラウンド16(グループリーグの結果、西ドイツ対オランダという好カードになった)を見たいと思ったら、開幕戦(アルゼンチン対カメルーン)からグループリーグ、準々決勝までの6試合分をまとめて購入しないといけなかった。

 グループリーグでブラジルの試合を見たかったら、トリノのスタディオ・デッレ・アルピでの5試合分の一括購入が必要だった。

 だから、当然、入場券を買っても見に来ない(同日に他の会場での好カードを見に行く)人が大勢いたのだ。

 だが、アメリカ大会からは試合別で入場券を買えるようになったので(怪しげな代理店が関与したり、横流しが横行したりはしたが)「入場券は売れているのに空席だらけ」ということはなくなった。そして、サッカーに詳しくはないアメリカ人も「何か大きな大会らしい」というのでスタジアムにやって来た。

 そして、さらに各国の代表のサポーターも大量にやって来るようになった。

 それまではW杯で代表を応援するためにやって来るのは、よほどの熱狂的なサポーターだけだった。なかには仕事を辞め、家屋敷を売り払ってやって来る人もいた。だが、当然、数は多くなかった。

 だが、1990年代になるとワイドボディ機の登場で航空券が安くなり、一般の人も格安航空券というものを簡単に利用できるようになった。

そのため、各国から応援に来る人が急増した。

 1994年大会の入場者数は358万人に達した。そして、1998年のフランス大会から参加国数が32カ国に、試合数が64に増えたこともあって、21世紀に入るとW杯の観客動員数は300万人から340万人程度で推移していた。

 また、最近は入場券もインターネットを通じて希望する試合だけ買うことができるようになり、公式、非公式のリセールもできるようになったので、購入者の多くが実際に足を運ぶようになった。

 そして、2度目のアメリカ開催となる2026年大会では試合数が100を超え、再び巨大なスタジアムが使用されるので観客数は600万人を超えることになるだろう。そして、FIFAは巨大な収入を確保し、ジャンニ・インファンティーノ会長の権力の座は安泰となる。

 そんな水増し感満載の大会が面白いかはまったく別問題なのだが......。

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