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中野慎詞インタビュー 後編

 10月22日(水)からチリ・サンティアゴで開催される「2025トラック世界選手権大会」。その世界最高峰の大会に日本期待の若武者、中野慎詞が出場する。

「ケイリンで金メダルを狙う」と明言する中野に、ナショナルチームでの飛躍のきっかけや、盟友・太田海也の存在などについて話を聞いた。

【飛躍のきっかけとなったレース】

――2019年にナショナルチーム入りして、その当時から目標にしていたパリオリンピックへの出場も果たしました。ナショナルチーム入りからここまで、どのような点で成長を感じていますか。

 全体的な能力の成長は感じますが、自分の能力の成長を阻害していた要因だったのが、"海外の選手はめちゃくちゃ強い"という勝手な先入観だったんです。強いのは間違いないんですが、すごく強く見え過ぎてしまっていました。

 だから仕掛けられるレースで仕掛けられなかったりしていました。海外のレースに初めて行った時には、まったく仕掛けもせず、全然戦えていませんでした。そういう状態だったので、僕に出場機会が与えられなくなってしまったんです。

 そんな状況の時に、カナダ・ミルトンでネーションズカップ(2022年5月)がありました。その時にジェイソンコーチから「残り500mになって後ろから誰も抜きに来なかったら、お前は全力で行け」と言われたんです。僕は「嘘だろ、無理だ」と。そんなに早いタイミングで仕掛けたことがなかったから。

 でも今までのことがあるから思いっきりいくしかないと思って仕掛けたんです。

そうしたらマシュー・リチャードソン(オーストラリア→イギリス)に最後に少し差されただけで2着になりました。ということは、"俺は長く仕掛けられる選手かもしれない"とそこで初めて気がつきました。

 そこから僕のケイリンの成績が伸びたんですよ。その後のレースが楽しみだったんですけど、ゴール直後に転倒して骨折してしまって、次の大会に持ち越しになってしまいました。

――そのレースが飛躍のきっかけだったんですね。ナショナルチームで活動して今年で7年目になりますが、今はどのようなフェーズにいるのでしょうか。先日、滝行をして悪い流れを断ちきるという企画もされていましたが。

 能力としてはすごく成長していると思いますが、それが結果に結びついていませんでした。4月に競輪で車体故障があってレースを棄権したり、5月のジャパントラックカップで転んでしまって肩をケガしたりしていました。そんなことが連続であったので、どうにかこの流れを断ちきりたいと思いました。

 もちろん自分の能力で打ち破るのが一番ですが、自分ができることをやったうえで、神社に御祓いにも行きましたし、滝行にも行きました。本当に自分を変える気で行きました。

そうしているなかで、8月の全日本選手権で自己ベストも出しましたし、ケイリンで2位と結果も出ましたので、今はいい流れに入ってきているのかなと思っています。

中野慎詞がコーチからの「無理」な要求で気づいた自分の強み 盟友・太田海也とケンカした過去も明かす
穏やかな語り口ながら、言葉の端々に自信と闘志がみなぎる photo by Noto Sunao(a presto)

【お金に代えられない価値】

――スプリントとケイリンでは短距離でも大きく内容の異なる種目となりますが、中野選手はケイリンのほうが得意なのでしょうか。

 みんなはケイリンが苦手と言うんです。自分以外の5人を見てレースをしないといけないから。スプリントに関しては、海外の選手にはよく「1対1だから相手だけ見ればいいじゃん」と言われます。僕にはそれが意外と難しくて、相手のペースになってしまったりします。

 ケイリンは6人で走るので、全員が僕だけを見ているわけではありません。それぞれがいろんな選手を見ているので、どこかで隙ができるんですよ。その隙を突いて仕掛けられるかどうかです。

 逆に全員が僕のことを見ていたら、僕が動くのを待つレースになります。僕が仕掛けたのを見て作戦を立てたりするので、そうなると僕はより走りやすいですね。そこは僕のように長い距離を踏める選手だからこその特権なのかなと思います。

――いちアスリートとして、世界の頂点に立ちたいという意識はありますか。

 あります。世界で一番になることは、お金には代えられない、自分にしか感じられない価値があると思っています。だからずっと挑戦をし続けています。海外の選手には、日本には競輪というしっかりと稼げる世界があるのに、なぜ競技を軸にやっているんだと言われるんですが、自分は世界一を獲る名誉のためにやっているので、そこは価値観が違いますね。世界のトップ選手たちと戦うことは楽しいですし、勝った時、メダルを獲った時の気持ちよさは競輪とは違う喜びがあります。

【ふたりで競輪界を盛り上げたい】

――同じ年齢で、ともにナショナルチームの一員として活躍している太田海也選手は、中野選手にとってどんな存在でしょうか。

 僕のほうが自転車競技歴は長いんですが、能力的にはひとつ上の存在だと思っています。日本競輪選手養成所から一緒にやってきて、お互い早期卒業もしていますから、周りから比べられていると思いますが、自分としては負けたくないという気持ちがありますし、太田選手を倒せばもっと上の世界に行けると思っています。いい刺激を与えてくれる存在だと思います。

――2021年12月、早期卒業の時にも話を伺いましたが、ふたりはとてもライバル意識が高くてピリピリとした緊張感さえ感じました。

 そうなんですよ。もともと仲はよかったんですが、養成所のなかでケンカをしてしまって、1年半か2年くらい話をしない時期がありました。

お互い目を合わせない、挨拶もしないような感じでした。

 でもそういうことはもうありません。太田選手のほうが成績がいい時もあれば、自分のほうが成績がいい時もあります。そういう時に「おめでとう」が言えない関係ってよくないなと思いました。アスリートとして勝者に対して「おめでとう」と言えないのは失格だなと思ったんですよ。

 そう思って「おめでとう」と言うようにしたんです。そうしたら周りも僕たちの関係をいじりだしたんです。「また仲悪く見せて」とか言ってくれるなかで、どんどん固さがなくなって、元の関係に戻っていきました。今は昔みたいに話をしていますし、チームみんな仲がいいので、一緒にご飯を食べに行ったりしています。

――今はお互いが切磋琢磨しあえる関係なんですね。

 そうですね。競輪では同期ですし、他地区(※)になるので戦うことも頻繁に出てくると思います。

お互い強くなって、ビッグレースで決勝に乗った時には彼を倒さなければ自分が優勝できない、逆に彼も僕を倒さなければ優勝できないというふうになってくればうれしいですね。そういう関係のほうがやっていて面白いと思いますし、やりがいを感じると思います。
※中野慎詞は岩手(北日本)、太田海也は岡山(中国)

中野慎詞がコーチからの「無理」な要求で気づいた自分の強み 盟友・太田海也とケンカした過去も明かす
競輪でも存在感を発揮する中野 photo by Takahashi Manabu
――競輪では経験がものを言う部分もありますので、お互いがKEIRINグランプリに出場するのは少し先かもしれませんが、ふたりがグランプリで戦う姿をファンの方々も楽しみにしていると思います。

 そういうふうに盛り上げていけるような存在になりたいですね。競輪にはこれまで多くのドラマがあって、語り継がれるレースもありますし、さまざまなライバル関係が存在しています。自分もそんな歴史の1ページになれるような存在になっていきたいですね。そのためにも闘志をむき出しにしてバチバチ戦っていかなくてはいけないのかなと思っています。

インタビュー前編「自分には金メダルを獲れる力があると思っている」>>

【Profile】
中野慎詞(なかの・しんじ)
1999年6月8日生まれ、岩手県花巻市出身。小学4年生時にアルペンスキーの全国大会で優勝。高校から自転車競技を始め、数々の好成績を残す。早稲田大学進学後も結果を出し、ナショナルチームにも加入。2021年には日本競輪選手養成所に入所し早期卒業を果たす。

2022年1月の競輪デビュー戦から無傷の18連勝で特別昇級。ナショナルチームの一員としても活躍し、2024年のパリオリンピックではケイリンで4位入賞を果たした。

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