【新連載】Jリーグ語り草(2)
佐藤寿人の2012年
「就任1年目で初優勝。新人監督・森保一の手腕」前編

 シーズン開幕前は、降格候補にも挙げられるほどだった。

 2006年から指揮を執り、サンフレッチェ広島のスタイルの基盤を築いたミハイロ・ペトロヴィッチ監督がチームを去った。2012年に新たな指揮官としてやってきたのは、監督経験のない森保一だった。

 しかし広島は、43歳の新人監督の下で驚きの躍進を遂げることになる。

 下馬評を覆して成し遂げた、悲願の初優勝(ステージ優勝は1994年に一回)の裏には、何があったのか──。当時のキャプテンで、その年のシーズンMVPにも輝いた佐藤寿人が、2012年の軌跡を振り返る。

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 2012年当時の広島は、経営難の危機にさらされていました。2006年から指揮を執っていたミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)をチームに残したいけど、金銭的な理由で残せなかった。そういう事情があったにせよ、2011年の暮れにミシャの退任を聞かされた時は、本当にショックでした。

 ミシャの下でみんなが成長できて、一方でミシャの下でタイトルを獲れなかった。ミシャと一緒にタイトルを獲りたいという思いは、ついに叶えることができませんでした。

 個人的にも、2011年にはケガもありましたけど、キャリアで初めて減俸になりました。経営的な部分で、そうするしかなかったんだと思います。

広島はミシャの下で右肩上がりに成長を続けてきましたが、クラブの台所事情が苦しいなかで、2012年は大きく転落しかねないシーズンでした。

 ミシャの退任が決まり、次の監督にも当然、お金をかけることができない。次の監督は誰になるんだろう......と、当時は不安でしたね。

 チームを船に例えれば、監督は船頭ですから。船頭のかじ取りによって、たどり着く先は大きく変わってしまう。場合によっては、沈没してしまうリスクもあったと思います。

 ただ、次の監督の名前を知った時、僕は安心しました。森保(一)さんが広島に帰ってくると聞いた時に、これでチームが壊れることはないだろうと、胸を撫で下ろしました。

【代表監督になっても変わらない部分】

 森保さんは当時、アルビレックス新潟のヘッドコーチでしたが、2007年から2009年までは広島のコーチを務めていました。ミシャのやり方を熟知しているので、チームの基盤は崩れることはないだろうと。それと横内(昭展/現モンテディオ山形監督)さんの存在も心強かったです。

 ヨコさんはずっとミシャと一緒にやってきているので、森保さん以上に広島の現状を理解していたと思います。ミシャと一緒に出ていく可能性もあったなかで、残ってくれたのはありがたかったです。

 ただ、僕ら選手からすると、スタッフ陣の関係性が少しアンバランスに見えたんですよね。ミシャの下でヘッドコーチを務めていたのはヨコさんで、森保さんは2年間、外に出ていました。

 しかも、森保さんは広島にいた時はアシスタントの立場でしたし、年齢的にもヨコさんのほうが上だったので、その立場が逆転することは選手サイドからすると、ちょっと気を遣うところはありました。ヨコさんはそれまで、森保さんのことを「ポイチ」って呼んでいましたからね。

 でもヨコさんのすごいところは、そういった部分を一切、表に出さなかったこと。葛藤はあったかもしれませんが、ヘッドコーチとして森保さんを支える仕事を全うしていました。森保さんが監督になってから、ヨコさんが「ポイチ」と呼ぶことを一度も聞いたことがありません。

 ヨコさんもそうですが、フィジカルコーチの存在も大きかったですね。ミシャ時代にフィジカルコーチはいなかったので、僕らは入れてほしいとフロントにお願いしていたんですよ。でも、ミシャは自分ですべてを管理したい監督だったので、僕らの要求は通らなかったんです。

 だけど、森保さんは監督ひとりの力でチームを作るのではなく、コーチングスタッフすべての力を結集して、強化を推し進めていくタイプの監督でした。

 当時はまだ43歳でしたし、監督経験もない。

たしか、最初のミーティングで言ったんです。「俺はすべてを自分の力でできるわけではないから、それぞれのスペシャリストの力を借りてチームを作っていく」って。

 必要以上に自分を大きく見せず、人の力を合わせながらチームを作り上げていくのは、当時もそうですし、日本代表の監督になった今でも変わらない部分だと感じています。

【森保監督に口酸っぱく言われたこと】

 ミシャとは対照的なチームビルディングのやり方は、僕らにとっては新鮮でしたし、練習初日からすごくしっくりきたんですよ。もちろん、ミシャにはミシャのよさがありましたけど、スタッフ全員で作っていくやり方が、あの時の僕らには合っていたんだと思います。

 始動からいい形で入れて、キャンプもすごく充実していました。練習試合はほぼ負けなしで、内容もよかった。開幕前には非公開でセレッソと試合をしたんですけど、すごくいい内容だったので、これでシーズンも戦っていけるなと自信が深まりましたね。

 ミシャの時代は攻撃型のチームでしたが、森保さんはまず、守備の約束事をしっかりと示してくれました。当時、口酸っぱく言われたのが、「いいポジションを取ろう」ということ。

 今はハイプレスやカウンタープレスが主流になってきていますが、当時の僕らはミシャ時代に培ったボールポゼッションに自信を持っていました。だから、森保さんは「自分たちはボールを持てるから、守備の時にはまず、戻ろう」と。素早く帰陣して、ボールに対していいポジションを取って、そこから守備をするというやり方でした。

 当時のJリーグでは、構えた相手を崩しきるチームは限られていたので、相手が攻められない状況を作ることが一番重要でした。なおかつ、自分たちにはボールを動かしながら前進していくという強みがあったので、たとえボールを奪う位置が低くなっても、十分にチャンスを作れるという考え方でした。

 監督1年目ということもあり、森保さんは勝つチーム作りをしたわけじゃなく、負けないチーム作りをしていたんだと思います。

 このやり方は、僕にとっても有効でした。1トップとして、今までは前から追う仕事も求められていましたが、どうしても無駄追いも多かった。でもこの年は、まずハーフラインまで帰陣して、相手のボールホルダーに対してしっかりと正対することを徹底しました。ファーストディフェンスのやり方がはっきりしたので、体力の無駄なロスがなくなり、その分、攻撃に力を割けるようになったんです。

【個人的にも期待されていなかった】

 開幕前日には、印象的な出来事がありました。森保さんが涙を流しながら、メンバーを発表したんです。

「キャンプからよくやってくれた。俺は全員をベンチに入れたいけど......」って。悔しそうに語るその姿を見た時に、やるしかないな、と心から思いました。

 いい準備をしてホームで迎えた開幕戦は、忘れることができないですね。対戦相手は浦和でした。

 浦和はこの年からミシャが監督に就任して、元チームメイトのマキ(槙野智章)と(柏木)陽介もいました。因縁めいた相手でしたが、熱いメッセージを掲げてくれた多くのサポーターの前で、後半立ち上がりに決めた僕のゴールを守り抜き、1-0で勝つことができました。

 キャンプである程度自信をつかんでいましたが、実際にシーズンが始まってみないとわからない部分もありました。内容的によかったわけではないですけど、すごく気持ちが入っていましたし、何より大事な開幕戦で結果を手にできたことで、いい空気が生まれたと思います。

 続く清水戦で、すぐに鼻をへし折られてしまう(1-2で敗戦)んですけど、次の鹿島に勝ったことも大きかったですね。そこでうまくいかなくなってもおかしくなかったですけど、何とか持ちこたえて、そこから3連勝できました。

 もっとも、いいスタートは切れましたが、その頃は優勝できるなんて少しも思ってもいませんでした。なにせ、開幕前の下馬評は低かったですからね。

 サッカー専門誌の順位予想でも降格候補でしたし、担当記者でさえフタ桁順位を予想していたくらいで(笑)。でも、無理もないですよね。

実績のない新人監督がチームを率いていましたし、前の年のトップスコアラーだったチュンソン(李忠成)が海外(サウサンプトン)に移籍して、攻撃を牽引していたムジリ(→FCゼスタポニ)もいなくなったわけで、ポジティブな要素は少なかったですから。

 個人的にも、あまり期待されていなかったと思います。30歳になって、キャリアの下り坂に差しかかった時期でしたし、前の年も11得点に終わっていたので、そろそろ点が取れなくなるという見方をされていたと思います。経営的な問題があったとはいえ、減俸されたことも、そういう評価だったということでしょう。

(つづく)

◆佐藤寿人・中編>>「ストライカーの原点」を見つめ直すことができた森保監督の言葉


【profile】
佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。

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