連載・平成の名力士列伝58:琴勇輝
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、不屈の闘志でケガと戦い続け、引退後は平成生まれで初の親方となった琴勇輝を紹介する。
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【家族の支えを力に遂げた大ケガからの復活劇】
9度の入幕を果たすなど力士人生の大半はケガとの闘いに明け暮れたが、そのたびに這い上がり、闘志満々の相撲で土俵を沸かせた名力士だった。全盛期は短かったものの、その雄姿は今もなお、相撲ファンの脳裏に焼きついている。
高校を1年で中退して角界入りすると21歳で新入幕に昇進したが、1場所で十両へUターン。平成25(2013)年5月場所、13勝2敗の好成績で十両優勝を成し遂げ、3場所ぶりに幕内に復帰を果たした。優勝賞金はこの年の春、医大に入学した3歳下の弟・彦起(げんき)さんにそのまま手渡した。高校を卒業する前にプロの世界に飛び込んだのも、女手ひとつで兄弟を育ててくれた母親に孝行するため。勉学に励む弟の学費や生活費も琴勇輝が面倒を見続けた。
しかし、再入幕から3場所目に悲劇が起こった。同年11月場所6日目、德勝龍に押し倒しで敗れた際に左膝に重傷を負い、翌日から休場。22歳のときだった。
「正直、終わったと思いました。
完全復活まで最低でも1年半はかかると医師に言われ、やる気が底をついた。手術直後のリハビリでは平行棒につかまって何とか立つのが精いっぱい。足はまったく動かせなかった。
「復帰は早くても7月場所から」という医師の見解に対し「3月場所に出ます」と強硬に主張した。関取の地位を維持できる"デッドライン"が3月場所だったからだ。絶望の淵にいながら強気を取り戻せたのは、医師や周囲は皆、早期復帰に反対するなか、母・さゆりさんだけが「あなたが出ると決めたなら、それが正解よ。自分で決めたことは貫きなさい」と後押ししてくれたからだった。さらに力になったのは弟の彦起さんの存在だ。医大を休学して兄の壮絶なリハビリに付き添った。その経験がきっかけとなり、理学療法士の道へと進むことになる。
早急なリハビリに無理がたたって患部が炎症を起こし、高熱にうなされたこともあったが、それでも決して中断はしなかった。
平成26(2014)年1月場所は全休。「再発率9割」と言われる中、翌3月場所に十両の土俵で強行出場を果たして7勝をマーク。続く5月場所は11勝4敗で十両の優勝決定戦に進出するほどの超回復ぶりで、この場所から新三役を決めることになる平成28年3月場所までの12場所中、負け越したのは平幕下位で6勝に終わった1場所のみ。力士人生を左右する大ケガに見舞われながら、にわかには信じがたい怒涛の快進撃だった。
特に前頭筆頭で迎えた同場所は3日目、横綱・日馬富士を一方的に押し出す圧勝で生涯唯一の金星を挙げ「辛くて悔しくて泣いたことはあるけど、うれしくて泣くのは数えるほどしかない」と涙声で語った。
【元関脇のプライドを捨てさせた長女の誕生】
1横綱2大関(豪栄道、照ノ富士)を撃破して12勝を挙げたこの場所で、これまた生涯唯一の三賞となる殊勲賞を獲得し、翌5月場所は小結を飛び越え、新関脇に昇進。大関・豪栄道、横綱・鶴竜を破ったものの、惜しくも7勝に終わった。小結に陥落した翌7月場所は古傷の左膝が思わしくなく、2勝13敗の大敗。その後は古傷とは逆の右足の度重なるケガにより、番付もじり貧となり、幕内と十両の往復を余儀なくされた。
関取衆との稽古も回避せざるを得なくなり、やれることも限られてきた。
7度目の幕内復帰を目指していた平成31(2019)年3月場所は5勝10敗と負け越したが、4日目にあたる3月13日はこの場所初白星を挙げると岐阜市内の病院へ直行。留美夫人の出産に立ち会うと、長女・絢心(あやみ)ちゃんが誕生。新しく家族が増えたことで、何よりも琴勇輝自身の意識が大きく変わった。
元号が令和となって迎えた最初の5月場所は11勝で再入幕を決めたが、この場所から4場所連続勝ち越しで令和2(2020)年1月場所は前頭3枚目に躍進。元関脇のプライドはすでに捨て去り、十両に昇進して間もない琴ノ若(現大関・琴櫻)、琴勝峰の若手ホープの胸にもぶつかり、泥だらけになりながらも充実した稽古のおかげで4年ぶりの三役復帰に大きく近づいていたが、この場所は両変形性肘関節症により全休。両肘の手術を受けて翌場所は再び十両へ。その後も2度、幕内に這い上がるが、右膝の負傷、左膝の古傷の悪化などにより、令和3(2021)年3月場所後、30歳で引退を表明した。年寄・君ヶ濱、北陣を経て荒磯を襲名。平成生まれ初の親方となった。
「僕にはどん底から引き上げてくれたキーマンが4人いますから」
母、弟、妻、長女--。試練に見舞われるたびに強固になっていく家族の絆が、闘志の男の原動力であった。
【Profile】
琴勇輝一巖(ことゆうき・かずよし)/平成3(1991)年4月2日生まれ、香川県小豆郡小豆島町出身/本名:榎本勇起/所属:佐渡ヶ嶽部屋/しこ名履歴:琴榎本→琴勇輝/初土俵:平成20(2008)年3月場所/引退場所:令和3(2021)年5月場所/最高位:関脇