プロ野球ブルペン史
ブルペン一筋18年、宮西尚生が語る「リリーフのセンス」(後編)

 自分で納得いく球を投げても痛打され、すべてを台無しにするような失敗をしても、次の登板に向かえる精神力──。日本ハムの宮西尚生は、それを「リリーフのセンス」と称する。

プロ入り以来、試合中はずっとブルペンで待機してきた男ならではの表現──。その「センス」について宮西に聞く。

「もうええわ」宮西尚生は絶体絶命のピンチでこそ開き直れる 「...の画像はこちら >>

【絶体絶命のピンチで開き直り】

「今までずっとピッチャーを見てきて、リリーフでも『こいつは先発向きの性格やな』っていう子が何人もいて。プロ野球選手なんで、能力はみんな高いんですよ。一級品の球を持ってるピッチャーばっかりで。でも、その子の性格っていうのは、リリーフのセンスがあるかないか、その要素のひとつなのかなって思いますね。ピンチになって開き直れる性格なのか、とか」

 宮西自身、開き直れる性格なのだろうと、マウンド上の一挙一動を見てよく感じる。ハッタリではないけれど、顔で抑えてしまうような貫禄も、特にベテランのリリーフには見受けられる。今の宮西はそんな一面もある。それもセンスに関わるのか。

「そうです、『打てるもんなら打ってみい、これで打たれたらしゃあないやんけ』って言って投げられるかどうか。極端に言えば、ど真ん中に投げられる根性があるかないか。そりゃ、なんでもかんでも『ど真ん中、打ってみい』ではセンスはないし、その切り替えのタイミングもありますけどね。

 ランナー溜めてでも抑えながら、アウトカウントを取りながら、最後にどう開き直れるか、っていうところがセンスだと思う。で、やられたあとに次の登板に向かっていくにしても、1球目に何を投げるか、そこでどう戦えるかっていうセンスもある。リリーフはそれがすべてと言ってもいいかもしれない」

 宮西の開き直りといえば、「もうええわ」である。2016年、広島を4勝2敗で下した日本シリーズの第4戦。チーム事情で抑えとなっていた宮西は、2点リードの9回に登板し、二死満塁のピンチで3番・丸佳浩(現・巨人)を迎えた。結果、カウント3−2から三振に仕留めたのだが、2−2にしたところで開き直ったことを、試合後のコメントでこう明かしていた。

<それまで「大事に」と思っていたが「もうええわ」と思った。3ボール2ストライクになったほうが打ち取れると思った。今年はスライダーでここまでやってきた。スライダーを信じて投げた>(スポーツニッポン 2016年10月27日)

 球種は真っすぐとスライダーの投手が、大舞台の絶体絶命のピンチで強打者に対し、スライダーを続けた。その徹底した投球に加え、画面に映る宮西の鬼気迫る表情が筆者には強く印象に残り、今も忘れられない。

「あれは僕のなかでもナンバーワンの出来ですね。

満塁にされた内容は別として(笑)、最後、丸選手との対戦は、教わってきたこと、経験してきたことが全部詰まった投球でした」

 カウント2−2となり、あえて3−2にしたのは開き直りもあっただろうが、満塁で3−2にするのだ。次の1球で仕留められるという絶対の自信がないと、できそうにない。

「2−2だと、バッターは甘く入ると打ってくる。でも、3−2になると、満塁なんでフォアボールを選びたいという心理も働く。とすると、3−2のほうが勝負になると僕のなかでは思ったんです。それで、フォアボールを出しても同点、まだ負けるわけじゃないっていうリリーフ勘ですね。

 スライダーを続けるのは決めていました。『フォアボールは出したくないはず』ってバッターは思うだろうし、真ん中から外に逃げていけば振るっていう確信があったというか、じつは直感なんですけど。それは若い時に吉井さんから言われてたんで」

【ベテランの直感は当たる】

 宮西が入団した当時の投手コーチで、2016年に復帰した吉井理人の助言だった。「迷った時には冷静になれ。そこで直感が働いた時は、経験すればするほどその直感は当たる。ルーキーの子の直感とベテランの直感では、ベテランのほうが絶対に当たる」と言われた言葉がインパクト大だった。同年の宮西はプロ9年目、「直感が当たる」だけの経験を積んでいた。

 リーグ優勝には2009年、12年と貢献していたが、日本一は初。さらに自身初タイトルとなる最優秀中継ぎ投手賞を獲得し、積み上げたホールド数はその時点でパ・リーグ歴代最多の232。2度目のタイトルを獲った2018年には、山口鉄也(元・巨人)が持つ通算ホールド数の日本記録273を超えた。セパ両リーグでホールドが採用されて以来、14年目のことだった。

「ホールドはセーブよりも歴史が浅くて、いつも何か耳に入ってくるのは、『歴が浅いから比べられない。その記録が本当にすごいのか』っていうような言葉です。昔は葛藤もありました(笑)。だからホールドという記録の価値を上げないといけないっていう思いもあるし、山口鉄也さんの記録を抜かせていただいてからは、自分が責任を持って稼がないといけないと感じていました」

 中継ぎ投手も当然、チームの勝利に貢献することが第一。だが宮西の場合は、記録の価値を上げることへの意識も相当に高い。そんな自分自身を「変わってるタイプ」と表現するが、ホールドへの意識もファンのためなのだ。今や宮西自身がホールドの歴史を深め、由緒ある記録にしている最中、と言っても過言ではない。

「岩瀬(仁紀)さんの登板数にしろ、山口さんのホールド数にしろ、僕の場合はそういう数字があったからこそ、辛い時でも乗り越えられたんです。

そういう意味では、若い人にとって目標となる数字を、今度は自分がつくらないと......という思いもあります」

【セットアッパーの矜持】

 若い人の目標、という面では、現役でホールド数200を超えている投手はいない。セットアッパーから抑えになる投手が多いこともあるが、宮西自身、抑え願望はなかったのだろうか。

「クローザーは真っすぐが速くて、フォークピッチャーっていうイメージが強くて。また、ファイターズにはそういうピッチャーがいたんです。だから7回、8回で左をメインとしたところ、中軸をメインとしたところに入る、もしくはワンポイントっていうのがチームとして一番いいと思っていたし、自分でも一番輝くところだと思っていたんで、クローザー欲は今までなかったですね」

 それでも2020年には、再びチーム事情で抑えを務める時期があった。その経験がセットアッパーで生かされた部分はあるのだろうか。

「精神的にクローザーはきついなとわかってから、中継ぎで3点リードで登板したら、1点も取られずにクローザーに渡してあげたいと思うようになりました。以前は、状況的に1点は仕方がないところで簡単に点をあげてたんですけど、1点でも多く(リードしたまま)渡してクローザーのメンタルを楽にさせてあげたい、という思いがより増しましたね」

 中継ぎに徹して第一線で投げてきたなか、2015年10月、18年11月、22年9月と3度の左ヒジ手術を経験している。数年前まで体の状態はよくなく、"負け"で投げる機会も増えていた。だが、現監督の新庄剛志に「楽しむことで状態も上がってくる」と助言され、考え方を「180度以上変えた。責任を背負い込むのではなく、楽しむ野球を目指し始めたら、結果も出るようになった。

「次は岩瀬さんの1000試合だって言われますけど、そこの数字に対してはまったく興味ないです。

それよりもホールドのつくセットアッパーで投げ続けて価値がある、最後まで戦力として"勝ち"に貢献できる場面で投げての登板数っていう認識なんで。目先の1試合を必死に戦って、戦力として楽しんでやっていく。これからもそのための"1登板"を目指していきます」

(文中敬称略)

宮西尚生(みやにし・なおき)/1985年6月2日生まれ。兵庫県出身。市尼崎高から関西学院大を経て、2007年大学・社会人ドラフト3位で日本ハムに入団。プロ入り1年目から14年連続50試合以上登板を果たすなど、チームに欠かせない戦力として活躍。16年には史上2人目の200ホールドを達成。24年には前人未到の400ホールドを記録し、25年5月15日のオリックス戦では880試合連続救援登板の日本記録を達成。また9月23日の楽天戦で史上4人目の通算900登板を達成した。

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