学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざま部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。

 この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く――。部活やろうぜ!

連載「部活やろうぜ!」
【サッカー】乾貴士インタビュー 後編(全3回)

>>前編「乾貴士が野洲高優勝時の伝説のゴールを語る」

>>中編「乾貴士の高校時代の噂は本当だった!」

野洲高サッカー部出身の乾貴士が思う部活のよさ「青春をかけるの...の画像はこちら >>

【高校3年時は苦戦続き】

 2005年度(第84回大会)全国高校サッカー選手権大会で優勝を果たした、滋賀県立野洲高校。2年生ながら攻撃のキーマンとして躍動したのが、乾貴士だった。

"セクシーフットボール"旋風の翌年、背番号を14から10に変えた乾は、野洲高の顔としてチームを牽引する立場にいた。しかし周囲の期待とは裏腹に、彼の目は厳しい現実を見据えていた。

「選手権の滋賀県予選は全部苦戦しました。弱かったですもん、俺らの代。全国に行けると思ってなかったですもん」

 前年の優勝メンバーから、乾と田中雄大(関西大→川崎フロンターレなど)、荒堀謙次(同志社大→横浜FCなど)といった選手は残ったが、タレント揃いだった1学年上の選手に比べると、小粒感が否めないのも事実だった。

 選手権予選では苦戦しながらも滋賀県大会を突破。しかし全国は甘くなかった。3回戦で対戦したのは、千葉の名門・八千代高校だった。

「八千代は強かったです。山崎(亮平/ジュビロ磐田など)とヨネ(米倉恒貴/ジェフユナイテッド千葉など)がいて。

他にもいい選手がいっぱいいました。結局、八千代はベスト4まで行ったんですよね。最後に0-4から自分が1点決めましたけど、相手のキーパーも交代した後で、屈辱的な感じでしたね」

 高校3年生の選手権は注目度とは裏腹に、あっけない結末を迎えた。そして高校卒業後、横浜F・マリノスに加入。プロの道を歩み始め、ドイツやスペインでもプレーした。あのFCバルセロナからは2ゴールを決めた。ロシアワールドカップでは、ベルギー戦のゴールで歴史に名を刻んだ。

 そして今なお、37歳にして日本のトップリーグでプレーし続けている。そんな乾にとって、高校時代の3年間、部活で過ごした日々は、どのようなものだったのだろうか。

【ずっと一緒で仲良くなる。それが部活のよさ】

「野洲高で成長したのは、サッカーに向き合う部分ですね。中学までは、結構適当だったんです。

滋賀県のなかではうまいってずっと言われてたんで、うまいしいいやぐらいの感じで、めちゃくちゃ練習した覚えもないんですよね」

 中学までは、滋賀県のなかでトップクラス。それで満足していた。しかし野洲高に入って、その考えは一変する。

「高校に入って、試合に出られなかったこともそうですし、高1の時に関西の集まりがあって、滋賀と大阪で試合をしたんです」

 そこで乾は、衝撃的な出会いを経験する。

「相手チームに(柿谷)曜一朗がいたんです。あいつのプレーを見て、衝撃で」

 柿谷曜一朗――。のちにセレッソ大阪徳島ヴォルティス、FCバーゼル、名古屋グランパスで活躍することになる"天才"と呼ばれた選手だ。当時中学生だった柿谷は、高校生に混じってプレーしていた。

 お互いに初対面。しかし、そのプレーは乾に強烈な印象を残した。

「1個下にこんなうまいやつがおんのか。みんな必死にやってるなか、余裕でやってるやん。

これ、やばいな。俺って下手なんやと思ってしまうぐらいでした」

 1学年下の中学生が、高校生に混じって余裕でプレーしている。それどころか、圧倒的な違いを生み出している。感じたことのない衝撃だった。

「今度は何してくるん? みたいな。1個上のなかに、しかも中学生が高校生のなかに入るって相当違うと思うんですけど、全然余裕でやってて。簡単に相手抜くし、こんなすごいんやって。衝撃でしたね」

 その衝撃が、乾を変えた。

「高校の時って、いろんな相手と試合をするじゃないですか。それで『俺って下手なんや』って思うようになって、サッカーに対してもっとやらなあかんってなったんで、高校で成長したのはそこっすね」

 では、部活のよさとは何か。

「クラブチームと違って、学校でも一緒やし、私生活も一緒。俺はあんま私生活で一緒に遊ぶことはなかったですけど、普通の人らは私生活でも仲良くできたりするから。

俺みたいにサッカーばかりで、私生活があんまなかったやつでも、ずっと一緒にいると、それだけ仲良くなれるんで。その辺は部活のいいとこかなと思いますね」

 さらにこう続ける。

「優勝した時の1個上の人らもそうだし、同い年でも、そこらへんは一番仲いいかなとも思うし、思い出深いですよね。小学校も中学校も高校も、そういう人らとはずっと仲良く連絡取って会ってます。俺がどういう風になっても、ずっと一緒にいてくれるんで、助けられてる感はありますね」

【親、保護者のサポートに感謝】

 地元の人たちの応援も、部活ならでは。乾は全国大会に初めて出場した時のことを思い出す。

「全国出場が決まってから、親が交代で寄付金集めをしてくれていて。それは感謝せなあかんなって思いましたね」

 全国大会への出場が決まり、親たちが遠征費を集める現場を、乾は偶然目撃した。

「自主練で学校に残っている時にセミナーハウスに行ったら、保護者の方が何人か集まっていて、寄付金を集める活動をしていたんです。俺はたまたまその姿を見たから、裏で頑張ってくれてんねやとわかったけど、それを知らない子もいたと思うんです。あの姿を見た時、ほんまに感謝やなって思いましたね」

 だからこそ、優勝できてよかった。親たちの苦労に、報いることができた。乾はそう思っている。

 現在、乾の息子は中学3年生でサッカーをしている。もし息子が、部活とクラブチーム、どちらに行くか悩んでいたら――。

「部活に行ったらとは思いますけど、好きなほうに行ってくれたらと思います。ただ息子も高校サッカーがやりたいとは言ってるんで。別に選べるような感じでもないんですけど、好きにしてって。そんな感じです」

 部活を勧める理由は、明確だ。

「やっぱり高校サッカーって、憧れがあるじゃないですか。あれだけ注目されて、そこに青春をかけるのって面白いやろなと思うので。俺も小さい頃から選手権を見て、憧れてやってたんで。楽しいぞーと思いながらやってましたね」

 高校サッカー選手権への憧れ。全国から注目される舞台。そこにすべてをかける面白さ。

自分が経験したからこそ、息子にも勧めたい。

【引退後は部活を指導する?】

 そして、セカンドキャリアの話になる。2025年夏、野洲高全国優勝時の山本佳司元監督が、公立校部活動のリブランディング事業として、一般社団法人Yasu Styleを立ち上げた。低迷する野洲高サッカー部の再建に動き出したという。

 それは当然、乾の耳にも入っていた。そのうえで「将来、野洲高のコーチになる可能性はある?」とぶつけると、間髪入れずにこう返ってきた。

「いやーどうやろう。(現役を引退して)何もすることがなかったら、やるんじゃないですか。いまは何も決めてないです。ただ、指導者をやってみたい気持ちはあります」

 明言は避けたが、母校が再び名をあげるための協力は惜しまないつもりだ。

「山本先生が何かやろうとしてるみたいなので、詳しくは何も聞いてないですけど、何か手伝うことがあれば手伝いますとは言っています。また山本先生と岩谷さん(篤人/乾の中高時代の恩師)がタッグを組んでやってもらえたら、一番いいですけどね」

 野洲高の優勝から20年以上が経ってもなお、乾貴士はプロサッカー選手として、第一線で躍動している。セカンドキャリアのイメージは、まだ湧いてはいない。

 ただ、彼の原点には野洲高のグラウンドがある。それはこれからも、変わることはない。
(おわり)

乾貴士(いぬい・たかし)
1988年6月2日生まれ。滋賀県近江八幡市出身。野洲高校では2年時に全国高校サッカー選手権大会優勝を経験。卒業後、横浜F・マリノスに入団。セレッソ大阪を経て2011年に欧州へ。ボーフム、フランクフルト(以上ドイツ)、エイバル、ベティス、アラベス(以上スペイン)でプレーし、2021年にC大阪へ戻る。2022年からは清水エスパルスでプレーしている。日本代表では2018年ロシアW杯に出場し活躍。

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