宇都木乃愛(産業能率大)&森愛唯(トヨタ自動車)
ビーチバレー界のホープ「のあめい」インタビュー(後編)

ビーチバレー界のホープ「のあめい」が振り返る共栄学園時代「(...の画像はこちら >>

前編◆「のあめい」はなぜ、ビーチバレー一本に絞ったのか>>

 ビーチバレー界の注目株「のあめい」こと、宇都木乃愛と森愛唯。ともにこの春、高校を卒業したばかりの19歳。

新しい生活に慣れないままシーズン入りし、精力的にツアーに参戦し奮闘している。

 また、彼女たちはアスリートである前に、大学1年生と新社会人。そんなふたりのこれまでと今、そしてこれからについて話を聞いた――。

――そもそも、ふたりはどういうきっかけでバレーボールを始めたのでしょうか。

森愛唯(以下、森)私の家は、みんなバレーをやっている家系なんです。お祖母ちゃん、お母さん、叔母さん、いとこ......みんなやっていたので、私も小学4年生の時に誘われてバレーを始めました。

宇都木乃愛(以下、宇都木)私は、小学生の時に3歳上の兄が先にバレーボールをやっていて、練習へ一緒についていっていたんです。そんな時、木村沙織さんが活躍しているのをテレビで見て「カッコいい!」と思いました。それで自分もバレーをやりたくなって、兄と一緒のクラブに入りました。

――その後、ふたりは東京の共栄学園中学校、高校で一緒にバレーボールをプレーすることになります。バレーの強豪校ですから、練習は厳しかったと思います。辞めたくなったりしませんでしたか。

宇都木 めっちゃ、ある(笑)。

 あります、あります。ただ、同期の子たちとは仲がよくて、それが楽しくて、辞めませんでした。部室にいるのがとっても楽しかった、というのもあります。とりわけ、陽気だったのが(宇都木)乃愛。朝練もあったんですが、乃愛は一番遠くから来て眠いはずなのに元気いっぱいで。

宇都木 朝練も放課後も、みんな眠そうで元気がなくって。私がしゃべらないと誰もしゃべらない。だから、私がみんなにちょっかいを出して元気にしていました(笑)。

――ビーチバレーボールと出会ったのはいつ頃でしょうか。

宇都木 中学生の時にちょうど新型コロナウイルスが流行っていて、友だちに誘われて2回ぐらいビーチをやりました。そうしたら、ビーチが楽しくて。

それで、ちょうど(森)愛唯も始めていたから、高校に上がる時に「私もビーチをやりたい」と先生に話をしました。そこから本格的にやってみると、やっぱり面白くって。自分に合っているかどうかはわかりませんでしたが、試合に負けると悔しくて、もっとうまくなりたいなと思っていました。

 私が中学生の時に、先輩の「のあまゆ(衣笠乃愛&菊地真結)」さんがマドンナカップと国体で優勝して学校の広報誌に載ったんです。それで、高校ではビーチバレーができるんだと知って、やってみたいと思っていたら、中3の時に「やってみないか」と先生に言われて始めました。

宇都木「のあまゆ」さんが優勝した時の写真、覚えてるよ。部室にずっと貼ってあったもんね。優勝の副賞だったお米を持っている写真。

 そうそう。

宇都木 あの写真を見て「のあまゆ」さん、すごいな~って思った。

――高校時代はビーチとインドアの二刀流でしたが、ふたつの競技にうまく対応はできていましたか。

宇都木 ビーチからインドアへ変わる時はいいんですが、インドアからビーチに変わる時は大変だったよね?

 うまく跳べないし、ズボッと砂に埋まるし、空振りはするし......。

最初は大変だったね。

宇都木 逆もあって、高1の夏にビーチからインドアに戻ってきたら、(コート内で)全然動けなくて「おまえたち、バカンスへ行ってきたのか!」と先生に怒られたこともありました(笑)。

 でも、ビーチをやることによって、インドアで高く跳べるようになりました。

宇都木 それに、視野も広がるよね。だから、インドアに戻ってきてコートに6人もいると、「(人が)多い!」って思ったりして(笑)。

ビーチバレー界のホープ「のあめい」が振り返る共栄学園時代「(秋本)美空は別世界の人になっちゃった」
ビーチバレー界での飛躍が見込まれる宇都木乃愛 photo by Fujimaki Goh

――ふたりは高校3年生の時に春高バレーで優勝。ビーチだけでなく、高校インドアの日本一にもなりました。

宇都木 それは本当にうれしかったです。私は小学生の時に、春高に出たくて共栄学園に入ったんです。高1の時に春高に出られて、高3で日本一になれて、うれしさは倍増でした。

 私はベンチから見ていて、みんなが本当にすごいなと思いました。練習の時もすごかったのですが、春高の舞台に立ってからみんな、別人のようにすごくって。

みんなと同期で、一緒にバレーができてよかったと思いました。

宇都木 優勝はしましたが、いい意味で練習をサボったりもしていたんですよ(笑)。オンオフの切り替えを大切にして、練習の時は練習、遊ぶ時は遊ぶ、といったことができていたのがよかったのかなと思います。ただ、(春高で勝てたのは)モチベーションなのかな? 何かわからないけど、なんか春高の時はすごかったよね。

 そうそう。みんな仲がよかったのもあるけど、個人の力というより、チームで勝った感じだったね。

――ところで、その共栄学園で6年間チームメイトだった秋本美空選手が卒業後にSVリーグのヴィクトリーナ姫路に入団。日本代表にも選ばれて、夏にはドイツのドレスナーSCへ移籍しました。その活躍ぶりをどう見ていますか。

 ドイツへ行っちゃったし、すごいよね。

宇都木 もう簡単には話かけられない、別世界の人になっちゃった(笑)。中学生の時は私と同じ背の高さだったんですけど、気がついたら高校では一番背が高い選手になっていて。

(秋本)美空はエースとして、本当に頼もしかった。

 乃愛だって、身長は高くないけど、バレーセンスが高くてすごいなって思うよ。

宇都木 愛唯だって、速攻が本当に速い。めっちゃすごいよ。

ビーチバレー界のホープ「のあめい」が振り返る共栄学園時代「(秋本)美空は別世界の人になっちゃった」
ビーチ―バレー界での活躍が期待される森愛唯 photo by Fujimaki Goh

――秋本選手が出場した日本代表の試合は見ていましたか。

宇都木 高校時代のチームメイトとか、みんながSNSで『今、美空ちゃんが試合に出ているよ!』と教えてくれるので見ていました。実は(秋本を)ビーチバレーに誘ったことがあるんですが、断られました。でも美空とは、インドアの彼女とビーチの私とで「いつか一緒にオリンピックに出たいね」と話したりしています。

――さて、この春から宇都木選手は大学生、森選手は新社会人としてのスタートも切りましたが、新生活はいかがですか。

宇都木 私はバイトを始めて、いろいろなことをやっているんですけど、それが結構大変で(苦笑)。物流の仕分けとか、居酒屋やコンビニの店員とか......。それに、バレーボールのコーチとかもしています。

学生生活では、大学の同期や先輩、他の大学の子たちとも知り合うようになって、仲よくしてもらって楽しんでいます。

 私は毎日、朝起きることに苦労していて。寝坊しないように1分おきにアラームを鳴らしたりしています。朝食も自分で用意しなくちゃいけないし、ひとり暮らしも大変だなと感じています(苦笑)。会社では、とてもいい環境でビーチバレーをやらせてもらっています。お給料も頂いていますし、応援してくださる会社の方もたくさんいるので、もっとがんばらないといけないと思っています。

――お休みの日は何をしていますか。

 寝ています(笑)。寝ているか、映画を見に行くか、かな。あとは、自分の試合映像を見返したり、先輩たちの試合映像も見ますし、YouTubeで他のビーチ選手のプレーを見たりもします。

宇都木 特に何かしていることはないかなぁ......。ゆっくり起きて、夜のバイトの時間までショッピングしたり、洋服を見たり。スマホのゲームにもハマっています。ず~っとやってます。

――最後に、ビーチバレー選手としてどういう選手になりたいか、教えてもらえますか。

宇都木 私は坂口由里香さん(元日本代表。スピードと機動力にあふれたディフェンダー)のプレーが好きで、ディフェンスなどの映像を見て真似できるように練習しています。坂口さんのようなプレーができる選手になりたいと思っています。

 もっと器用に、何でもできる選手になりたいです。私はまだ、プレー中にバタバタしてしまうところがあるので、できないプレーがあってもなぜできなかったのか、冷静に考えられるような選手になりたいと思っています。

(おわり)

宇都木乃愛(うつぎ・のあ)
2006年9月11日生まれ。共栄学園高卒業後、産業能率大に進学。高校3年時の春高バレーで優勝。優秀選手賞に選出される。身長164cm。

森愛唯(もり・めい)
2006年5月8日生まれ。共栄学園高卒業後、トヨタ自動車ビーチバレーボール部入り。高校3年時に春高バレー優勝。身長171cm。

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