学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。

 この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く――。部活やろうぜ!

連載「部活やろうぜ!」
【サッカー】森重真人インタビュー 後編(全2回)

【部活やろうぜ!】森重真人が仲間と部室で読んでいたマンガは?...の画像はこちら >>

 好奇心旺盛な高校時代、部活の帰り道では、褒められるようなことはしていない、と森重真人は明かす。そもそも平日は帰りが遅く、翌日も朝練で早かったので、これといった記憶がないのかもしれない。

「でも土日や夏休みの練習の後には、学校のすぐ近くのお好み焼き屋さんに、よくみんなで行っていました。学生は500円でトッピングし放題の良心的なお店で、おいしい広島焼きをたらふく食べていましたね。思い出の味です。そこのおばちゃんとは、今でも交流があります。けっこう有名な人が来るところで」

 森重がそう話す広島市南区皆実町の『お好み焼き ひらの』は、地元のちょっとした有名店だ。店主の女性のSNSには、日本代表の森保一監督やGK前川黛也らが来店した写真が投稿され、店内には森重の名前が入った日本代表ユニフォームが飾られている。森重は今でも、母校での講演の後などにふらっと立ち寄り、懐かしい味に舌鼓を打つという。

 それ以外のピッチ外の部活の思い出は、取るに足らないことばかりだったようだ。

「部室は相当汚くて。

たまに顧問がいきなり入ってきて、隠していたエロ本が見つかって怒られるとか(笑)。あと、冬に雪が積もった時に雪合戦をして、ガラス窓を割っちゃって怒られたり。そんなんばっかりでしたね」

 終始、淡々と話す森重には、自分を良く見せようとする素振りがまったくない。おそらく誇張もなさそうだ。ジョークを交える際に、いたずらっぽく口角を上げる自然体の彼は、当時読んでいたマンガの話になった時、こんな回答をした。

【「僕はサッカーに集中していたので」、恋愛に関してはあの名作で】

「いやあ......、恥ずかしいんですけど、『いちご100%』っていうマンガが好きでしたね」

 その瞬間、同席していた全員が大爆笑。クラブ広報の方は、「それは恥ずかしいわ!」と突っ込みながら、なかなか笑いを止められなかった。好奇心と活力に満ち満ちた男子高校生が集まれば、話題の中心に異性が上がるのは当然だ。誰にでもそんな記憶があるだろう。

「スポーツとはまったく関係ないマンガで、4人の女の子とひとりの男の子の恋愛ものというか。みんなで、誰がタイプか、みたいな話で盛り上がっていましたね。高校生なんで、みんな女子への興味が強かったですし。自分はたしか、(同作品中の)ショートカットの子が好きだったような気がします。

たまに、イチゴ柄のパンツが見えたり(笑)」

 すかさず、「たまにじゃなくて、しょっちゅうな!」と広報の方が突っ込む。インタビューの場がすっかり和んだところで、部活のマネージャーとの恋愛についても尋ねてみた。

「僕らの時のマネージャーは監督の娘さんだったので、自分は何もなかったですね。恋愛に発展していた人もいたと思いますが、僕はサッカーに集中していたので、マンガで夢想していました(笑)。あれは名作です」

 そんなふうに楽しそうに話す森重は、スポーツのマンガも読んでいたという。

「『スラムダンク』はもちろん、読んでいました。三井(寿)が好きでしたね。ミッチーが一度、道を踏み外してしまうところとか、好きですね。その後に気づいて、まっすぐバスケに取り組むようになるところなんかも。人間味がありますよね」

 森重自身は三井のように道を誤ることは一度もなかったが、サンフレッチェ広島ジュニアユースからユースに昇格できなかった悔しい過去がある。また高校2年時には、世代別の日本代表に呼ばれるようになり、知らず知らずと天狗になってしまっていた時期もあったという。

「当然、代表の方がレベルが高くて、部活に戻ると、どうしてもその差を感じてしまって。

手を抜いてもできたんです。自分では気づいていなくても、振り返るとそうでしたね」

 そんな時に、サッカー部の監督から厳しく叱られたことで、あらためて真剣に練習に臨むようになったという。一流の選手の多くには、指導者に恵まれた過去がある。

【「クラブのユースチームには、絶対に負けたくなかった」】

「ありがたいですよね。そういうことを言ってくれる人がいて。その時は自分でもわかっていなかったので、イラッとしましたけど、いま思うと本当によかった」

 以降、森重はサッカー部の誰よりもハードワークするようになった。高校選手権の全国大会には、1年時のみ出場し(3回戦で、のちに得点王となる平山相太を擁し、優勝することになる国見に1-2と惜敗)、2、3年の時は県大会の決勝で敗北。それでも高卒で大分トリニータに入団できたのは、指導者からの指摘を受け止めて奮起した結果だろう。

 森重の高校3年間の部活時代に、嫌な記憶はほとんどない。理不尽な先輩の蹴りを受け流し、タフな走り込みを巧みにこなし、調子に乗っていた自分を正してくれる良き指導者にも出会えた。

「辛かったことといえば、通学くらいでしたね。1時間くらいかけて行き帰りしていたので、遠いなあ、と感じていました」

 また部活では、ハングリー精神も養われたという。

「クラブのユースチームと練習試合をすることもあって、彼らには絶対に負けたくないという思いを持ちながらやっていました。絶対に這い上がってやるぞ、と強く思っていて。その感覚というか、気持ちというか、そういったものがあってこそ、今の自分があると思います」

 自分にとって本当に大切なことに早くから気づき、それに集中できる環境と性格、そして能力に恵まれた森重は、高卒でプロになり、日本代表で41キャップを刻んだ。2010年から所属するFC東京ではキャプテンを務めた時期もあり、38歳の今もピッチ上で存在感を放っている。

 その原点、とはいわずとも、足跡の重要な一部には"部活"があった。
(了)

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森重真人(もりしげ・まさと)
1987年5月21日生まれ、広島県広島市出身。サンフレッチェ広島ジュニアユースからユースには上がれず、広島皆実高へ。1年生時から中盤のレギュラーとなり、全国高校サッカー選手権に出場し、3回戦で国見に敗れた。2、3年の時は県大会の決勝で敗退するも、高卒で大分トリニータに入団。シャムスカ監督のもと、センターバックの定位置を掴み、2008年のJリーグカップを制した。2010年にFC東京に移籍し、2011年の天皇杯、2020年のJリーグカップ優勝に貢献。日本代表では41試合に出場し、2得点を記録している。

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