【箱根駅伝 名ランナー列伝】今井正人(順天堂大学):「山の神...の画像はこちら >>

箱根路を沸かせた韋駄天たちの足跡
連載02:今井正人(順大/2004~07年)

いまや正月の風物詩とも言える国民的行事となった東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)。往路107.5km、復路109.6kmの総距離 217.1kmを各校10人のランナーがつなぐ襷リレーは、走者の数だけさまざまなドラマを生み出す。

すでに100回を超える歴史のなか、時代を超えて生き続けるランナーたちに焦点を当てる今連載。第2回は、その走りで「山の神」の称号を知らしめた今井正人(順大)を紹介する。

【1年時の2区から2年時は5区でいきなり区間新】

 箱根駅伝を象徴する天下の険。山を駆け上がる5区では劇的なドラマが何度も繰り広げられてきた。そのなかで最初に"神"と称される存在感を示したのが順大・今井正人だ。

 福島・原町高時代はインターハイ5000mで5位(日本人2位)に食い込むと、現・順大駅伝監督の長門俊介、10区で区間新記録を打ち立てることになる松瀬元太らとともに名門・順大に入学する。のちに「山の神」と呼ばれることになる今井だが、当初は箱根駅伝では2区を熱望していた。

 第80回大会(2004年)、順大の黄金ルーキーは花の2区に抜擢される。今井は「4年連続で2区を走った大先輩方に近づきたい」と激走して、1時間10分10秒で区間10位。チーム順位を17位から12位に押し上げた。

 当時は5区を走るイメージはまったくなかったというが、5000m13分台の記録を持つ松岡佑起が入学したこともあり、翌年から5区にコンバートされることになる。そして第81回大会(2005年)で今井の未知なるパワーが爆発する。

「15番でタスキをもらったので、考える暇なくスタートしたんです。

(順位を)上げるだけ上げてやろう、という気持ちでした。ひとり抜くと、また前の選手が見えてきて、新たな目標になりました。そういう意味では、『前へ、前へ』という気持ちが継続したのかなと思います」

 今井は東海大・中井祥太が保持していた区間記録(1時間11分29秒をターゲットにしていたが、途中の通過タイムは把握していなかったという。「無我夢中」で山を駆け上がり、11人をゴボウ抜き。4位で勢いよく芦ノ湖に駆け込んできた。

「終盤はきつくても、しっかり脚が前に出ていたし、動いているなという感覚はありました。ゴールする直前に、腕時計を見たら1時間9分という数字だったので、途中で時計を止めちゃったのかなと思ったぐらいビックリしました」

 本人も驚いたというタイムは1時間09分12秒。区間記録を2分以上も塗り替えると、区間2位の選手に3分38秒もの大差をつけるという、当時としては、信じられないタイムが誕生した。

【区間延長となった5区で存在感をさらに発揮】

 2006年の第82回大会から小田原中継所の位置が変更となり、5区の距離が2.5km延長された。これにより、5区が圧倒的な影響を及ぼす時代が幕を開けることになるのだが、このシーズン、今井は苦しんでいた。4月と9月に右恥骨を疲労骨折。その影響で出雲駅伝と全日本大学駅伝には出場できなかったのだ。それでも、みぞれで凍えた箱根の山を熱くした。

「最初からエンジン全開でいける状態ではなかったですし、山に入るまでにカラダを温める時間ができたのがよかったかもしれません」

 6位で走り出すと、1時間18分30秒で区間賞を獲得。1位との2分26秒差をひっくり返して、順大に17年ぶりの往路優勝をもたらしたのだ。しかし、チームは8区で首位から陥落。亜細亜大に優勝をさらわれ、悔しさを味わった。

 最終学年を迎えた今井は主将として前年の雪辱に燃えていた。第83回大会(2007年)は、トップの東海大を4分09秒差で追いかけて4位で走り出すと、日体大・北村聡にピタリとマークされる。北村はその年度(2006年度)の日本インカレ10000m王者で、今井のことを「山の神」と最初に表現した選手だ。

「力のある北村君を早く離したいという気持ちで、前半が予定よりもハイペースになり、心理的な部分でも疲弊しました。終盤の約5kmは予定より1分くらい悪くなったんです......」

 北村と競り合った影響が出て、後半苦しんだが、今井は自身のタイムを上回る1時間18分05秒で走破。見事、4分09秒差を大逆転して、「山の神」と呼ばれた。今井の大活躍で往路をトップで折り返した順大は6年ぶりの総合優勝に輝いた。

今井は「1時間17分30秒」くらいで走れると思っていただけに、タイムは満足いくものではなかったという。

それでも3年連続で金栗四三杯を獲得して、箱根駅伝のレジェンドになった。

【マラソンでも日本代表に】

「5区で注目を浴びる活躍ができたのはすごくうれしいですし、名前を覚えてもらえたこともありがたいと思います。箱根駅伝のイメージを覆すほど、マラソンで結果を出したいなというモチベーションになりました」 

 今井は社会人2年目からマラソンに挑戦すると、10度目のレースとなる2015年の東京マラソンで当時・日本歴代6位の2時間07分39秒をマーク。日本人トップに輝いて、北京世界選手権の男子マラソン代表に選ばれた(※髄膜炎のため欠場)。その後もマラソンに挑み続けて、2023年10月のMGC(パリ五輪マラソン日本代表選考会)には最年長(39歳)で出場した。

 第93回大会(2017年)に小田原中継所が元の場所に戻り、5区の最長時代は終わった。5区のコースは一部変更されたとはいえ、当時と現在の距離は20mほどしか変わらない。第101回大会(2025年)で青学大・若林宏樹が区間記録(1時間10分04秒)を大幅短縮する1時間09分11秒をマークするまで、今井が2年時に叩き出した1時間09分12秒が5区の"最速タイム"だった。

 当時は厚底シューズがなかったことを考えると、今井の走りは別格だったと言えるだろう。さらに「山の神」と称賛されながら、自分の道を貫き、マラソンでも結果を残したところに今井正人の"本当の強さ"があったように思う。

Profile
いまい・まさと/1984年4月2日生まれ、福島県出身。原町高(福島)―順天堂大―トヨタ自動車九州。

箱根駅伝5区では大久保初男(大東大/1974~77年に4年連続区間賞)以来となる、3年連続区間賞を獲得した選手で、大会MVPに当たる金栗四三杯を2年時から3年連続で受賞した。卒業後はトヨタ自動車九州で競技を継続し、マラソンでは2015年北京世界選手権代表に選出。現役引退後の2024年4月から順大長距離ブロックコーチに就任した。

【箱根駅伝成績】
2004年(1年)2区10位・1時間10分10秒
2005年(2年)5区1位・1時間09分12秒*区間新
2006年(3年)5区1位・1時間18分30秒*区間新
2007年(4年)5区1位・1時間18分05秒*区間新

*区間新記録は当時

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