学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
【プロ野球】西川愛也インタビュー 第2回(全4回)
>>>第1回──今季飛躍の西武・西川愛也が振り返る花咲徳栄時代の寮生活「最初は ビックリしました」
高卒8年目の2025年シーズン、西武の西川愛也はセンターでダイナミックな守備を連発し、パ・リーグを代表する外野手の仲間入りを果たした。
2017年にドラフト2位で指名されて以降、ずっと大きな期待を寄せられてきた大器が、飛躍までに時間を要した裏には9年前に負った大ケガがある。花咲徳栄高校2年時の試合中のことだった。
2016年埼玉県春季大会決勝。浦和学院と優勝を懸けて対戦した大一番で、西川は大胸筋断裂の重傷に見舞われたのだ。
「試合の前から、軽い肉離れみたいな感じでした。外野からカットマンまでしか投げられない感じだったんですけど、ボールが飛んできて......。たしか同点のツーアウト二塁で、アドレナリンが出て思いきり投げちゃったんですね。そうしたら、パチンって雷が走りました」
試合後、事の重大さを思い知らされた。帰り道でバスが揺れるたび、患部に激痛が走る。
「死にそうな痛さっていうか。
胸部は紫と黒が混ざったような色になり、まるでアメフト選手のように膨れ上がっている。今でこそ冗談まじりに回顧するが、当時は絶望の淵に突き落とされた。
普通なら、即手術だ。そうすれば、最後の高3夏の大会には間に合うかもしれない。
だがメスを入れれば、高2の夏の試合出場が絶望的になり、プロのスカウトにアピールするチャンスが減る。西川は野球部の岩井隆監督と熟考し、2年秋の大会後に手術を受けるという決断を下した。
「岩井監督がそういう提案をしてくれました。普通だったら断裂した時点でベンチに入れないと思ったけど、監督がそれでも使ってくれたことには、感謝しかないですね」
夏の大会に向けてチームが追い込みを図るなか、西川はひとりでリハビリを始めた。シャドーピッチングをしている投手陣の横で、片足スクワットを黙々と繰り返す。胸部を動かすと痛むから、走ることもできなかった。
「お前、声は出さないのか?」
リハビリ中、岩井監督に問われた。
「はい。出します」
西川は大きな声を出しながら、片足スクワットを再開した。地道なトレーニングしかできないが、それでも目標を見失うことはなかった。
「それしかすることがなかったですからね。みんなが練習をやっているなか、ひとりで落ち込んでいるなんてできないじゃないですか」
【野球だけをやっていればいいという教えではなかった】
普通の選手なら、ネガティブな気持ちに襲われてもおかしくない。ところが西川は落ち込む暇もなく、すぐに前向きに取り組めたという。その裏には、指揮官の絶妙な手綱さばきがあったのかもしれない。
筆者は西川が大ケガを負った1カ月後、偶然、花咲徳栄の練習を取材に訪れたことがある。グラウンドは緊迫した雰囲気に包まれ、ピーンと張り詰めている。いわゆる強豪校の練習風景というイメージだった。
西川にとって、岩井監督はどう映っていたのだろうか。
「当時は怖かったですよ(笑)。
西川や中日に進んだ清水達也、背番号1をつけた綱脇慧の代には不満を表情に出す部員がひとりいて、岩井監督の逆鱗に触れることがたびたびあった。
「そうなると、だいたいキャプテンと副キャプテンの僕が呼ばれて怒られるんです。ちゃんとさせろと。(チームを引き締めるために)たぶん、わざと怒ったりもしていたと思います」
平日の全体練習は2時間半。限られたなかで、いかに成果を上げるか。岩井監督は常に目を光らせていた。
それは野球に限った話ではない。授業中に各クラスを見回り、居眠りしている部員を見つけたら、「もう練習させねえ!」とストップ。何がいけなかったかを話し合わせる。
夜練で片付け忘れたボールがグラウンドに落ちていると、「どうなっているんだ?」と練習を止めた。
「ボールが1個でも落ちていて、雨が降ったら、そのボールはダメになるわけじゃないですか。そういうことも、今後のために言ってくれていたのでしょうね。人間性を重要視していたと思います」
高校野球は教育の一環だ。体力や技術を上達させることも大事だが、それ以上に人間としての成長が重視される。その先に、野球選手としての向上もついてくる。
多くの高校野球部ではそう考えられており、それは真理と言っても差し支えないだろう。一流のアスリートには、知的で、人間的にも尊敬される者が多い。
【「僕らには見えないものが見えている」】
だが、すべての選手が模範的な人生を送れるわけではない。西川のすぐそばには、栄光から転落した同期もいた。
かたや、高校時代に大ケガを患い、プロになって飛躍を果たすまでに8年を要した西川だが、着実に前へ進んでいる。
独特な感性で教えてくれたのが岩井監督だ。西川はこれまで数々のプロ野球選手やコーチと打撃論を語り合ってきたが、高校時代の恩師はそのなかでもトップレベルにあるという。西武に入団した今も、年末に挨拶へ訪れた際にはバッティングを見てもらうほどだ。
「なんかわからないですけど、岩井監督に教えてもらったら打てるんですよ」
岩井監督は西川のほかにも、1学年下の野村佑希(日本ハム)や、202年にドラフト1位でソフトバンクに入団した井上朋也、2024年にこちらもドラフト1位で巨人に入った石塚裕惺と、複数の打者をプロに送り出している。筆者は井上がドラフト指名された直後、喜びに沸く花咲徳栄で岩井監督を取材する機会があったが、理路整然とした打撃論や練習法、感覚の表現などに驚かされたことをよく覚えている。
教え子の西川は、特にどんなことを覚えているだろうか。
「重心移動というか、右膝の使い方です。僕らには見えないものが、たぶん見えているんじゃないですかね」
西川が岩井監督によく指導してもらうようになったのは、1年の秋季大会でベンチ入りを果たした後、2年生になってからだった。
直後、初めて出場した春の甲子園で真骨頂を発揮する――。
(つづく)
西川愛也(にしかわ・まなや)
1999年6月10日生まれ、大阪府出身。181センチ・90キロ、右投げ/左打ち。外野手。大阪府堺市の浜寺ボーイズから、埼玉県の花咲徳栄高等学校に入学し、甲子園には3度出場した(2年春、2年夏、3年夏)。3年夏は甲子園の決勝戦で3安打4打点を記録し、同校初、埼玉県勢史上初の優勝に貢献。高卒で埼玉西武ライオンズにドラフト2位で指名された。高校時代に負ったけがの影響で、プロで活躍するまでに時間を要したが、8年目の2025年シーズンに開花。パ・リーグ4位の134安打と同3位の25盗塁を記録した。










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