錦織圭という奇跡【第3回】
松岡修造の視点(3)
◆松岡修造の視点(1)>>「錦織圭選手の体に入ってみたい!」」
◆松岡修造の視点(2)>>「松山英樹さんや羽生結弦さんからも感じた」
今から、24年前──。
当時11歳の錦織圭少年を目にした松岡修造氏は、「天才が現れた!」と、雷に打たれたような衝撃を受けたという。
もちろん天才にも、さまざまな種類がある。身体能力や精神面では、錦織を凌駕する才能の持ち主も数多くいるだろう。ただ、ボールをラケットでとらえる感性や、瞬時のひらめきを実践する創造性の面において、松岡氏は錦織の才能を「ロジャー・フェデラーに比肩する」と明言した。
ロジャー・フェデラー(スイス)は、20のグランドスラム優勝や、通算310週世界1位在位を誇る、史上最高の選手のひとり。また、それらの記録以上に、「工芸品のように繊細で精緻」と称賛されるラケットワーク、あるいは「バレリーナのよう」と形容されるエレガントな動きで、テニス史上最高のアーティストとも称されるレジェンドだ。松岡氏は、錦織の才能はそのフェデラーに似ているという。そしてその創造性が、世界のテニスシーンをも変えたと──。
※ ※ ※ ※ ※
「初めて出会ったその時から、僕は錦織選手から、むしろテニスを教わってきました。なぜなら、彼が選ぶプレーの一つひとつが、僕の想像をはるかに超えていたからです。彼はラケットとボールを通して、自由に遊んでいた。まさにプレーが芸術のようで、うらやましいくらいでした。
それに、身体の使い方も抜群だった。
錦織選手がATPで初優勝したのは、18歳の時。当時のテニス界を支配していたのは、フェデラー、ラファエル・ナダル(スペイン)、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)、そしてアンディ・マリー(イギリス)の『ビッグ4』。フェデラーを除く彼らのほとんどは、ベースラインから1~2メートル以上、下がったポジションでプレーしていました。守りのテニスが主流だったんです。
そこに、錦織圭が登場した。ベースラインの上に立ち、ライジングでテンポよく攻める。それまでの常識を打ち破るようなプレーでした」
【錦織圭にしかできないテニス】
なぜ、当時のテニスは「守りが主流」だったのか? そしてなぜ、錦織圭はその常識に穴をうがつテニスができたのか?
松岡氏が、解説する。
「錦織選手のテニスは、やはりリスクが高いと、誰もがとらえたはずなんです。ベースラインの上に立ち、ボールの跳ね際を打ち返すわけですから。
しかも錦織選手は、深いボールが来ても下がらない。普通は深いボールが来たら、一回うしろに下がって、丁寧に返すのが定石です。
でも錦織選手にとっては、それが普通のボールなんですよね。むしろ、相手の深く速いショットを完璧なタイミングで返せば、より小さな力で大きなパワーを生める。きっと錦織選手には、そのイメージが明確にあるのではないかと思います」
たしかに、理論としてはわかる。ただ、言うは易く行うは難し。「みんなやりたいと思っていても、できなかった。やっている人も、僕は見たことがなかったですから」と、松岡氏は回想した。
そこに、体現者が現れる。すると、選ばれし者が有する身体的感覚やイメージが、誰の目にも可視化される。目の前にお手本がいれば、第三者も再現が可能になる。かくして錦織的プレースタイルは、選手から選手へと伝播するように、テニス界全体に広がっていった。
「気がつけば、ナダルやジョコビッチまでもが、プレーの位置をどんどん前に移していきました。
今はジュニアたちも、みんなライジングで打っていますよね。すぐれたフィーリングや感性がなくても、反復練習をすれば近い感覚は身につけることができますから。
ではなぜ、錦織選手は特にお手本もないなかで、あのようなプレーができたのか? それは、彼が11歳の頃から世界と向き合い、『筋力もなく背も高くない自分が、どうすれば世界で戦えるのか。どうすればゲームで勝ち続けられるのか』と、自分自身に問い続けながらプレーしてきたからです。
誰かの真似をするのではなく、自分の感性と工夫で、錦織圭にしかできないテニスを作り上げてきた。僕はそれこそが、彼が世界を変える存在になれた理由だと思っています」
【あれだけ華奢な体で戦ってきた】
テニスに限ったことではないが、ひとつのセオリーや定石が確立し、支配的になると、対抗手段を携えたカウンター勢力が生まれ、パワーバランスが書き換えられる。そのような揺れ動きを繰り返しながら、俯瞰(ふかん)すれば螺旋(らせん)のように全体のレベルが上昇していくのが歴史の必然だろう。
ならば、錦織の先鋭的な攻撃テニスは、男子テニスがいずれ向かう方向であり、彼はその針を大きく進めたと言えるのかもしれない。そして結果的に、急速に進化した男子テニスが、錦織自身の前に立ちはだかったのだとも......。
「仮に、世界46位に達した当時の僕が今のツアーに入ったら、200位に入れないという自信があります」と、松岡氏は独特の言い回しで、現在の男子テニス界がいかにハイレベルかを言い表した。
「その理由としては、ストロークの安定感の向上。
今は、コートに入る前からウエイトをやるのが常識。試合に入った時点での反射的能力と出力が、僕が現役だった1990年代とでは違いすぎます。あと、みんな少しでもチャンスがあれば、打つ。打たなければ生き残れないという感覚を、誰もが抱いているのだと思います。
そのなかで錦織選手は、あれだけ華奢な体で、とてつもないトップレベルで戦っていたわけですから、冷静に考えたら、体が悲鳴を上げるに決まっています」
錦織のプロキャリアは、ケガとの戦いの歴史でもある。19歳で右ひじにメスを入れたのを皮切りに、手首の腱の脱臼、2度目のひじの手術、3年前には股関節手術による長期の戦線離脱を経験。ほかにも足首や腰の故障など、細かいものも挙げていけばキリがない。
フィジカルゲームの色を濃くする昨今の趨勢(すうせい)と、錦織のプレースタイルを加味した時、ケガは不可避でもあるだろう。松岡氏も「ビッグ4」の面々と錦織の最大の差は、結局はそこだったと見る。
【メンタルが弱いはずはない】
同時に、錦織の卓越した才能や純粋なテニスへの情熱が、誤解を恐れずに言うなら、ある種の「もろさ」にもなっているとも──。
「誤解してほしくないのですが、僕の言う『もろさ』は、メンタルの弱さではないんです。時々、『錦織はメンタルが弱い』という言説がありますが、弱いはずはないんです。
ただ、合っているところがあるとすれば、ジョコビッチやフェデラーと比べた時、やはりグランドスラムを取った経験がない。そこは、いかに自分を信じられるかの勝負になるという最終的な局面で、錦織選手に足りなかった。もし彼がひとつグランドスラムを取れていたら、4~5回は優勝できただろうと思います。
あと錦織選手は、あくまでテニスというゲームで勝ちたい人。それ以外の要素で、どんなことをしても勝利という結果がほしいタイプではないと思います」
メンタルという言葉の定義はあまりに茫漠(ぼうばく)で、使う人によって意図や意味合いも異なるだろう。ただ、以前に錦織は、「あなたの強みは?」と問われた時に、こう答えていたという。
「僕の一番の武器は、メンタルです」と。
(つづく)
◆松岡修造の視点(4)>>元コーチから聞いた「エア・ケイなんてやるな」の意味
【profile】
松岡修造(まつおか・しゅうぞう)
1967年11月6日生まれ、東京都出身。姉の影響で10歳から本格的にテニスを始め、中学2年で全国中学生選手権優勝。福岡・柳川高時代にインターハイ3冠を達成し、その後アメリカへ渡る。



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