【駅伝】始動1年目&少数体制でニューイヤー駅伝出場権を奪取 ...の画像はこちら >>

 11月3日に行なわれた東日本実業団駅伝で、立ち上げ間もない新チーム、MABPマーヴェリック(M&Aベストパートナーズ)が6位に入り、元日のニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)の出場権を獲得した。プレイングマネージャー(選手兼監督)としてチームを率いるのは、青山学院大時代に箱根駅伝で活躍し、「山の神」と呼ばれた神野大地。

 思うように強化が進まず、夏前の時点では「このままでは、かなり厳しい」と不安を口にし、そこからチーム状態を立て直した大会直前でも「可能性は50%」と語っていたが、フタを開ければ見事な快走劇。そこでは何が起きていたのか――。

【「3区が終わった時点でいけるなと思った」】

 アンカーの中川雄太(22歳)が最後の折り返しから戻ってきた。

「中川、絶対にいくぞ!」

 コーチボックスで待っていた神野大地(32歳)の声が大きく響く。競技場へと向かう背中を見届けると、神野自身もゴール地点に急いだ。

「できすぎ(笑)。でも、みんなすごい。本当によかった!」

 思わず表情がほころぶ。中川が競技場内に入ってくると、スタンドの一角に陣取ったMABPの応援団から大歓声が沸き起こった。ゴールライン付近では、チームメイトとスタッフが笑顔で待っていた。

 中川は、胸を2度叩き、右手を高く上げてゴール。MABPは6位となり、初出場にして元日のニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)の出場権(上位12チーム+タイム条件をクリアした1チーム)を勝ち取った。神野を含めた日本人選手8名、外国人選手2名という少数体制で本格始動してから約7カ月、最大の目標であるニューイヤー出場に向けて重ねてきた取り組みが報われた瞬間だった。

 レースは、理想的な展開で進んだ。1区の山平怜生(23歳)が先頭集団につくと、最後まで落ち着いた走りを見せ、2区のチェルイヨット・フェスタス・キプロノ(22歳)に4位でつないだ。大役を完璧にこなした山平が、笑顔で振り返る。

「1区(13.1km)だと言われた時はビックリしました。今年は5000mをメインにやってきたので、自分の力を一番出せるのは8.2kmの区間(2区、4~6区)なのかなと思っていたんです。でも、神野さんに『山平を一番信頼している』と言われたので、頼りにされていると感じて、うれしかったです。

 1区で出遅れてしまうとキツいのでプレッシャーがありましたけど、集団のなか、よい位置取りで進められました。(レースでは)練習でやってきたことしか出せないので、やってきたことが間違っていなかったと証明できてよかったです」

「外国人競技者区間」の2区を走ったフェスタスは区間14位。3区の堀尾謙介(29歳)に7位で襷をつないだ。チームで最も実績のある堀尾は、その時の気持ちをこう語る。

「スタート前は緊張しました。たぶん2023年のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の時よりも緊張しました(笑)。

レース展開としては、後ろにいた(富士通の)篠原(倖太朗)選手が前に出て、そこについていく形になったので助かりました。前に出て単独走をする力はまだないので、そこはこれから(の課題)ですね。でも、何年ぶりだろう、こんなに調子よく走れたのは(笑)」

 堀尾は、富士通、ヤクルト、JR東日本、コニカミノルタの強豪4チームと集団を形成し、区間5位の好走で5位に押し上げ、4区の主将、木付琳(26歳)に襷を渡した。

【なぜ短期間で結果を出せたのか】

【駅伝】始動1年目&少数体制でニューイヤー駅伝出場権を奪取 神野大地"監督"率いるMABPが見せた新しい景色
沿道から選手に檄を飛ばす神野大地。今大会は監督業に専念 photo by Wada Satoshi

「堀尾の3区が終わった時点で、いけるなと思いました」

 神野はこの時点で、アクシデントがないかぎり、予選通過をほぼ確信していたという。4区の木付、5区の栗原直央(23歳)、6区の鬼塚翔太(28歳)は、走りを計算できる選手。実際、この3人は、それぞれ区間10位、8位、8位と、他チームの選手に引けを取らない堂々たる走りを見せた。そして、最終7区。神野に「MABPで一番成長した」との評価を受けていた中川は区間9位、終始、安定した走りを見せた。

 國學院大出身の中川は、今年1月の箱根駅伝で10区を走る予定だった。だが、大事なポイント練習で外すなど、前田康弘監督に十分なアピールができず、12月31日の朝にメンバー交代を告げられた。その悔しさを晴らすため、一般企業の内定を辞退し、覚悟を持ってMABPの門を叩いた選手だ。

 2月の香川丸亀国際ハーフマラソンで自己ベストを出したあとは、帰省などで食べる量が増え、春のチーム始動時には体重が増えてしまった。だが、そこから補強と練習を積み重ね、夏までに4㎏落とした。

「春から練習と食事で徐々に体が絞れて、8月から10月までは、ほぼ毎週200kmから230kmを走っていました。そのせいか、大学時代とは比べものにならないぐらい、体ができあがりました。レース前、チームは(予選通過の)ボーダーライン上と言われていましたが、こうして結果が出たのは、全員がミスなく走れたのと、ほかのどのチームよりも、この日のために準備を重ねてきた成果だと思います」

 レース後、國學院大の同期で、今回は同じ7区を走った平林清澄(ロジスティード)が握手を求めてきた。「平林は速かったですね(区間4位)。コース上ですれ違うたび、『これは自分が負けているな』と思いました」と言いながらも、大学時代のエースとまずは同じ土俵で戦えたことに満足げな表情を浮かべていた。

 新チームのMABPが短期間で結果を出せたのは、なぜか。

 日々の練習と、長い合宿を乗り越えた選手の努力と、スタッフの献身的なサポート、それらが噛み合ったのは間違いない。加えて、選手の力を引き出し、成長させるために"右にならえ"の画一的な練習ではなく、個別対応によって選手が伸び伸びと練習し、生活できる環境を整えたことが大きかった。

 これは神野自身の経験によるものだろう。実業団時代の神野は自分がやりたいことができず、プロ選手になった。MABPのゼネラルマネージャーを務める髙木聖也とともに練習メニューを考え、自分の体と日々向き合った。食事をとる際には、栄養士に画像を送って栄養バランスを確認するなど、走るためにストイックな生活をしていた。

そうした意識、環境こそが成長に欠かせないと考え、それがMABPでの指導のベースになった。

 かつて実業団に所属し、MABP加入前まではプロランナーとして活動していた堀尾は、こう語る。

「実業団で活動していると、結果を出さなければ、個人の意見を通しにくいところがあるんです。でも、神野さんは、僕が"結果なし"の状態でも、『足が痛い。ちょっとおかしい』と言うと、話を聞いてくれたうえで、『今週はもう(練習の強度を)上げなくてもいいから』と、自分の要望というか、わがままを聞いてくれました。それが僕にとっては、本当にありがたいことでしたし、このチームの一番いいところだと思っています」

【独自の広報、事業戦略でファンクラブも結成】

 1区を走った山平は、実業団経験のない新卒選手だが、それでも高校や大学とは違う神野の指導にやりやすさを感じているという。

「高校、大学との単純な比較はできませんが、練習を含め、強制されないことが大きいですね。ひとりひとりのことを理解し、練習メニューも考えてつくってくださるので、練習がやりやすい。クラブハウスや食事などの環境もいいですし、先輩方はいい人ばかりで、神野さんは優しいです(笑)。MABPに来て本当によかったと思います」

 とはいえ、MABPは選手に"飴"を与えるだけではない。少数ゆえに、ひとりひとりが"走るプロ"として結果を出すことが求められる。そのため、自分に何が足りず、目標に向けて何をすべきかを常に考え、行動しないとやっていけない厳しさがある。

 練習環境のよさに加え、チームの広報、事業戦略も、他チームとは一線を画す。MABPは、「ファンに愛されるチーム」を目指している。野球やサッカー、バスケのプロチームには多くのファンがおり、チームはもちろん、競技全体を支えている。

 一方、陸上は、箱根駅伝の人気は絶大だが、実業団の陸上部はあくまで福利厚生や社内の一体感醸成の一環という位置付けで、一般のファンを獲得するための戦略はほぼない。チームを応援しようというムーブメントは起きにくい。

 だが、MABPは、チーム、そして個々の選手が、練習や合宿などの動画を軸としたSNSでの発信力を高め、競技会やレースでの応援を積極的に働きかけ、さらにファンクラブをつくるなど、独自の戦略を進めてきた。

 その結果、今回の東日本実業団駅伝にもMABP応援グッズを手にした多くのファンが駆けつけた。通常、実業団の応援は、社員や関係者、親族がメインだが、MABPはそこにファンが加わるので熱量が違う。レース後、ファンに囲まれながら行なった報告会は大いに盛り上がり、神野をはじめ、選手はサインや写真撮影を笑顔で応じていた。

 木付は、その光景を見ながら、こう語る。

「これだけ多くの人に応援してもらえるのは、実業団では考えられないこと。今回も沿道で何度も声をかけてもらって、背中を押してもらいました。

僕を含め、選手全員が応援のありがたさを身に染みて感じています。これからも皆さんに応援されるチームになれるようにがんばりたいですね」

 木付は、報告会の挨拶で、まずは応援してくれたファンへの感謝を述べた。ほかの選手たちも感謝を口にしていた。こうした交流を積み重ねていった先に、チームとファンの太い絆のような関係が生まれていくのかもしれない。

 6月に難病ジストニアの手術を受け、回復途上の今回は監督業に専念した神野だが、すでに視線は次へと向いている。

「ニューイヤー駅伝の出場権獲得という目標を達成できて、自分が競技してきた時の喜びとは違う、最高の喜びを感じることができました。この激戦で出場権を獲得できたので、結果に自覚と責任を持って、ニューイヤー駅伝では最低でも30位以内を目指していきたいと思います」

 わずか10名の集団が無事にスタートラインに立ち、レースではひとつのミスも犯さず、結果を出した。この日のMABPのレース運びや結果、そして、報告会のにぎわいを見て、ほかの実業団チームの選手やスタッフは、どう思っただろうか。

 MABPの6位は、単なる予選通過にあらず。陸上界で新しい風となり、何かを起こす始まりになりそうだ。

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