連載第76回 
サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 現在カタールで開催されているFIFA U-17ワールドカップは、今大会で20回目。

過去にはA代表のW杯が開催されたことのない国でも多く行なわれてきました。そのなかから今回は2001年トリニダード・トバゴ大会の思い出を紹介します。

【従来の日本サッカーとはひと味違うU-17日本代表】

 カタールで開催されているU-17W杯で、日本代表が快進撃を続けている。

【サッカー日本代表】U-17ワールドカップは世界各国で開催 ...の画像はこちら >>
 グループリーグではアフリカ王者のモロッコと欧州王者のポルトガルに完勝。ニューカレドニア相手には35本のシュートを浴びせたが得点できず、スコアレスドローに終わったものの、2勝1分で首位通過に成功した。

 そして、ラウンド32では南アフリカから後半3得点して快勝。あらゆるカテゴリーの男子日本代表チームがこれまで苦しんできた決勝トーナメント1回戦の壁を突破したことは評価すべきだろう。

 ラウンド16では北朝鮮をPK戦の末に下し、ベスト8に進出している。

 また、今大会のU-17日本代表はこれまでの日本チームとはひと味違った顔を見せている。

 これまで、日本サッカーというとパスがうまく、ポゼッションでは相手を上回るが、相手に中央の守備を固められると得点できずに苦しむことが多かった。

 だが、カタールで戦っているU-17代表はそんな常識を覆してみせた。ポゼッションやビルドアップにこだわることなく、カウンターから得点を重ねているのだ。

 たとえば、ラウンド32の南アフリカ戦のゴール。

 後半開始早々(48分)の先制ゴールは、GK村松秀司からのロングフィードを受けた平島大悟のクロスを浅田大翔が決めたもの。これはロングカウンターである。

 59分の追加点は、相手のボールにプレスをかけて竹野楓太がカット。フワッとゴール前に上がったボールを吉田湊海が胸で収めて冷静に決めた。こちらはショートカウンター。どちらのゴールもボールタッチ数が少ないものだった(3点目はセットプレー)。

 グループリーグでの4ゴールもほとんどがロングカウンターかショートカウンターで、手数をかけずに決めきっている。明らかに、これまでの日本チームとはスタイルが異なっているのである。将来の日本サッカーの戦い方の幅を広げることにつながるのではないだろうか。

【2001年9月。U-17世界選手権】

 U-17W杯は1985年に第1回大会が中国で開催され、今年が20回目となるが(当初はU-16世界選手権、1991年~2005年はU-17世界選手権、2007年以降は現名称。これまでは2年毎に開かれていたが、今回からは毎年開催となり、2029年大会までカタールで開催されることが決まっている)、僕はそのうち5大会を現地観戦している(直近は2023年のインドネシア大会)。

 1995年のエクアドル大会のことは、以前このコラムで書いたことがあったが、今回は2001年のトリニダード・トバゴ大会の思い出話である。

 この大会に出場したU-17日本代表の監督は、日本サッカー協会前会長(現名誉会長)の田嶋幸三氏だったが、初戦で米国に勝利したもののナイジェリアに0対4、フランスに1対5と大敗を喫してグループリーグ敗退となった。

 もっとも、フランスとナイジェリアはその後勝ち上がって決勝で再び対戦してフランスが優勝したのだから、組み合わせに恵まれなかったことは確かだ。

 大会の前に、僕は田嶋監督からこう声をかけられた。

「トリニダード・トバゴはとても美しい国だから、ぜひ来てください」と。

「日本代表はとてもいいチームだから」ではなく「開催国が美しい国だから」というのには「アレッ?」と思ったものの、僕は田嶋さんに騙されたつもりで行ってみることにした。カリブ海にはまだ行ったことがなかったし、これからも行く機会が少ないだろうと思ったのである。

 大会は9月だった。

 8月末に『スカパー!』のセリエA中継の現地解説の仕事で欧州に渡り、その後2002年日韓W杯欧州予選のドイツ対イングランドやハンガリー対ルーマニアなどの取材を終え、僕はロンドン・ヒースロー空港から西インド諸島航空(BWIA)機でトリニダード・トバゴの首都ポート・オブ・スペインに向かった。

 空港で入国審査が終わって、審査官が僕のパスポートに入国のスタンプを捺しながらこう言った。

「君、知っちょるかね? ペンタゴンに飛行機が墜落したみたいだぞ」

「ペンタゴン」というのはアメリカ国防総省のことだ(建物が五角形なので「ペンタゴン(五角形)」と呼ばれている)。

「えっ、何の話?」

 僕は言葉の意味がよく呑み込めないままホテル・ノルマンディーにチェックインして、早速テレビの電源を入れてみた。

すると、CNNの中継画面に真っ黒な煙を噴き出すニューヨーク・ワールドトレードセンター(WTC)のツインタワーが映し出されていた。

 2001年9月11日。イスラム組織アルカイダのテロリストグループが4機の旅客機をハイジャックしてWTCやペンタゴンに突っ込んだ、いわゆる「同時多発テロ」だった。数時間後にWTCは崩壊して約3000人の民間人が犠牲となった(1機はワシントンのホワイトハウスか連邦議会議事堂を標的にしていたが、乗客の抵抗に遭って墜落した)。

 そして、この事件をきっかけにアメリカのジョージ・ブッシュ(息子)政権は「対テロ戦争」と称してアフガニスタンやイラクでの大規模な軍事行動を開始することになる。

 ちょうどテロが発生した頃、僕は大西洋上を飛行中だった。テロ発生直後からアメリカをはじめ多くの国で民間航空機の飛行が禁止になったのだから、僕は間一髪で間に合ったのである。

 僕は大西洋を越えて現地入りしたが、日本からトリニダード・トバゴに行くルートは普通はアメリカ経由である。ジャーナリスト仲間のひとりはアメリカ国内で数日足止めされたという。僕はパソコンの調子が悪かったので、日本からやって来る雑誌編集者に部品調達を依頼していたのだが、残念ながらその編集者は日本を出発することができなかった。

【トバゴ島の美しさ】

 田嶋監督の言ったことは本当だった。

 トリニダード・トバゴは南米大陸ベネズエラの北11キロに浮かぶ島国で、面積約4800平方キロのトリニダード島と約300平方キロのトバゴ島から成り立っている。

1962年に英国から独立した。

 試合のほとんどはトリニダード島内の数都市で行われたが、日本のグループBはトバゴ島が会場だった。ふたつの島は30数キロ離れているので、他グループの試合を見ようと思ったら飛行機で往復しなければならない。飛行時間わずか20分とはいえ、かなり不便だ。

 だが、それにも増してトバゴ島はすばらしいところだった。人口100万人以上のトリニダード島に対して、トバゴ島はわずか6万人。美しい自然が残っているのだ。

 僕はトバゴ島最大の街スカボローの海沿いにあるホテルに泊まった。空港ターミナルを出ると目の前が牧場で、牛が草を食んでいるのを横目に牧草地を突っ切っていくとホテルに到着する。

 部屋のベランダから眺めると、目の前はカリブ海につながる小さな湾で真っ青な海が広がっており、僕はそこで人生で初めてシュノーケルに挑んだりして遊んだし、カリブ海を見ながらいただくビールやカクテルは格別のものだった。

 試合がある日にはメディアバスに揺られてトバゴ島東部のバコレットにあるスタジアムに向かうのだが、その道中も本当に風光明媚だった。ちなみに、スタジアムは同国出身のマンチェスター・ユナイテッドなどで活躍した名選手にちなんで「ドワイト・ヨーク・スタジアム」と呼ばれていた(ヨークは現在トリニダード・トバゴ代表監督を務めている)。

 トバゴ島がいかにすばらしいところだったのか......。日本人記者団の何人かは(僕も含めて)、グループリーグが終わってトバゴ島で試合がなくなってからもまだトバゴ島に滞在して、トリニダード島での試合を見にわざわざ飛行機に乗って通っていたほどだ。

 かつて、この国に連れてこられたアフリカ系の労働者たちには楽器の使用が禁止されていた。そこで、彼らはドラム缶を楽器代わりにした。それが現在「スティールドラム」(スティールパン)と呼ばれてトリニダード・トバゴの国民的楽器となっており、U-17世界選手権の大会エンブレムにも描かれていた。そして、試合前の国歌もスティールドラムで演奏された。

【サッカー日本代表】U-17ワールドカップは世界各国で開催 ベテラン記者が忘れられない大会とは
2001年U-17世界選手権のADカード。左上が大会エンブレム(画像は後藤氏提供)
 僕は「スティールドラムで君が代を演奏できるのだろうか?」と心配だったが、なかなかいい味を出していた。

 あ、今回のコラムにはサッカーの話題があまり出てきませんでしたね。なにしろ、日本代表はグループリーグ敗退だったし、大会MVPのフローラン・シナマ=ポンゴル(フランス)は、その後リバプールなどでプレーしたが大物にはならなかった。

「美しい国だから......」という田嶋監督の言葉は嘘ではなかった......。

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