江川卓「空白の一日」の代償(前編)

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 見たこともないほど伸びのある剛速球と、鋭く落ちるカーブで三振の山を築き上げ、作新学院(栃木)時代には完全試合やノーヒットノーラン、連続無失点など数々の記録を打ち立てた江川卓。

 法政大でも4連覇を含む5度の優勝に貢献し、東京六大学リーグ歴代2位の通算47勝をマーク。

その後、プロ野球史に残る前代未聞の出来事──「空白の一日」を経て、巨人へと入団することになる。

 空前絶後の才能に日本中が驚愕し、酔いしれた軌跡を記した書籍『怪物 江川卓伝』(集英社)が発売され、話題を呼んでいる。そのなかから、巨人入団時にまつわるエピソードを紹介したい。

「空白の一日」で巨人入りした江川卓は四面楚歌 王貞治でさえ「...の画像はこちら >>

【ダーティーヒーローとして迎えられた現実】

 ドラフト史上、いやプロ野球史上最大の汚点と言うべき「空白の一日」。野球協約をねじ曲げてまで巨人が江川を獲得しようとした一件で、江川は完全に"ダーティーヒーロー"として語られる存在となってしまった。

 1978年のドラフトで阪神から1位指名された江川は、金子鋭(とし)コミッショナーの強い要望により、阪神から巨人へトレードという異例の形で落ち着いた。

 江川は、金銭トレード以外は絶対に避けたいと考えていたが、いざ蓋を開ければ巨人のエース・小林繁との交換トレード。公には両者とも「金銭トレード」という形をとられていたのだが、世間はそうは見てくれない。

 なかでも複雑だったのは、巨人ナインの心情である。江川のために小林が放出された。そう受け取られれば、反感を抱かれても仕方がない。つまり、「空白の一日」が起きた時点で、江川の前にはすでに茨の道が敷かれていたのである。

 大学時代、日米野球で共にプレーして以来の仲である中畑清は言う。

「卓とは日米野球の最終日に一緒にラスベガスに行った仲。でも、オレは小林さんからかわいがられていたから。言わば、小林派よ。そういった意味でも、卓が入ってきた時は、あいつがどういう振る舞いをするのかを見ていた部分はあった」

 小林は2年連続18勝を挙げる巨人のエースで、また、モデルのような体形と甘いルックスで女性ファンから抜群の人気を誇っていた。その小林とのトレードであり、しかも宮崎キャンプ出発の日に羽田空港で球団関係者がに囲まれ、連行されるシーンがあまりにも衝撃的だっただけに、巨人の選手は余計に憎悪の感情を抱いたのかもしれない。

 中畑が続ける。

「卓が"ダーティー"な存在として見られること自体は、本人も平気だったと思うんだ。でも、小林さんの人生をトレードで大きく変えてしまったことだけは、どうしても拭いきれないものがあったんじゃないかな。同じピッチャーとして、取り返しのつかないことをしてしまったという悔いをずっと引きずり、十字架のように背負ってきたんだと思う。もう半世紀も経ったんだし、"空白の一日"について自分から話したほうが、卓にとっても楽になるんじゃないかと思うんだけどね」

【孤独な自主キャンプ】

 こうして巨人に入団した江川に、幸先のいいスタートなど、最初から望めるはずもなかった。

 野球協約に従い、巨人移籍は開幕後となったため、春季キャンプは不参加。さらに、開幕から2カ月間は公式戦出場自粛となった江川は、巨人OBの矢沢正と一緒に地元・小山(栃木)で自主キャンプを行なった。

 自前のトレーニングウェアを着て、自宅近くの小山運動公園グラウンドで汗を流した。

ギャラリーが大勢詰めかけるなか、黙々とトレーニングに勤しんだ。

 4月7日、巨人と阪神の譲渡手続きが完了し、江川は二度目の入団会見に臨んだ。しかし通常の入団とはまったく異なるもので、巨人の選手たちにウエルカムな空気はない。フロントや首脳陣はともかく、小林とのトレードの一件があった以上、敵意の視線は避けられなかった。

 江川の1歳下で、1978年に入団し、新人王を獲った角盈男が語る。

「江川さんが入ってきて、チームの雰囲気は最悪ですよ。小林繁を出した"張本人"という扱いでしたから、まるで仇が入ってきた感じで。そのうえ、球団の代表か社長が選手全員を集めて、『江川をエースにしてやってくれ』なんて言うんですよ。そりゃあ、みんなカチンときますよね。ホリ(堀内恒夫)さんを筆頭に(笑)。『なんだそれは? オレが入団した時、そんなこと言わなかったじゃねぇか』『ライバルなのに、なんでオレらがエースにしてやらなあかんのや』と、もう大騒ぎでした」

 まさに火に油を注ぐとはこのことで、巨人選手たちの江川に対する悪感情は、いっそう激しさを増していった。

王貞治さえ戸惑わせた入団の波紋】

「でも、翌日になるとホリさんの態度がガラッと変わっていたんですよ。

おそらく球団から、江川さんの"教育係"をやれと指名されたんでしょうね。明らかにトーンは下がっていましたね」(角)

 フロントも、江川が入ることことで選手間にハレーションが起こることは予想していた。そこで、V9時代のエースであり投手陣のリーダーでもある堀内を江川の教育係に据え、一定の"防波堤"にしようと考えたのだろう。

 これが学校なら、リーダー的存在に庇護された"問題児"は安泰に過ごせるかもしれない。だが、ひと癖もふた癖もあるプロフェッショナル集団であるプロ野球の世界では、そう簡単に事が運ぶはずもなかった。

 当時を知る球団関係者が赤裸々に語ってくれた。

「当然ですけど、江川さんが入団した時のナインの動揺というか、怒りというか、その反応は凄まじいものでした。あの王貞治さんでさえ、『ああいう形で入団するのはどうなのかな......』とつぶやき、それが報道されるほどでしたから。

 ベテラン勢のなかには、あからさまに『仲良くなんかできねぇよな』と言う人もいましたし、球場内や遠征先の食卓でも、江川さんが近づいてくると露骨に嫌悪感を顔に出して、『嫌なやつが来たぞ』と聞こえるように言う人までいました」

 針のむしろに立たされた江川は、とにかく争いごとだけは避けようと、周囲に過剰なほど気を配るしかなかった。

つづく>>

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