世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第44回】ロナウド(ブラジル)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第44回は、ブラジルが生んだ「怪物」ロナウドを紹介したい。圧倒的なスピードと研ぎ澄まされたゴール嗅覚で、ピッチに立てば無双状態。全盛期の彼を真正面から止められたディフェンダーはひとりもいなかった。

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 元祖だろうが本家だろうが、呼び名がどうあれ、ロナウドはロナウドである。クリスティアーノ・ロナウドが築いたキャリア、そして40代でも若手に競り勝つフィジカルには、心から敬意を表する。それでもなお、「規格外のストライカー」をひとり挙げるとすれば、本名ロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマの「ロナウド」だ。

 フットボールの神様は、超一流のゴールゲッターに必要とされるスピード、テクニック、運動能力、得点感覚の全要素をこの男に与えた。インテルでプレーした1997-98シーズンからの5年間は、「フェノメノ(怪物)」と対戦相手に恐れられた。ブラジル代表ではワールドカップ通算15ゴール。当時は不滅の大記録と思われた数字だ(1位はミロスラフ・クローゼの16ゴール)。

 とにかく、初速がすごかった。

半身に構えてマーカーの圧を抑制し、ボールを受けた瞬間に反転しながら一気にスピードアップする。パオロ・マルディーニ、ファビオ・カンナヴァーロ、アレッサンドロ・ネスタなど、1990年代のカルチョ・イタリアーノで異彩を放った名DFでさえ、ロナウドの初速には苦戦していた。

 また、マーカーを自らの間合い(1メートルほど)まで引きつけ、瞬時の緩急で手玉に取るドリブルは、比類なきスゴ技だった。タックルするタイミングすらないのだから、マーカーは無策をさらすしかなかった。

【バルセロナ移籍1年目に得点王】

 インテルのルイジ・シモーニ監督が「戦術はロナウド」と胸を張ったこともうなずける。戦略・戦術の重要性が気持ち悪いほど重視されていた時代のセリエAにとって、選手個人にスポットを当てるシモーニ監督のコメントは異質だった。「カルチョのことを何もわかっていない」と嘲笑するメディアまで現れた。

 しかし、組織力を凌駕するほど別格のストライカーを擁しているのだから、その男を軸とするゲームプランを組み立てるのは至極当然だ。

「戦術はロナウド」

 けだし名言である。

 もうひとり、「私の戦術はロナウドだ」と公言してはばからなかったのが、ボビー・ロブソン監督である。

 両者は1996-97シーズンに、バルセロナで同じ釜の飯を食っている。

「3ゴール奪われたなら、5ゴール取り返して勝てばいい。合計8ゴールも見られるのだから、ファンのみなさんも喜ぶんじゃないか」

 ロブソン監督は常日頃から、攻撃的フットボールを推奨していた。

 記者会見で「ロナウドに頼りすぎている」と批判されると、「私の戦術はロナウド」と即座に言い返したのは有名なエピソードだ。

 ロブソン監督と当時アシスタントコーチのジョゼ・モウリーニョがベンチに陣取るバルセロナは、1996-97シーズンにラ・リーガ最多の102ゴールを記録。ロナウドは34ゴールで得点王を獲得した。ルイス・フィーゴはサイドから、ルイス・エンリケは献身的な姿勢でチームに貢献し、ロナウドと相性がよかったイバン・デ・ラ・ペーニャのパスセンスには、誰もが惚れ惚れするほどだった。

 残念ながら、優勝はレアル・マドリードに譲った。ロブソン監督と対極に位置する「管理型」ファビオ・カペッロ監督が率いる宿敵の後塵を拝した。しかし、個人のひらめきに委ねるバルセロナのフットボールは魅力的で、ロナウドも存分に自由を謳歌していた。

 1996年10月26日のパフォーマンスは、特にすさまじかった。センターサークル付近から一気に加速し、バレンシアの4選手をいとも簡単に引きはがす。しかも「ゴラッソ」のおまけつきでハットトリック達成。そのシーズンは公式戦49試合47ゴール。驚異的なスタッツではないか。

【2002年日韓ワールドカップの衝撃】

 バルセロナではわずか1シーズンしかプレーしなかった。だが、小細工せずに相手DFを圧倒する姿は常人の枠を超えており、「ロナウドの全盛期」と評するメディアが圧倒的に多い。あくまでも私見だが、クリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシでさえ及ばないだろう。

 なお、1996-97シーズンのヨーロッパ最優秀監督にはロブソン監督が選ばれている。ロナウドも我が事のように喜び、次のように発言した。

「世界最高の監督さ。疑う余地なんかないじゃないか」

 ロブソンもシモーニも、選手を枠に当てはめなかった。選手の個性を重んじたスタイルは、ロナウドも心地よかったに違いない。

 レアル・マドリードの「銀河系軍団」を率いたビセンテ・デル・ボスケ監督も、ロナウドやジネディーヌ・ジダンに細かいことは言わなかった。もちろん、クロード・マケレレやイバン・エルゲラといった熟練の守備者は、多大な負担を強いられたのだが......。

 ブラジル代表におけるベストシーンは、2002年日韓ワールドカップのドイツとの決勝戦だろう。

 67分、ディトマール・ハマンからボールを奪ったロナウドがリバウドにボールを預けると、ブラジル代表の名MFは躊躇せずにミドルシュートを放ち、ドイツGKオリバー・カーンはボールを前に弾いた。ここに現れたのがロナウドだった。

彼はリバウドにパスしたあと、動きを止めずにドイツゴール前に直進していた。ストライカーならではの嗅覚である。

 79分、クレベルソンのパスを受けたロナウドは、落ち着いたトラップから右足シュート。力みがいっさい感じられない一撃で、ボールはゴールに吸い込まれていった。ペナルティボックス内の異常なまでの冷静は、訓練して身につくものではない。

 決勝戦での2発で大会通算8ゴールとなったロナウドは、文句なしで得点王に輝いた。

 1999年のレッチェ戦で右ひざの膝蓋腱を部分断裂。さらに2000年のラツィオ戦で同じ箇所を完全断裂したことによって、ロナウドからすごみが失われた。ミランでプレーしていた2008年2月のリボルノ戦でも、今度は左ひざの腱を断裂。18年に及ぶ現役生活で8回も手術を経験し、そのキャリアはケガともにあるといって差し支えない。

【世界最強にして最高のFW】

 ただ、全盛期のロナウドを知る者は、「彼こそが本物のストライカー」と断言する者も少なくはない。たしかに運動量は多くない。

守備の約束事にも無関心だった。とはいえ、「その分、点を取ればいいんだろっ!」とばかりにゴールを決めていた。

 ヘディングで、右足で、左足で、時に強烈に、時にテクニカルに、彼のパフォーマンスはまさしく「9番タイプのストライカー」だった。

 ズラタン・イブラヒモビッチとカリム・ベンゼマは、憧れの選手としてロナウドの名を挙げている。名将モウリーニョは「私が知るかぎり、世界最強にして最高のストライカー」と絶賛した。

 ロナウドがキャリアを閉じたあと、9番タイプは消えつつある。今のブラジル代表には得点源として頼れる選手がいない。守備意識に優れたセンターフォワード? 評価の基準が間違っていないか。

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