学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
【陸上競技】三浦龍司インタビュー 前編(全2回)
東京2025世界陸上で、満員の国立競技場のスタンドを最も沸かせたひとりが、男子3000m障害に出場した三浦龍司(SUBARU)だろう。結果は8位に終わったものの、最終盤までメダル争いを繰り広げた。
三浦は3000m障害という種目で日本の歴史を切り開いてきた。順天堂大学2年時に出場した2021年の東京五輪では7位に入り、この種目で日本初となる入賞を果たした。以降は世界大会の常連となり、24年のパリ五輪でも8位と2大会連続の入賞を成し遂げている。世界選手権でも23年ブダペスト大会6位、そして25年東京大会8位と2大会連続で入賞中だ。
3000m障害は、3000mを走る間に高さ91.4cm(*男子の場合)の障害を28回、長さ3.66m最深0.7mの水濠を7回と計35回も跳び越える過酷な種目にもかかわらず、かつて日本では陸上競技のなかではマイナー種目だった。それが三浦の活躍によって一気に認知度が高まり、日本選手権ではテレビ中継のゴールデンタイムに実施されるまでになった。
この種目の第一人者として活躍し続ける三浦のルーツに迫り、中学、高校と部活生だった頃を振り返ってもらった。
【3000m障害を勧められても「へぇー」という感じでした】
島根県浜田市出身の三浦が陸上競技を始めたのは小学1年生の時。地域の陸上教室でそのキャリアをスタートさせた。
「親の勧めが一番大きかったです。
田舎育ちなので、子どもの頃は結構体を動かして遊んでいたので、活発な感じだったと思います。小学生の頃は持久走大会ではいつも1番か2番を争っていました」
三浦が週3回通っていた浜田ジュニア陸上教室は『陸上教室』と銘打ってはいたものの、「今思うと独特だった」と言い、楽しく体を動かすことに重きを置いていた。ウォーミングアップ代わりにホッケーをしたり、ジャベリックボール(羽根つきの投てき物)を投げ合ったりしていたという。
「走るだけじゃなくて、投てきや跳躍など陸上競技のいろんな種目を網羅し、楽しみながら体を動かしていくというやり方だったので、陸上競技全般、好きにさせてもらえるようなクラブでした。
その場に行けば友達もいるし、かけっこが好きな人が多かったので、僕にとっては『また行きたいな』と思えるような場所でした。
さまざまな種目に取り組んでみて、走幅跳や走高跳など跳躍種目は『楽しいな』と思いながらやっていました。もちろん長距離は、人より速く走れたので好きでしたし、シンプルに楽しいって思っていました。
でも、短距離は遅かったんです。体格も小さかったので。
実は、のちに三浦が3000m障害を専門とするきっかけもこの頃にあった。それが、陸上教室で教えていた上ケ迫(かみがさこ)定夫さんとの出会いだ。
3000m障害は高校から実施される種目だが、上ケ迫さんはまだ幼かった三浦の才能を見出し、将来はこの種目に取り組むように勧めた。
「小学生なので、3000m障害という種目があると聞いても、1ミリもピンと来ませんでした。そんな状態でその種目をお勧めされたので、『へぇー』っていう感じでした」
【中学時代は全国のレベルに「1ミリも及ばなかった」】
「陸上の指導者がいる学校に行きたいなと思って選んだんですけど、僕が入学する年に離任されていて、中学に陸上を教えられる先生がいなかったんです。それだったらクラブに顔を出しながら部活動もやったほうがいいなと思い、そういう形になりました。
そもそもクラブチームは、本当は小学生対象で、中学生のカテゴリーはなかったんです。でも、クラブチーム出身の子たちから『中学生になっても指導を受けたい』という要望が多くて、僕らの時から上ケ迫先生たちがプラスの時間を作って、見てくださるようになりました」
一方、中学校の部活動のほうは遊び半分。「不真面目で、陸上の練習をせずに、部室でみんなでサボって遊んでいました」と意外な一面を明かす。
「カルチャーショックだったのが、地区の合同練習に初めて参加した時に、ペース走を初めて経験したんです。『なんだ、この練習は!?』みたいに思ったのを覚えていますね。そんな環境下でやっていましたから。
中学生の時は、力がついているなと思ったことは正直あんまりなかったんです。クラブチームがあったから、かろうじて走れてはいましたが、全国的に同年代のタイムで比較しても差がかなりありましたし、自分が強いって思ったことはなかったです」
そんな三浦の言葉とは裏腹に、中学1年生の時からジュニアオリンピックに出場しており、県ではトップレベルの実力だった。3年生の時には全日本中学校選手権や国体にも出場している。だが、いずれも予選落ちに終わっており、全国の壁は高かった。
「ジュニアオリンピックに出場した時に『1ミリも及ばなかったな』という思いが残っています。全国のレベルの高さを思い知らされた3年間だったなと思います」
それでも2年生から3年生にかけては走力が上がった実感があったという。
「中学2年の時の中国地区の大会でボロ負けしたんです。それが悔しくて、最後の1年間はちょっと頑張ろうと思って、自主練習をするようになりました。
奥村先生とは、京都の洛南高校の奥村隆太郎監督のこと。当初は島根県内の強豪校に進学しようと考えていたが、県外進学という新たな選択肢ができた。
「中学校の先生から『洛南高校から声がかかっているよ』と言われて、最初は『まさか』と思いました。県外、しかも強豪校から話がくるとは思わなかったので『本当ですか?』と聞き返していました。でも、結構早々に決断しました。
上ケ迫先生にも相談し『来てほしいって言ってくれるところに行くのがいいんじゃないか』と言ってもらえて、背中を押してもらって、それで決めました」
こうして三浦は島根を出て、全国屈指の強豪・洛南高に進学することになった。
つづく
Profile
みうら・りゅうじ/2002年2月11日生まれ、島根県浜田市出身。洛南高(京都)―順天堂大―SUBARU。小学生時代から陸上競技を始め、高校時代から3000m障害に取り組む。



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