世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第45回】パトリック・ヴィエラ(フランス)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第45回は、2000年代前後のアーセナル黄金期を支えたパトリック・ヴィエラを紹介したい。名将アーセン・ベンゲルはその才能を見抜いていた。2003-04シーズンの無敗優勝は、フランスが生んだ「世界最高の守備的MF」がいなければ成し遂げられなかった。

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 マンチェスター・ユナイテッドがプレミアリーグで一強の時代を確立しようとしていた1990年代の半ばに、敢然と立ち向かったフランス人の名将がいる。アーセン・ベンゲルだ。

「ベンゲル? 誰なんだよ?」

「日本の名古屋グランパスエイトとかいう無名のクラブを率いていたらしい」

「選手としての実績がまるでない」

 イングランドのメディアは辛辣だった。ベンゲルを小馬鹿にしていたといって差し支えない。ただ、彼は意に介さず、食生活の改善から取りかかった。

 練習後のランチに脂が滴り落ちるようなチキン、くどい味のドレッシング、さらにビール、炭酸飲料まで用意されていた事実に呆れ、アスリートに適したメニューに変更したことは、つとに有名なエピソードである。

 また、若手を積極的に登用した。

 パトリック・ヴィエラもそのひとりだ。

 1995年11月、カンヌからミランに移籍したが、定位置争いで苦しみもがいていた。マルセル・デサイー、デメトリオ・アルベルティーニが相手では分が悪すぎる。当時の彼らは世界有数の守備的MFであり、19歳のヴィエラでは太刀打ちできなかった。

 1995-96シーズンはわずか5試合の出場。続く1996-97シーズンに向け、アヤックスから届いたオファーを真剣に検討していた。

【ヴィエラは絶対に必要だった】

 この動きに待ったをかけたのが、ベンゲルだ。自ら交渉のテーブルに着き、ヴィエラを翻意させたのである。

 ベンゲルが到着する以前のアーセナルは、眠くなるほど退屈なフットボールに終始していた。勝っても最少スコア。メディアや相手サポーターに「ワン・ニル(1‐0)アーセナル」と揶揄されるほどだった

 ベンゲルは守備的なスタイルが大っ嫌いだ。「アンチフットボール」とまで言ってのけた。1-0で守りきるのは性に合わない。退屈な戦い方からエキサイティングな方向へモデルチェンジするために、ヴィエラは絶対に必要だった。

 名将の抜擢を意気に感じたヴィエラは、アーセナル移籍早々に躍動する。192cmの長身と恵まれたリーチを生かしたボール奪取から、絶妙のスルーパスを前線に送り届ける。また、身体を張ってピンチを未然に防ぎ、機を見て相手陣の最深部にまで進入していく。まさしく「ボックス・トゥ・ボックス(BOX to BOX)」の典型だ。

 1996-97シーズンのアーセナルは、前年の5位から3位に上がった。プレミアリーグ発足以降では最高成績である。得点数も49から62に増えた。「ヴィエラ効果」である。勝利のためならカードも辞さない献身的な若者に、多くのグーナー(アーセナルサポーターの呼称)が心からの拍手を送った。

 ヴィエラの加入によってアーセナルはたくましく、攻撃的に変身した。1997-98シーズンはエマニュエル・プティとのコンビで中盤を制圧し、デニス・ベルカンプのMVP獲得に尽力。マンチェスター・Uの3連覇を阻止するとともに、FAカップも戴冠している。

いよいよ、二強の時代がやってきた。

 もちろん、マンチェスター・Uもおいそれとは引き下がらない。1998-99シーズンからリーグ3連覇。唯一、アーセナルが抗っていたとはいえ、最後に笑ったのはアレックス・ファーガソンのチームだった。ただ、ロイ・キーンとヴィエラのライバル意識はすさまじかった。

【ロイ・キーンとピッチでつかみ合い】

 両クラブともに4-4-2を用いていたため、両者は対峙するケースが頻発した。

 罵り合い、胸倉をつかみ、エルボーも日常茶飯事だ。口論からつかみ合いに発展し、世界屈指の審判グラハム・ポールが慌てて仲裁したこともあった。VARが管理する現在であれば、ヴィエラもキーンもカードはさらに増えていたに違いない。

「ちょっとやそっとのタックルでは止められなかった。カードをもらう覚悟で削りにいっても、簡単にかわされた。意識せざるをえない相手だった」

 のちにキーンが振り返ったように、マンチェスター・Uにとってヴィエラを軸とするアーセナルは、プレミアリーグ内では歯ごたえがある唯一のライバルだった。デビッド・ベッカム、ライアン・ギグス、ポール・スコールズなど、いわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(ファーガソンのひな鳥たち)」も、ヴィエラのプレー強度に煮え湯を飲まされている。

 だからこそアーセナルは、2001-02シーズンにプレミアリーグ(アウェー無敗)とFAカップのダブル優勝を達成し、ヴィエラはワールドクラスの称号も手に入れた。ティエリ・アンリとともに2001-02シーズン終盤から2002シーズン序盤にかけて30戦無敗という大記録の中心にも居座っていた。

 そして、2003-04シーズンがやって来る。

「我々がシーズンを通して無敗を維持したとしても、驚くべき事象ではない」

 常日頃から傲慢なほどの自信を口にするベンゲルを、メディアはいぶかっていた。ファーガソンからは「その発言に責任を持てるのか」と至極真っ当に批判された。

 ところがアーセナルは、無敗優勝をやってのけたのである。

 偉業の立役者は30ゴールを挙げたアンリかもしれない。記者投票、選手間、プレミアリーグ選出のトリプルMVPに輝いている。

 ただ、俊敏かつ的確なポジショニングでピンチの芽を未然に摘み取り、全方位を見渡す状況判断でゲームプランを愚直なまでに実行し、時に激しく、時に冷徹なまでの態度で勝利に尽くしたヴィエラこそが「真のMVP」との指摘は、22年が過ぎた今も決して少なくない。

【アンリやベルカンプをフォロー】

 ベルカンプがセンターフォワードの位置から中盤に降りてきたり、アンリが左サイドからカットインしたりする戦い方は現在のゼロトップ(偽9番)に近く、当時としては革新的だった。それでもバランスを崩さず、チャンスと見るやベルカンプ、アンリを絶妙の距離でフォローするヴィエラの貢献を軽視してはならない。

 あくまでも私見だが、彼は現在・過去を問わず世界最高の守備的MFではないだろうか。

フィジカルもテクニックも状況判断も、21世紀のフットボールで十分通用する。フランス代表が1998年ワールドカップ、EURO2000を連覇できたのも、貴重なバックアップとして「ヴィエラがベテランと若手の緩衝材になったからだ」と言われている。精神的な配慮も申し分ない。

 今、フランス代表にヴィエラのような迫力が感じられるMFはいない。また、アーセナルのデクラン・ライスは「インヴィンシブルズ(無敵の軍団)」と評された2003-04シーズンのキャプテンを務めた男の域に達するまで、もう少しだけ時間が必要だ。

 しなやかで美しく、なおかつ力強く、ケンカ上等──。パトリック・ヴィエラを敵に回したくはない。

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