2026年1月4日の東京ドーム大会を最後に、棚橋弘至がリングを去る。新日本プロレスの一時代を象徴してきた存在の引退は、多くのレスラーにとって特別な意味を持つが、内藤哲也にとってそれは、原点を振り返る時間でもあった。
【棚橋弘至のデビュー戦も生観戦】
── 内藤さんは、もともと熱狂的な新日本ファン、なかでも棚橋弘至選手のファンだったということは有名です。
内藤 小さい頃から新日本プロレスを見に行っていて、会場に行けなくても、必ずテレビでは見ていました。1999年10月10日の後楽園ホールにも行っていて、棚橋弘至のデビュー戦も見てるんですよ。
── 内藤さんがすごいのは、そうやって年月日をパッと言えるところですよね。
内藤 翌日が東京ドームで、その前夜祭として後楽園ホールで記者会見と2試合だけやったんです。
── 真壁刀義vs棚橋弘至、柴田勝頼vs井上亘の2カードですね。真壁選手を除く同期3人のデビュー戦でした。
内藤 3人の新人を見た時に、一番印象に残ったのが棚橋でした。デビュー戦なのに身体がすごくできていて、当時高校生だったオレはすでにプロレスラーになりたいと思っていたので、「なんだ、この人は?」と。それ以降は「あの若手を見に行こう」となりましたね。
── 無名の棚橋弘至という若手を追いかけようと思ったんですね。
内藤 それまでは、G1最終戦や日本武道館のビッグマッチは当然見に行っていたんですけど、若手の試合ってなかなかビッグマッチでは組まれない。だから、試合を見ようと思ったら地方の大会に行かなきゃいけない。それで原付(バイク)に乗って、地方も見に行くようになったんです。
── 生粋の棚橋ウォッチャーですね。
内藤 完全にそうでした。プロレスファンとして、デビューから見ている選手って柴田、井上、棚橋が初めてで、あの日の後楽園ホールは北側のA列で見ていたんですよ。しかもリングアナの席のうしろあたりだったので、試合映像にボーっとしながら試合を見ているオレの姿が映っています。
【あの人は倒さなきゃいけないんだ】
── ちなみに原付だと、どのあたりのエリアまで見に行かれていたのですか。
内藤 基本的に関東の大会は全部攻めていて、一番遠いところが栃木の黒羽かな。そのあと50ccからビッグスクーターに乗り換えました。ビッグスクーターは高速に乗れるから行動範囲が延びて、2003年8月12日に静岡での蝶野正洋vs棚橋弘至のG1公式戦を見に行ったんですよ。だけど途中で居眠り運転をしてしまい、トラックに突っ込んじゃって......。でも、そのあとタクシーで会場に行きました。
── 危ない!
内藤 危うく死ぬところだった。棚橋弘至に殺されかけました。
── それは言いがかりです(笑)。ファン時代からそこまで強い憧れを抱いていたんですね。
内藤 憧れの対象は、完全に棚橋弘至でした。ただ憧れではあるんだけど、自分もプロレスラーになると決めていたので、「あの人は倒さなきゃいけないんだ」と、倒すべき対象として見ていたから、会場ではあまり近寄らないようにしていました。でも、オレの地元である東京都足立区の東京武道館で新日本が試合をした時、地元で見るのは初めてだったから、棚橋の入場の時は一応そっちまで走りました。
── 自分のテリトリーということで、特別に(笑)。
内藤 基本的にサイン会とかにも並ばないんですが、一度だけオレが新日本に入門する直前に両国国技館で棚橋がサイン会をやったので、「入門する前だからいいかな」と思って、その時だけサインをもらいました。で、そのTシャツをカバンに詰めて新日本に入門しました。「いつかこれを着よう」と思ってたけど、結局、着る機会はなかったですね。
── そのTシャツはいまも持っているのですか?
内藤 絶対に捨ててはいないので、どこかにあるでしょうね。
── 初めて「愛してま~す!」と叫んだ日ですね。その時点では、IWGP王者とデビューしたばかりのいち若手という遠い距離感ですね。
内藤 もちろん。だから棚橋が道場に来ると、ほかの選手が来た時以上に緊張しましたよ。「うわ、棚橋だよ」「棚橋が座ってるよ」「棚橋が『内藤』って呼んだよ」みたいな。ただ、やっぱりオレにとっては倒すべき対象だったので、入門後もあまり近づかないように、会話をした記憶はほぼないです。でも寮生のなかで一番上だった山本(尚史=ヨシ・タツ)さんが「あいつ、棚橋さんに憧れて入ったみたいですよ」って本人に言ったみたいです。
【なぜか自分のアンテナに引っかかった】
── 言いそうですね(笑)。内藤さんはファン歴が長くて濃いぶん、自分の理想のレスラー像というものがあったと思うんですけど。
内藤 最初にプロレスラーを目指したのは武藤敬司に憧れたからで、ああいう華やかな感じのスタイルをイメージしていましたね。
── 内藤さん自身も身体能力は高いですし。
内藤 棚橋の運動神経は、オレが思うにふつうくらいなのかなと思っていました。タイプ的に武藤とは違うのに、なぜか自分のアンテナにすごく引っかかったんですよね。いろんな人のアンテナに引っかかりやすい何かを持っているってことですかね?
── その「何か」が、今もわからない?
内藤 これだけ多くの人に注目されたり、憧れられたりするっていうのは何かあるんだろうなと。もちろん真逆の「嫌い」もあるでしょうけど、一番よくないのは「あんまり興味ない」なので。好きだろうが嫌いだろうが、要するに見てるってことなので、オレ的にはどっちもプラスだと思ってるんですよ。
そういう意味で言うと、棚橋は一時期すごいブーイングを浴びて嫌われてたけど、好きと嫌い、どっちの人も注目しているという意味では、常に目につく何かを持った選手だったということでしょうね。
── その答えが見つかっていないということが、内藤さんの迷走期とも重なるというか。「ヘイトも人気のうちだ」と思えるのは、今だからこそですよね。
内藤 そうですね。当時はブーイングとか批判的なことを言われるのが嫌で嫌でしょうがなかったけど、ロス・インゴベルナブレスと出会ってから「それって要するにみんなオレのことを見てるんでしょ?」って思えるようになれて。そこまでが本当に長かった。
── 棚橋選手以外で、内藤さんの目に留まった選手ってほかに誰かいますか?
内藤 いないです(キッパリ)。
── す、すごい......!
内藤 しかも若手時代は、自分の試合が終わったあとにセコンドに就くから、エプロンサイドで試合を見ている棚橋をオレが見てるみたいな。後楽園ホールって、昔はお客さんが外階段からも退場できたんですけど、ベンチプレス台とかが置いてあるから見張りとして若手が立っていたんですよ。そこに棚橋か井上か柴田の誰かが立っていて、オレは後楽園に行ったら必ず外階段から退場して、身体のサイズをチェックしていました。
── 自分と比較しながら。
内藤 「腕はこれくらいの太さか......」みたいな。棚橋が立たなくなってからも、その後の世代の若手が立っている時はチェックして、「これくらいか。よし、オレも入門できるかな」みたいなことをいつもしていました。懐かしいですね。
つづく>>
内藤哲也(ないとう・てつや)/1982年6月22日生まれ。



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